らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

来来世

家庭でゴタゴタが起きている。

週末は、朝から晩まで、あちこちで養成してて、フルマックスで動いたので、もう、魂の器に光がない。

 

精舎に泊まらないと急激に充電はされないので

(2泊必要なときもある)

 

まだ2週間しか経ってないのに

 

次回の宿泊は、着いたら帰宅時間まで爆睡だろうなと思う。めちゃくちゃ使うとそうなる。

 

実は、「見破る」よりも「祓う」よりも、「分からせる」が一番光を使う。だから、伝える、は、ものすごく光を使う。

 

見破り、祓い、分からせる、を同時にジャってやるのだから。

 

言葉で伝える、だけじゃなくて、理解を相手に委ねる、ことはせずに、しっかり腑に落としてもらう、というのは

 

その意識がゴールドになるまで、光を使うのであった。

 

なのでね、私は仏子であるので、自ら光を作り出すことはできないので、無限の富という根本仏からいただかねば、それができないので

 

あしげく通ったり、日々深い感謝をするのだけど、そのチャージ量は微々たるもので

 

精舎の宿泊でのチャージは、最低でも月一であると思う。仕事として重いときは、もうちょっと頻度は高くなる。

 

が、そうもなかなか行けるものではない。

 

現象の霊的実際、それに合わせた法、それに合わせた個人の精進、を加味して、ご本人さんのモチベとご本人さんのやれることをアゲアゲにして、的確に提供するというのは

 

指導霊の指導を受け取って、実現させるだけの、肉体の脳みそと体力を使うので、霊力の枯渇だけでなく、とても身体もしんどいのであった。

 

ちなみに、毎日黒にんにくをふたつぶ食べている。

 

ちなみに、家庭のゴタゴタは、先日、無意識層から祓ったワガママ狐、にまつわるものである。脳みそから抜くわけじゃなく、魂から抜くから大変である。

 

①その部位の教学を重ねる

 

 特定分野の教学を重ねる

 

 その学びが成就するように祈願を重ねる(プラスの祈願✖︎2、マイナス抜きの祈願✖︎1)

 

 DVDリピートなど、知識だけでなく、霊的な波動を主体とする。

 

 

②己心の魔を祓う

 

 …話してくだすときもあるけど、面倒だからしない。暇な時にやるかも。

 

 行動や言動を調律した生活を送る。

 

 生活しながら、心に沸き起こってくる何か、に、自分がふりまわされないように、心のど真ん中にあり、①の経典どおりに自分があれるように試行錯誤する。

 

 注意しておきたいのは、精進中の自分のネガティブにふりまわされない、こと。それは、耳元でささやいている、努力家としか思えない、勘違い野郎の魔があるから。ひとは霊なので、無意識にそれをうけとり、それを自分だと思ってしまうので、水に流すように、自分の心のざわめきを過ぎ去らせるよう、注意されたし。

 

心のど真ん中に立ちながら生きなさい、とはれいのーに一番最初に教える感覚、である。死活問題なので、拙いにしても、1か月も取り組めばできる。

 

 

 

③無意識層の光チャージをする

 

指導霊からの光をいただく

 

わかってる魂からしか、その意識部位はチャージできないので、わかっている方々と話をしてチャージするわけである。

 

主に、指導霊でないと難しい。生きてる人間では、なかなか自分が見つけられないからである。

 

なので、指導霊の光をいただくのが基本。

 

なぜ、仏の光でないのか、というと、実は、指導霊の光とは、仏の光である。

 

その特定の意識がゴールドになっている、指導ができる神様が仏の光をまとっていて、その光を、照準を合わせて、すごい技術でビシャーって手術してるみたいにやってくださるのは、その分野に精通している指導霊だけだからだ。

 

(ちなみに私はこの照準が苦手なので、FOBに照準を合わせてもらわなければドンピシャでできない。私が放出機、彼は照準機能である。)

 

指導霊であっても、自ら光を作り出すことはできない。つまり、指導霊の光とは、仏の光であり、自分の精進の推進力が高くなるわけだ。

 

だからこそ、私たちの幸福は、自力で生きながらも、仏に頼らずしてあれない、他力の両輪で成立している。

 

 

癒し、にも似ているが、癒やしてくださいという意味のチャージではなく、その上で、知りたいを満たすチャージでもある。癒されなければ知ることは能わず。

 

そう、癒されなければ、知りたいを満たせず。

 

 

④現実の自分の人生の反省をする

 

③を感謝のパイプでいただき続けると、無意識層がパンパンにクリーニングされて、めっちゃきれいになってくる。

 

そうすると内側から、じゅんじゅんと光がもたーって、右巻き回転で光が浸透してくるから

 

自分の魂の四次元層まで光が伝わったときに、ようやく、自分の人生の悪しき点の反省に入る。

 

 

 

①〜③までは、でかいやつを最低3回は繰り返す。めちゃくちゃ法雨が流れることもある。流れないこともある。

 

流れないときは、心の針が仏に向いていたのに、いつのまにか、ひとに針を向けてしまって、ただ、光が流れてこなくなってきただけの状態である。

 

 

自分を責めるのは反省じゃないので、そういう反省はなんというか…自己改革をもっての反省ではないから、気をつけてほしい。

 

どんな風に違うかというと、↑のチャージで成り立つ気付きって、めちゃくちゃ軽いんです。あ、そういうことかって。

 

で、しかも、家族にはちゃんと光が流れてくようにした状況でやりましょうね。自分の、基礎土台ですから。もちろん、精進は個々の責任だけど、ゆるされてないと進まないこともあるから。

 

ちなみに、三宝に対しての反省から必ずはじめる。そこが開いてないと光が流れないから。その最後は家庭かな、と思う。

 

 

 

で、家庭のゴタゴタ。見事に。ワガママ狐の抽出。そこに至るまでに起きることは以下。

 

 

⑤世界に自分の変化を公言する。

④まできたあとは、自分の現実も反省した後、世界に公言するように、自分の変化を伝えるように、自分の言動が抜本的に変わるんです。まあ、裏表あるひとは、この機会を逃しがち。自由自在のひとは、相手に合わせられての変化だがら、わかるように、伝わると思います。

 

自分の変化に気づかない人もいます。

 

悟り即伝道ってやつですね。

 

 

⑥家庭にひょっこりはん

原家族について自分の反省が入るゾーンが終わると、原家族に浸透しはじめるので、兄弟姉妹、父母、先祖霊まで、満たされていく。なので、兄弟姉妹が法友だと激ヤバである。

 

私は、自分が一世だが、自分と自分の兄弟姉妹の反省が先で、それが終わったあと、母がはじまる。父が研修に行かないので、そういう順番なのだが

 

でも、その実、なぜ、そこで母がとまるか、父がとまるかに、妹の反省が必要、母の反省が必要というふうに

 

家庭内をかけめぐる悪霊ごとくに同じ思想を私は見るのであった。

 

原家族が終わると、次は、私の世帯、つまり、夫と子である。

 

そういうイベントが起きる。そのイベントは、たいてい、「脅してくるようなやつ」なんで、脅されても、愛してることを表現するだけで終わる。

 

この、自分の愛してるが法にのっとっていて、かと言って、法をふりかざさないであるのがベストである。

 

ちなみに、この手立ては、基本的には、あらゆる精進してる方々が気付いてなくても起きている。

 

部分的に認識しているので奇跡のように感じてあるだけで、理屈としてはこの流れであり、何個も支流をつくり、一本の大きな川になるべく太くするだけである。

 

 

 

 

私が、変わればまわりは勝手に変わるわけだ。

 

あ、来来世。

息子と夫でいま、いったりきたりしてる狐くんが、どうかるかなと。

 

もともと、みんなにあったものだからね、自分だと思ってるから、しがみつくかなと。

 

阿摩羅識か阿頼耶識かわからないけど、無意識層から抜本的に抜けなかってたら、来世もまたやるんだろうなって考えてて。

 

まあ、英検を受けるか、でゴタゴタしてるだけなんだわね。私は、英検なんかどうでもいいのよ。

 

自分の人生をまわりのせいにしない

自分の未来を環境のせいにしない

 

それは、自分を幸福にする手立てだから、そうした人のせいにするにまつわって、どこまで抜けるかな、抜けなかったら来世だなと思ってたところ。

 

小さな悩みにしてしまおうって考えてたとこ。