らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

母の話

らいらの母の話は、父への憎しみから始まった。許容できる範囲を超えていると。

 

〜してくれたらいいのに。

〜させてくれたらいいのに。

 

そのオンパレード、は、老後の人生をスタートさせた夫婦にアルアルな話で、特におかしな点は見られない。

 

だがしかし、そこに、支部に行かせてくれない、とか、自分の信仰を邪魔するから嫌だという話に転嫁していったので、私はちょっと待て、と話の矛先を、真っ直ぐに、らいら的精進論に変えて話を聞いて話をした。

 

そもそもに、ひとを変えようとするのではなくて、自分を変えるために、今の環境があるのだから、自分を変えることしか見ないでいてやっと変えていけるのに、なぜ、自分の心を見ないのか。

 

そもそもに、自分を変えるためにすべてはあるのに、支部や精舎に行くことや祈願をすることなどの行動に代替して、その行為だけを信仰のあらわれとするのはいかがなものか。

 

指導霊とは、自分を変えるために指導をいただけるものである。本来なら、シニアで教えていただいたことを、実生活に活かしていく、磁場を整えることからはじまるわけで。そうした毎日を送ろうとするから、指導が入るのに、ただ、精舎や支部に行って癒されたい、癒されることだけをとって信仰や精進とは言えない。

 

法に即した自己変革が精進なので、本来、自分が標とする経典があって然り。信仰を深めるためには、自分と仏とのあいだにある負を見ていくものだけど、愛を深めるためには、自分と人とのあいだにある負を見ていくもの。どちらも、実は信仰で精進なのだが、自分と人との間にある負を見ないで、愛を研鑽しないで精進しているとは言えない。あなたの標となる経典とはまず何か。

 

伝道とは、本来、その人の霊体を背負って歩くようなもの。それがデフォルト。

 

精舎で体が楽になるのは、慈悲をいただいているとも言える。だけど、いつも、それを受けられないのは、貴方だけではない。みんな同じ。

 

まず、そもそもに、信仰の問題が夫婦の間にあらわれたのではなく、もともとあった夫婦の問題を信仰の障害となすのは、神への冒涜にも感じる。まして、それで父が怒るのは当たり前である。神を盾にして、もともとにある夫婦のことに正義を自分におくような論旨は、精進にあるものの風上にもおけない。

 

伝道をいうなら、まず、その口から吐き出される反吐をとめなさない。無我無私に光の密度をあげて、導くなら、まず、磁場を整えることは、毎日の生活のなかで、支部に行かずとも、行える精進である。そうしながら、愚痴を吐き出させ、苦しみを溶かして、導くことが伝道であると私は思う。

 

 

その苦しみは、死ぬまでに抜いて、幸せになるべきだ。

 

こんなような話をしたら、母は四面楚歌になって、もうかわいそうなくらいミジンコみたいにソファでへたってしまった。

 

そうするうちに、ボソッと、祖父(母から見て父)と叔父(母から見て弟)と父(母から見て夫)だ、と言った。いつも、そこでひっかかる、同じような感じがある、と。

 

それは、父への憎しみではなくて、男への憎しみではないかと指摘すると、いかに男が大嫌いかをつらつらと話し始めた。

 

(もうこのあたりから、話のなかで、固定して、魔がチラチラ見えてきていて、そばにいた下妹も反応しはじめた)

 

いくつか話をしたけど

 

ここで母の恐怖が高まってきたので

(母は怖いとは言ってないが私はそう感じた)

 

悪撃を下妹がしはじめた。うまくいかないので、私にやれ、と言う。妹の、まるで、下僕が王に剣を渡すような仕草に、ちょっと引きながら、二発。二発。二発。五発目からはじきとぶやつが見えなくなってきたので、とどめに六発しておいた。

 

 

いいねえ。らいら的反省法。ズボッと、リンクした悪を根ごとひっぺがえし、できそうな感じがして、しばらく喋らせておいた。

 

いくつかのエピソードを聞いていたら、共通点が少し見えてきたので

 

それは、真ん中妹(母から見て真ん中娘)と甥っ子(母から見て真ん中孫)にもあるかんじではないか?と指摘した。

 

私や夫、下妹にはない。私の息子らにも感じない。

 

なるほどなと。

 

 

母が感じる何かがある者をならべると

 

(その人自身の)父を憎しむ者

 

であった。そう指摘すると、母がハッとした顔をして、どーしたらいいかというので

 

母方祖父に感謝する修行だ、と言ったら、ウゲエと言って笑った。

 

納得したらしい。

 

あれだけいやだいやだいやだと言っていたのに、スッキリしたらしく、

 

父にキッチンはこうしたいと告げ

(冒頭部、父があまりにも母の意向を汲まないので、母が嫌になっていたのに)

 

新しくするキッチンの動画を父と仲良く見ていた。

 

 

たまに、こうやって抜くセッションが必要なのかもしれないね、と話したら、そうやて、と母が言うので

 

今回は、30万の仕事だと思うと言ったら、朝晩の食事で相殺と言われて笑って終わった。

 

まあ、ちょっと慣れたかな。疲労も前よりほとんどない。結構、霊的なエネルギー、つまり、いただいた光を使うので、普通は疲れるんだけど、最近は、宿泊が続いたからか、あまり疲れない。

 

今日、夫への反省をしたのは内緒。

 

たぶん、そういう繋がりがあって、の、母の今日だから。

 

私のした反省は、夫が仕事ができない寝たきりなどの障害があったら、食わせていけることを含めて、共に生きるか、を考えたこと。

 

迷うほうの考え方を切って捨てた。そういう反省をした。

 

 

いやあ、狐退治の夢を見てから、とても視界が明るくて広い笑