餓鬼道から出るためには
餓鬼(がき、梵: preta、巴: peta、音写: 薜茘多)とは、仏教の世界観である六道において餓鬼道(餓鬼の世界)に生まれた者。原語の preta (プレータ)はかつては死者の霊を指したが、仏教において輪廻転生の生存形態である六道に組み込まれた。 preta は鬼とも訳される。鬼は中国語で死者の霊・亡霊を意味している。
餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる。ただし、天部と同じように福楽を受ける種類もいるとされる。
子供は貪るように食べることがあるため、その蔑称・俗称として餓鬼(ガキ)が比喩的に広く用いられる。餓鬼大将・悪餓鬼など。
このうちの天部と同じように福楽を受ける種類、が餓鬼でも上の方に位置する。
- 無財餓鬼 - 食べることが全くできないもの。飲食しようとするも炎などになり、常に貪欲に飢えている。唯一、施餓鬼供養されたものだけは食することができるといわれる。
- 少財餓鬼 - 膿、血などを食べるもの。ごく僅かな飲食だけができる餓鬼。人間の糞尿や嘔吐物、屍など、不浄なものを飲食することができるといわれる。
- 多財餓鬼 - 人の残した物や、人から施されたものを食べることができるもの[4]。天のような享楽を受ける者もこれに含む。多くの飲食ができる餓鬼。天部にも行くことが出来るものは富裕餓鬼ともいう。ただし、どんなに贅沢できても満ち足りることはないといわれる。
これを、3次元のそのままで解釈するのはちょっと違うわ。あの世での実相はもちろんこれとあまり代わり映えのない様子なの。
世界は灰色で、空は淀みない暗雲が立ち込めていて、陽が当たることがない。ボロボロの家屋が立ち並んでいて、長屋のようなところもあるし、一戸建てのようなところもある。
一戸建てに住むことができるのは、餓鬼のなかでも裕福なところで、自分の財産が奪われないように警戒している。
その一戸建てにいる多財餓鬼は、多くの無財餓鬼を飼っていて、無財餓鬼が戸をとんとんと叩くと、飲食物の残り物をぺっと与えるの。そうすることで、飼いならしておけばいい、と言った具合なの。でも、無財餓鬼は、そんな相手のことを全く気にもしないで、「いいひとだ」って思ってることが多いの。
そして、仲間にそれを伝えて、多財餓鬼と付き合うひとを増やして、無財餓鬼を繁殖させるような実態なの。生きている人間で、それは見てとれるわ。
多財餓鬼にならないためには、、、
プレゼントは新品にしましょう。心を込めて、その方が喜ぶ姿を思い馳せながら、贈り物をしましょう。贈り物は、自分がたくさん持っているからおわけする、ではなくて、その方が喜ぶように、与えましょう。自分が与えたいもの、ではなくて、相手が欲しいもの、を与えましょう。与えられることができる今に感謝しましょう。与えることが嬉しい、気持ちでいましょう。人から攻撃を受ける、完璧主義になることで自分の損益を守るのをやめましょう。お布施やボランティアを快くしましょう。おすそ分け、で施したと思わないようにしましょう。
無財餓鬼にならないためには、、、
無財餓鬼は本当は、力を持っていることが多い。金銭に飢えているとは言えど、本当はそうではない。劣等感や生きる手立てを学ばなかったために、そうやって、「愛をくべるかのような嘘」を言う多財餓鬼に騙されていることが多いの。多財餓鬼は、人情に厚いわりに嘘しか言わないことが多いから、気をつけてね。そして、無財餓鬼は、何もしないで利得を得ようとすることが多いから、それもやめましょう。税金で金が減るって思うから、炎で燃やされるの。税金を払えることに感謝すれば、無財餓鬼とは同通しなくなるわ。ええ、つまりは、現代版で言えば、税金を払うことをしなかったり、税金を払う意味すら知らなかったり、払う義務を怒りしか持たないならば、ここに通じていると言えるわ。何も考えないで、多財餓鬼の言いなりになる、といった狭い世界で生きているわ。
自己投資と自助努力にあった公平な評価としての、お給料だと理解しましょう。もし、お給料が足りないなと思ったら、自分がほしいだけの見合った能力を高めていきましょう。その能力を高められないと思うときは、能力をもったひととお付き合いしましょう。一緒にいると、だんだんと、自分もできてくるようになります。でも、能力をもったひとと対等に付き合うためには、自分が自立していないとだめなことも知っておきましょう。
自分の好み、の服装をするのをやめましょう。ひとから見て、洗練されている、または、清楚である、美しい、と快くさせるような服装をしましょう。あなたには、本当は価値があることを知りましょう。
小財餓鬼のあたりだと、愚痴が多かったり、不満ばかり話すことが多いわ。
そう、あの世ではね、愚痴だとか不満とか、甘ったれた言葉、は、糞尿で視えるの。つまり、解決しないただ不満を言うひとの口からは、糞尿がだだもれなの。責める、が交じると、ムカデが口からぼろぼろと出てくるのよ。
つまりね、口からいいものを出すためには、こうしたらいいの。
あなたが
心から安心して
心から喜んでいて
心から幸福だなって思っていて
相手も幸福だといいなって思ったまま
その心と一致した言葉を伝えるときには
口から、光の玉が出るのよ。
そういうひとになって、はじめて、ここから出ることができるわ。
なんで、あの世での餓鬼道世界を知ってるかって?
そこの道に通じたひとを導くときに、どうしても必要があって。寝ているときにあの世のその世界に行って「間違った指導」を受けている様子を、よおおく見てきたのよ。
その相手は誰だって?
なんと、うちの旦那さまよ。でね、この他財餓鬼にあたるところのひとが、私の職場の生霊を飛ばした方でもあったし、夫がなんとなく入りたがる喫茶店、というのが、この多財餓鬼に通じているマスターだったりするの。
私は、ゴージャスなところでのお食事や宿泊が好きなんだけど、そういうところに入りたがらないひともちょっと餓鬼道を感じることが多いわ。ああいう高級なサービスを受けること、を嫌がるのは、ちょっと変だと思ったほうが良いわ。
どうやって導くかって?こちら側からの手出し、はしちゃだめなの。
○大黒天の波動がでている店に食事に行く。(いいものをいいと言う)
○高級なサービスを受ける。
○できることを増やせるように価値付ける。
○社会の構造を教える。
○不満や責めるときに隠そうとしている弱い心を明確に指摘し励ます。
多財餓鬼から受けてきた教育力はすごくてね、もちろん、多財餓鬼に通じている人間から与えられてきた考え方を学んできてるからね、それを修正しようとすると、サイコパスばりにモラハラしてくるから、負けちゃだめよw
そう、モンペだとかクレーマーだとかって、そういうことでできているの。
機会の均等と、公平な評価、を支持していないのよ。
其れ以外のところで社会は成立してるって信じていて、其れ以外のところ、に信仰があるから、その「名誉信仰」や「権威信仰」、「賄賂信仰」、「人情信仰」「思いやり信仰」が間違っているって指摘すると、そりゃあああああ、ものすごいことになるのよ。
多財餓鬼なんかは特に、それで財をなしているから、めたんこキレるわよw
そう、慈悲魔、のことねw
その餓鬼たちの世界に、光を一投するのが、施餓鬼なのよ。