神様に会った
K君がそれは悟ったひとの言葉だ、って言っていたので、書いたほうが良いかなって思うので書くことにした。
実は、支部でお話をしたときに神様に会った。行事が終わるのを待っていたので、2時間ほど、じっとしていたときに会った。
行事をしていたので、ひとがいなくて、私はひとりだったのもよかったのだと思われる。
何やら視界の一部が蜃気楼みたいに揺れる、、で、ようやく「神様」がそこにいることに気づいた。
何回も言うが、そもそもなにもないのに、「オン」にすることは、ほぼない。
こういう肉眼で見る神様は、そこの部分だけ「蜃気楼みたいに揺れる」。
だから、実は、気づいていないこともあると思うwwごめんwww
まぁ、なんでいらっしゃるのかわからないが、私があまりにも支部に行かないからなのかもしれないなと反省をしてみる。でも、悪いことだとも思えなかったので、ただ、来てくださったことに感謝申し上げた。
でも、その神様はね、椅子に座っている私の目の前にいらしてたから、机を貫通していたわけですよ。
なんかね、変な図、なんですよ…
私の言いたいこと、わかっていただけます?
机を避けて立っていただけると、その威厳は守られると思うんです。
でもね、彼らがそんなこと、なんにも気にしていないのは、仕方がないと思うんです。
でもね、私だって、人間なのですから、そう思わざるを得ないと思うんです。
ごめんなさい。
この蜃気楼の濃さ、で、神様の格がわかったり、または霊視することでわかったりはするが、そんなことって、どうでもいいと私は思っている。本当に、支部のそこら中に天使はいるし、菩薩もいるので、なんら特別なことじゃああああなああああいいいいんだよ。まじで。
ここは強調して言いたい。もう、本当にそんなことで「びっくり」しないでくれ。支部なんだから、当たり前だ。あるだけでありがたい場所だ。
(でも、はじめて味わうとそうなるのは理解できる。でもね、マジなんだよ。いつでも、支部とはそういう場所なんだ。いつも味わいたいなら、自分の波長を上げたら良いよ。いつでも彼らはそこにいるよ。)
まぁ、なんでいらっしゃるのかわからないまま、彼の御方から、強力なヒントをいただいて、意気揚々と夫とディナーに行った。久しぶりの支部に長く滞在できて、私はもうごきげんだった。
スパイスがたっぷりはいった、ジョリーパスタが最近はお好みだが、後から、洋食で最高なレストランを忘れていたことに気づいて、来週のランチはそこでとることにして、予約した。私はさらにごきげんになった。
そして、変な夢を見た。
アニメだった。
…結婚をするのにあたって、嫁の父に認められるために、新郎が頑張って仕事を覚える、という話だった。しかも、アニメなので、よくわからない設定だった。何かのミッションをクリアすると、日本刀のパーツが手に入り、コンプリートすると、日本刀が完成する、という話だった。まぁ、つまり、刀鍛冶の仕事なんだけどね、ただ、このコンプリートするミッションが、よくある少年漫画のファンタジーものの類だった。
…お話のインスピ指導なんか?と起きて、考えていたら、、、、、
なんと、、、、、、、、、、、
昨日の神様が寝室にいるではないか。。。。。
なに、なに!?
ということで寝ぼけまなこでアクセスしてみた。ほしたらね、この神様ね、旦那への指導霊だったみたいでね。まぁ、感知が下手な旦那に言うとけということだった。神様は、そういう言葉遣いはもちろんしないよ!!まぁ、通訳するとこんな感じかな。実際には、指導に、言葉は使わないんだけどね。
「息子の姿は、貴方の過去の姿を見せている。
貴方は忘れていて、ひとからどう見られていたかを覚えておらず、また、自分は可哀想なことになっただけだと思いこんでいるが、土台、そのようなことは、この世では実は存在しない。
なぜ、そうなったか、の理由には、己の使命が介在するものであるから、まずは自分の人生課題を見抜くことが要される。
また、ある基点からは、自我をもち、その上で、自己研鑽が問われるものであるから、そのあたりのところに関して、仏法に基づいて、「どうしたら成功したのか」を知るために、過去を振り返るという反省をする必要がある。過去の自分の、人や環境のせいにして自分を育てなかった点を見つけなさい。
ひとを責めたり、環境を責めたり、自分自身の素養を責める必要は、それに必要ではない。
ただ、ただ、その当時、苦しかった時期の自分を振り返って、そのときどうしたらよかったのか、そのときどうしてそういう思いになったのかを、仏への道にいたるべく精進に基づいて、法を習うようにして、思慧による法の理解を深めなさい。
人生とは学ぶためにあるのだから、その学びを得ることなしに、先に進めることはできない。つまりは、「成功法則」の理解なしにして、先に進めることはできない。
貴方においては、仕事で成功したいと思っているであろうが、それが「わからないうちは」仕事で成功することはない。収入を上げたいと思っていても、過去の自分に必要な反省をすることによって得られる成功法則を知ることなしに、現在ただいまの仕事におけるすべての引き寄せ、すべての判断、のところで、智慧は展開しない。
ゆえに、過去を反省させるために、今同じことが仕事のところで起きるか、息子の姿で知らしめることとするか、どちらかにしか現実は動いている。私達は仕事で起きないように尽力しているが、そのために、息子の姿でもって、貴方が悟らねばならないことをここに伝えよう。
息子の今をなじることなく、自分の過去に同じ姿を見い出しなさい。
そして、その過去をとって、その当時の自分がいかに恵まれていて、自己中心的であり、責任の放棄のなかで自己憐憫に陥っていたことを悟りなさい。そして、再出発をしなさい。
それまでは、転居もないし、仕事の繁栄も、論理的に起こり得ない。
自信というものは反省なしに与えられるものではない。
あのとき、どうしたらよかったのか
あのとき、どういうことになっていたのか
あのとき、自分はこうしていたら未来は変わっていただろうな
それが仏法による成功法則であるならば、次はこうしたらいいのだという安心が、自信につながる。それがわからないうちに、自信などは持てない。自信がないうちに、判断力を持った、必然性のある繁栄は起きない。」
こういうことはよく私には起きるんだけど、ただ、間違って、自分への指導だって勘違うことがほとんどだよね!!
だって、「オン」にし続けてないもん。
正当な「インスピ」が、他者への指導だった、なんてことはザラ。法友と法談しているときに「自分の話」をして感化を渡すような形でセーフなことになってはいる。渡した後は、私がその件について関心を失うことをもって、そういうことかぁ、と確認することは多い。なので、あまり、インスピもらっても一喜一憂したり、突っ走ったりはしないようにしてるかな。うん。
本当に迷惑ww
ではなくて、本当は、こういうことを伝えるのが、「私の使命」なんだけどね。
ひとが輝くように、指導霊のお話を伝えることは、ごく一部の人にしかできない。
(特殊能力という意味では)
でもね、その言葉に依存するひとが多いのも事実で、その依存を嫌っている私は、まだ、準備がでkていないんだよ。依存ではなくて、自立したひとを引き寄せられるように、自分が自立していないとね。
それは、「自分の使命」をまっとうしようとする、自立心だね。
なかなか、難しいよ。
だって、ねぇ?それで迫害受けて拷問死を何度してるのかわからんしねぇ
先進的すぎるからって貞子化した意識体が何体いたか。
それに今更、リトライしたくはないよなw
でも、まあ、つまり、自信がないひとは反省してない、ってことだね。
それは、確かに、そうだと思うな。