らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

富の引き寄せ方

私が体感して思うこと、を書きます。それぞれの状態があるので、それを考えてトレーニングしましょう。精舎にはいろんな手立て、があるので、ご自身にあったところから、はじめるといいかもしれません。「お得な精進の仕方」、でもこれは「絶対に外したらだめ」という両方は、今日の最後の投稿で書きます。質問してくださった方、貴方が本当に知りたいことは、今日の記事の最後の方かもしれません。

まず、富とは何か、の点です。

富とは何でできているか、の点です。

この富、の根本は何か、の点です。

あらゆる物質、あらゆるエネルギーの一番ちいさな粒子は、仏光子です。その仏光子の動き、が凝縮してある一定の「形」をとって、素粒子になり、原子になり、分子になり、、、。また、そこに時間を与えると「空間」ができます。私が見える、3秒先のエネルギーに「私」が引き寄せられる、ので、ゴールデンチューブができます。

つまり、富の根本は、仏光子でできています。

この仏光子とどれだけ親和性を自分がもてるかが重要になります。

その親和性を高めるために、御本尊前にたって、主に感謝を深める、もいいでしょう。

その場合の多くは、外側から光を浴びる、という状態になります。祈り、の状態も同じです。外側から「光」が与えられます。それは「体感」をもって知るひともいるし、「わからない」ひともいます。わからなくても、その行為そのものを原因とし、かならず、与えられています。

その外側から与えられた「光」は、自分が思うこと、を引き寄せます。

マイナスを思えば、マイナスを思うだけ、マイナスを引き寄せます。
プラスを思えば、プラスを思うだけ、プラスを引き寄せます。

なのでやることは、まず、この、自分の思いの実現性、の縁起を、自分の心と現実を観察して、「理解」することからです。

自分がこれは「いやだな」と思っていること、は、自分のどの思いから引き寄せられたか。

自分はこれは「いいな」と思っていること、は、自分のどの思いから引き寄せられたか。

(この自分が思うこと、に、ひとは気づきにくいです。ひとに話さないところの心の動きです。)

このあたり、私自身、これでいいのかな、と思うことも多々あります。例えば、仕事で「これはいやかも」と思うと、相手の都合で、「私」とかかわりないように、たいてい、なります。時間がずれる、んです。あまりにも頻回で、それでいいのかな、ともやっとすることが多かったのですが、こういう引き寄せは、実は

受け入れて、来ても来なくてもどっちでもいいよ、という状態

でないと、基本的にはトラブルを避けるようには働かないんです。つまり、自分が「できる」、「対応できる」「成功に導ける」状態だと避けることができます。できない場合は、動かすことはできません。

上司の長ったらしい「私をつかまえた指導という名のストレス発散のお喋り」がはじまったとき、心で「はやくおわらないかな」と思いました。電話がその上司宛にかかってくるとか、そういうことで避けられます。このところの「思い」は、実は外側にある、御本尊や守護霊に「救い」を求めるように思いを出す必要はありません。

自分の魂に向かって、思うです。

しかも、それは、「いやだからはやくおわらないかな」ではなくて、「気持ちはわかるけど建設的ではないよ」「貴方が損なわれるよ」が近いです。自分のネガティヴがそこにでてくると、まず、避けられません。世界が「YES」つまり、主から見ても「そうだね!」だと、難なく動きます。

実は、主への窓口は、「御本尊」と「自分の魂」の両方にあります。この両方を貫通させることが本当は、一番の引き寄せになります。私は、「御本尊」があるときと、ないときで、やろうとすることが若干違います。

私達は、多種多様の自分とは違うひとと出会い、愛し合い、研鑽するために、生まれてくるのではありません。

私達は、主の教え、にであって、主とのパイプを深めるために、生まれてきます。


あの世は、自分のステージの同じ階層のところへは、だいたい行けます。キリスト霊界の7次元に行けるなら、仏教界の7次元にもいけるはずです。文化が違うだけだからです。その横つながりの友人関係、のところで、交流することができるエリアがあります。もっと言えば、そのところにあるひとが、特定のひとつだけの宗教を学んだとは、とても言い難い。

(でも、祈りましょうとなると、十字架に祈ってるけどいつの間にか飛んじゃって大仏の前にいた、とかはあると思います。なんかそうなっちゃうんだよね。この世での経験でそうなってしまう。)

ですから、あの世で、多種多様な考え方に触れる、ことは事実上、可能です。

上から下、も交流できます。でも、下から上はいけません。

だから、上の思想を学ぶためには、時折降りてくる、巨大な太陽みたいな指導者の魂の下、あの世で自分所属の次元層で、学ぶことしかできないのです。アニメでもありましたね。あの「ユウタ」の友人ロベルトとパトリックは、上の指導者が下に降りてきてあの世で「お勉強」していました。でも、それは、一個上の次元層、からの指導者に違いありません。

私達が、主とあいまみえるのは、この世での逢瀬、しかないのです。その時代によって、仏、法、サンガ、どれを「仏」として会えるかはわかりませんが、それでも、ちゃんとしたバイブレーションを味わうことができるのは、「この世」だけなんです。だから、生まれてくるんです。

ですから、御本尊の前で祈る、という行為は、「この世でしかできない奇跡」です。あの世から見れば、そんな「ありえない」ことをしています。そのために、「生まれてきたようなもの」です。ですから、そうした経験はたくさん積まれたほうがいいと思います。

これが、「外」からいただく光です。

この光は、実は、自分の思うことを引き寄せるだけでなく、何でも使えます。

私は、今の所、自分の魂部分に問題を感じているので、「おおきななにかを実現するために」は使っていません。今の所、私の「潜在意識のクリーニング」と周囲に「光をばらまく」ことを、トレーニングしています。

潜在意識がクリーニングされていないと、ただしく「思えない」ことを知ったからです。
引き寄せは、ひとを通じて、与えられることを知ったからです。

つまり、自分が「できない」と思っているところがあれば、引き寄せられません。「できない」という思いが「できない」ことを実現させ続けるからです。
(自分の魂のなかに、執着や偽我などの問題が潜んでいます。)

また、自分のもの、はこの世界にはありません。すべて、本当は、かりそめの所属、であって、すべて根本仏の仏光子でできているので、本来は、本当は、仏のもの、です。
(ここにも、自分の魂のなかに、問題はあります。)

なので、仏のもの、だと知り、尚、心から愛しているひと、から、引き寄せられます。

そのピーナッツも、みかんも、ほうれん草も、、、
布団カバーも冷蔵庫も、、、シュークリームも、、、、

貴方が買えるものなのに、自分がほしいと思ってたら夕方家族が買ってきたなんてことはありませんか?逆に嫌だな、って思うことを続けませんか?

これが引き寄せです。でも、かつてのダヴィンチもそうだったでしょうし、パラケルススもそうでしょう。彼らの思想、は「引き寄せ」の概念です。それは「古代」からずーーっと、偉人の方々は「知っていました」。思想、に残っているのでね。


で、そういう、現実的な「三宝への行為を通じて主への信仰を深める」というとき、御本尊とのかかわりは一層増えるものだと思いますが、ちょっとここで注意があります。

ご本尊の一歩前に出てください。頭をもうちょっとぐいっといれてください。電球の光が顔にあたるくらいです。そう、そこです。そこが「礼拝堂」と同じ波動のポジションです。

自分だけでお祈りしているときは、そこが一番いいと思います。わからない人は、自分の信仰と向き合うときは、そこのポジションが「無難」だと思ってください。その場所は、千手観音さんだって、「やっほー!」とミニチュアサイズですけど、いらっしゃってくださいます。つまり、オールマイティゾーンです。まじです。

でも、「体感」できる方はちょっと違うことをやってみましょうか。引き目のポジションで、どこで「お経」を読んでもご本尊から光をひいて、「体感」できるかにトライしてみましょう。5メートルくらいは平気ですかね。もうちょっと楽しんで!その5メートル内の磁場は、礼拝室に近い磁場になっていますよ。でしょ?

こういう宗教修行を積み重ねるのにも、実は「光」が重要なんです。降魔をするのにも、「法力」でぶっとばすにしろ、「光」つまり仏光子が大量に必要なんです。

その「仏光子」のひきかた、は、実は、「仏への感謝」なんです。仏への感謝というパイプからしか、つまり、「信仰」のパイプからしか、「光」は降りてこないんです。

利他のお祈りもいいんですが、自分が「仏に愛されること」が前提だと思うんです。それを無視したまま、利他に向かうと、拷問された魔女ごとくに、迫害された傷つき、を繰り返し、今世でも「おなじ気持ちになる体験」を繰り返しているに過ぎません。

こうした、「傷つき」を先に癒やすように光を使えば、


な、な、なんと

光をためておける器が、コップからバケツへ、バケツから風呂桶へ、風呂桶から湖へ、と大きくなります。つまり、魂の器です。この器は、おおきければおおきいほど、ためておけます。

頑張ってここまで読んでくださった方、なんで精進がでてくるんだ、と不可解な気持ちになったでしょう。そうです、引き寄せ、に、実は、精進は絶対に避けて通ることができないんです。