肩の凝りを研究するー補足ー
ふと思うたのだが。病気の理屈に似ている。三段階にしてみよう
①老廃物が貯まる
→免疫力が低くなる
②筋肉が老廃物に圧迫されて、筋肉が緊張する
→バイキンが入る、健康細胞が悪性に変化する
③痛みを各所にかんじる
→発症する
なるほど。じゃあ、祈願や研修などで、心が磨かれて光が入ってきたら、どこに最初にアプローチするのかな?
答えは、、、、
同じように、① ② ③の順番でゆっくりアプローチがかかるのでした。いきなり③には行かない。
じゃあ、悪霊憑依はどこから?
答えは、、、②からでした。
心の悪因で憑依がある場合(霊的①)、②身体の部分に憑依が起きることからはじまり、①②③の流れで病気になったりします。
肩凝りは、、、②肩凝り、①心にゆとりがなくなる②悪心をもつ、の流れで、悪霊憑依がはじまります。
二軸あるんですね。霊的なやつ、肉体のやつ。それぞれ①②③
欲を言えば、心的なやつ、霊体のやつ、肉体のやつ、それぞれ①②③
肩凝り、、、が、反省によって、ざーと軽くなったことがあります。職場で働いていたときに。
その後、近くを通った方が、香水をつけているか?と聞いたことがあります。花の匂いがするとか。
知らんがな。指導霊やがな笑。
ちなみに、そのときの反省は、自分の視点をもちながら、相手の立場に立って理解する、でした。私は自分がなくなりやすいので、自分の視点も大事にしなければなりません。つまり、相手をイタコするように同化しやすい。気をつけないと。
私たちは、アイデンティティと言えばいいのかな?自由意思を与えられたのだから、神に対して無我であればよろしいが、人には、無私であるべきだと、私は思います。その感覚は、経典を読んでいても、まだ、確信的には私はわかりません。
だが、しかし。
反省だけで、肩凝りがなくなるとは思えぬ。
精舎宿泊は、①だな。霊体の血流をよくする。極まれば、反省という②にいたる。③は気づきだ。
でも、肉体へのメンテナンスは必要。なぜなら、若くないから。チクショー。
あ、ちなみに、このプロセスがわかれば、ヒーリングは高い方ですね。ツボで連結してるとこにストレートにあてる。
だけど、前提として、光がわかる人かな。その光の感覚磨きも。