らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

昨日のエクソシスト3

はぁ、はぁ、ここから悪魔祓いになっていきますが、その悪魔を彼に知らせるために、私は、「私を被検体」にして、どういうことがどういうふうに起こっているのか、体験させる流れに入ります。

肩が痛いくらいでぴゃーぴゃーわめくなw私などは年中肩こりだわwこの肩こりは運動不足だけではない、もちろん「生霊」は通常モードなんだよww圧に負けて、リンパが滞るんだよね。だから、利インパマッサージすると、しばらくは痛くない。

つまり、私の肩の後ろの「ハンニバル(生霊)」を見せたのだった。この「生霊」ね、実は「生霊」じゃないのよね。そうwwwww昨晩のアレなのよ。「シェミハザ」

そして、私はシェミハザさんがなんでやってきたか、K君の話を聞いてわかったのだった。シェミハザは、悪魔に転じてから「アザゼル」という名前に変わったとかネットに書いてあった。でも、アザゼルさんの名前は聞いていない。ラインしながら、急遽、アザゼルさんを調べた。アザゼル、で調べると、対応が「ウリエル」と「ラファエル」になっている。「癒やし」と「法を伝える」が対処法だと判断した。

ああねww

まんまじゃん。K君が私に不在着信を入れたのが一昨日の晩。シェミハザが聞こえたのは昨日の昼からお風呂中も聞こえた。今日は聞こえなかった。K君は、一昨日の晩からもんもんとしていたことだろう。そのもんもんは、私に連絡ができなかった昨日の日中、ずーっとだろう。「だいたい、悪魔が名前を何回も言うなんてありえない」。K君の生霊が、私のところに「救い」を求めるように来たけれども、私には「憑依」できないので、弾かれ続け、その憑いている悪魔「シェミハザ」つまり、「アザゼル」に転化しないレベルで来続けていた、ということに違いなかった。

端的に言えば、K君は職場にいる彼女から生霊をもらった。そのKくんが、私に生霊を飛ばした。K君の生霊は、「シェミハザ」の悪霊がねじこめられていた。私は、それをとばされるたびに、知らずしてはじいたので、何回も「シェミハザ」を聞くことになった。

こういうのって口で言っても納得しないよね。

なので、私は、自分の背面にある「ハンニバル」を見せた。彼は、「見えたもの」を「気のせい」にすることが多い。そりゃ、ショックだろうしな。私が知覚している「ハンニバル」は、そりゃ凶悪な顔つきをしていて、私を残忍に不幸にすることに一寸も躊躇しない表情である。迎撃準備しとけよ、くらいな戦闘態勢だ。

もうちょっとかっこいい言葉が適してるけどな。なんだろう。怪人8号で見たワードがいいな。


肩後ろにいる「シェミハザ」さんを見せて、K君を絶望させた。その絶望は計り知れなくて、私は「心配」されてしまった。いや、違うんだけどww私がそれをターゲティングしている側なんだけど、って言っても彼は納得しない。

なので、「天使」が見れる視界ポジションをとらせた。リセットして、そのポジションで、もう一度、私を視てみろと。光で、私がかき消えるほどだ、とのことだった。彼はパニックに陥った。

天使がいるのに、なんで悪魔を祓ってくれないのか?だって。


あまえんじゃねぇよ。


精進してるのはこっちなんだよ。悟りもしねぇで、何が悪魔を祓ってくれだ。ふざけてるのにもほどがあるだろ。


信仰していれば悪魔が剥がれるなんてことは、アホだと思う。もちろん、信仰が救いの縁であることは確かだ。だけど、それは「悟らせないように」頑張っている悪魔があるというだけで、精進して悟るように生きる人間という私達にとっては、「死ぬまで続く事実」であるし、「悟り」を得るために生まれてくるので、「悟れる」ように精進を重ねるものだろ、ということを伝えた。だから、「魔」を詳細に判断して、逆のことを「積み立てる」ことでコンパクトで効率のよい精進ができる、と伝えた。

「法」を「優しく」「癒やしながら」「伝える」

だから、必ず、「天使」だけがいるわけではない。「悪魔」も同時に存在していて、精進を積み重ねるように「天使」の視える次元に自分をキープしておくことこそが、「悪魔」を祓うことの道理になる。このあたり、自分の課題を避けて、自己都合よろしくするのならば、課題はクリアされることはない。また、この課題は、三次元的には「見抜くことはできない」。例えば、精進の積み重ねは、そのひとが「法」を理解するためにあるのであって、現実世界のあれそれ、で垣間見ることができる。だからと言って、「善行」おぼしき行動だけで、あのひとはああだ、こうだ、なんて、普通の人が判断できることはない。

だって、そもそもに、三次元的なものの見方しか知らないのに、判断できわけ、ねぇだろ。


ある意味、こうした、「悟る」前に、悪魔が必ず来ることや、この「悟り」においては、自助努力という精進の積立て、がものを言い、飽和するとはたとわかることなのだが、そのあたりを勘違いして、「信仰心」を深める、つまり信じるだけでいい、とするなら、まず、悪魔には勝てない。悪魔は、仏の伝える「法」が厳しくて、その「法」に中指タテて、好き放題やっている存在だからだ。

だから、しっかり、反省することが求められるし、法に敬虔に自分の心と行動を律していくことが求められる。その場合、八正道から福徳増進にじわじわと切り替わって、善因善果、という幸福が与えられる。それをやらないで、「希望」を叶えてもらうのは、ただの「わがまま」である。

けど、見抜きにくいもの、でもあるだろう。神が悪魔に負けることはない、も、一種の悟りであるが、これは、「信仰が深い」とも言える。神の法が悪魔の主張に負けることはない、も、「信仰が深い」とも言える。その「信仰の深さ」は、「法を確信した」深さに違いないのに。このあたり、どんぶりでやると勘違うことが多い。どの点で「信仰が浅い」かを指摘できるのが、より優れたエクソシストだと思う。その点、K編集長は、すばらしいぜ。

で、悪魔と天使が同時に存在する多次元宇宙を、私のガイドで見せられたK君はパニックになったが、落ち着いた。

「楽な道はなかった」

と言った瞬間、壁がぺぺっと鳴った。実は、ここに行き着くまでにも何回か鳴っていた。今日はK君へのエクソシストなんだろうから、いけるとこまでいけたらいいとここで、腰を据えた。シェミハザさんの攻撃(主張)には自覚がある。妹は再三やってきたし、本日(ブログを書いている今日から見て昨晩)、母には直撃をかました。しばらく、このあたりのことをずっと周囲に言い続けているので、自覚は在る。

でも、それでも尚、K君は私の背面にいる「シェミハザ」に、私が負けると思っているようで、私の家族をどうにか事故などをおこさせて怖いことになるような「脅し」を感じ取っているようだった。そういうことは、まま、ある。経験済みだ。私は、こうしたことにすでに「慣れた」。こう、頻回だと、感覚が麻痺するのか、こうやって、悪魔が睨みつけているときは、私のテンションがあがるのだった。

だって、

悪魔がにやついているほうが、こっちが負けてるってことでしょw


そういうことを何回も言っても、K君は信じられないようで、シェミハザがK君のところにも来るよ、って言ったら、自分のような雑魚にくるわけないとのたもうた。あほか。いい加減、理解しろw精進とは、ずーーーーーーーーーっと、こいつらに勝ち続けることなんだから、自分とこにくる悪魔ぐらい自分で祓えよwwそれが精進の基本だろうがwwwwちゃんとよく本を読めwww

このあたり、むやみやたらに悪魔を怖がる信者さんを見ると、私はため息がでる。
まじで、なんとか、してくれ。

潔癖症ごとく一掃したいという気持ちにも、私は数年陥ったので理解はするが、それはただ、怯えているからであって、正義ではないよ。そもそも、悪魔が憑いていない人間なんて、存在しない。それに打ち勝ち続けることが精進であって生きることだって、私はもう諦めている。ひとを見て、自分を見て。主だって、そうやって在るでしょうが。

諦めるようになると、冷静になった。

現実をふわふわと生きるようになり、楽しく生活ができるようになると、その世界の波長を乱すかのように、ひとが荒い波動を出す瞬間、が、際立って見えるようになった。無視できるものもあれば、意識がはずれないものもあった。頻発するからである。殺人鬼と少女、のように、見返りを求める愛、と見返りを求めた女性に愛されずに憎しむ愛、を、生きている人間の感情の根っこ、に見た。

「優しく」「法」を「癒やしながら」「伝える」「無償」の「愛」

を私は今意識している。無理はしていない。自分の意識を、あんまり高い次元にキープしていると三次元とかなりズレるので、調節すると、「無理しない」になった。


私は、そうやってK君に伝えていることを言い、もし、貴方のように、懲らしめるように私がK君に対応したらどうかと聞いたら、それは困ると言った。なんで、自分はそうされたくないのに、貴方は自分がこらしめてもいいの?と聞いた。やられて困ることをひとにしてはいけないでしょう?と伝えた。

確固とした信念が揺さぶられるK君は困ったようで、どうしてこらしめてもいいかを伝えるようになって、私はそこに「ハトホル」の波動を感じた。ほぉ、なるほどねぇ。

愛はムチだもんねぇwww
こらしめたくなるわよねぇwwww

ハトホルすげぇな。この影響力。8割、ハトホル配下だろwwまぁ、シェミハザは、ハトホル配下の下っ端なんだろうなwwwいいねぇ、セフィロトツリーごとくに、いいピラミッド構造がわかるってものww

ここから、私は、「許さない」ことにした。K君には毎日教学をするように、課題を出してある。ライングループで、教学したページをスクショして流している彼は、相当量、知識が入っているはず。でも、それは部分的であって、「統合」はされていないし、現実のどういった思想が宗教悪に通じるのかの研鑽は、「まだ」だ。でも、そろそろ、はじめてもいいかな。来年は上級資格をねらっているしね。

その「懲らしめる」は、「愛のムチ」というハトホルに通じるよ、と笑っていった。それは魔の思想であることをはっきりと言った。法と愛が一致しない、感情を拠り所にした思想こそが、法に敬虔になれない悪魔の主張であることも伝えた。

感情と法をどちらを選ぶか、で彼は感情を選ぶと言った。

では、自分の感情が、本当に自分の感情である証はどこにあるか、と私は聞いた。

それを聞かれると思っていました、って返信したK君の手のひらには汗がかかれていたと思う。K君を信じていなければ、こんな問答は本来できないので、そんなに自分を卑下することはないんだけどね。


己の感情ほど、クソの掃き溜めなものはない、と私は言った。悪魔がつくところは、人情よろしく、自分の感情にこそあるし、思想そのものが正しくてもその思想への感情そのものをとって、自分自身であることはまずない、とわかってしまった私の絶望は、霊的なひとでないひとには、わからないと思う。

感情のほとんどが、悪魔の隙になる。

彼はロボットみたいに生きろというのか、と反発した。なので、私は馬鹿にして笑って言った。

感情と心は違う。感情は大きく揺れるのに対して、心はみんなあたたかくてやさしい。このところの心で生きるのが人間であって、感情でいきるなら、ただの豚だ。畜生界だよ。感情を中心にして生きるのは畜生界だ。

ちなみに、私のバカにして、という表現は正しくないかもしれない。見下げているなら、K君とはかかわらない。大事にしているからこそ、そのようなせせら笑ってしまうような世界の思想、を大事にするなという意味合いが大きく込められている。そんなちっぽけな思想はやく捨てろよ、という意味だ。

だから、ムチでコントロールしたくなる。自分が畜生界にあるからって、ひとをムチでコントロールしていいわけないだろ。懲らしめる、責める、念でけつらかす、どれも、相手を動物だと思っている。それは、自分が感情を基準にして、生きている「畜生」界の住人だからだ。


流れはこんな感じだけど、体験的にも論説的にも、もっと彼に話したことはあると思う。でもエッセンスは話せたと思うな。そこまで来て、彼は言った。経典に書いてあるから知ってはいたけど、らいらさんはもっと丁寧で細かくどうしてそうなのか、まで教えてくれる。まさか、そういうことになっているなんて。というようなことだった。


私は、あんまりショックを受けるな、と言った。そもそもに、地獄界はひととおり経験する。経験して、「悟り」つまり、法の理解が求められる。縁起だわね。それがわかれば次に行く。それができなければ、自分の精進はそこどまり。だから、魔を見て私は何を精進したらいいかの目標を知る。一番はやいスピードで行けるからね。

いちいち、ショックを受けない強さを得てほしいと伝えた。次は餓鬼界、修羅界と続くから準備をしておきなさい、とも。そして、わからなければ、ひとのを祓うことなどできないとも言った。自分のすら祓えないで精進とは言えない。精進の過程で、地獄に侵食されない自分づくりというのは、エノクよろしく、あの世の地獄、つまり悪因悪果をよく知り、それに対応する、つまり解脱っていうのかな、波長を切るための「確信のある法の理解」が求められる。だから、それを得るためには、自分がその波動を受けても跳ね返すだけの「悟り」が必要なんだよ。

そう、「シェミハザ」を、私が何回も言わせたようにね。




なんで、私がこういうことが死ぬまで続ける覚悟があるかって?

「気に入らないから」


終わってから、K君にはヒーリングをするように伝えた。主の光が入らず、ここで私を媒介にしたら、私に帰依してしまうから、それは絶対にやらない。できないひともいるから、その場合は、一時的に私がやる。けど、だからこそ、悪撃とヒーリングは最初の課題。できるまでやらせる。体育の授業なもの。

今、ライン受け取ったけど、K君は

「心と感情の違いについて考え方が変わりました」

だそうです。こうやって、根本的な考え方を変えることを以って、悪魔を祓うことになりますし、反省したとようやく言えます。自分の考え方を変えて行動までも変えなければ、「自己変革」とは言えませんよ。それは、「法」に基づいて、自分が「法」となるように、です。それが反省です。それができないのであれば、「降魔の法」から天狗等の祓いをすることが先だと思われます。