らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

旧約聖書 偽外伝 エノク書 第6章

昨日の昼頃、散歩をしていたら、シェミハザって聞こえた。昨晩まで、名前が何回か聞こえたので、調べることにした。以前も、アキアカネ、アキ…が聞こえてきたので、インターネットで調べていて、アキアネのことを言いたかったのだとわかった。


なので、調べてみることにした。

旧約聖書偽典『第一エノク書』によれば、人の子らの美しい娘たちに欲情し、「その中から自分の妻を選んで子をもうけようではないか」と話し合った天使たちの「筆頭」(6:3)がシェミハザ(シェムハザ)であった。シェミハザは「万が一きみたちが実行しようとしなかったら、わたしひとり大罪人として罰を受けることになりはしないか」と躊躇したが、他の者らは「ならばわれらみな、心変わりせずにこの企てをなし遂げるため、誓約を交わしましょう」と言い、〔約を違えぬよう〕皆が互いにのろいをかけ合った[10](このくだりについてはヘーレム#語義も参照)。こうして一蓮托生となりヘルモン山の頂に降り下った総勢200名の天使たちは、人間にさまざまな知識を供与した。シェミハザは「すべての魔法使いと根を断つ者とを教え」(8:3)たという。69章では堕天使の21名の頭領の名が列挙されているが、その筆頭にシェミハザが挙げられている。
wikipediaより)

ふーん。エノク書ってことは、シェミハザ対応がエノクってことなのかな、ということで、エノク書を全部読んでみる。

旧約聖書ユダヤ教キリスト教の正典である。 律法と呼ばれる文書(モーセ五書)を核に、預言書(神からの啓示である預言の記述)および歴史書、諸書と呼ばれる詩や知恵文学を加えたものをさす。律法(Torah)預言者(Navi'im)諸編(Ketuvim)で成立し、3つの頭文字をとって、TNKでタナハって呼ぶ。

イエス・キリストという人物は、実はユダヤ教の指導者(ラビ)であり、ユダヤ教アブラハムの子孫を預言者として成立している。新約聖書は、イエス・キリスト語録みたいなもので、もともとは、同じものなんだよね。ただ、それに支流がいくつもできただけで、プロテスタントカトリックは代表的な支流だと思われるけれども、実は、もっと多くの種類の支流がある。

その宗教の神をてっぺんとして、学ぶ法にあたるのが、正典となる。外伝っていうのは、根本的な教えみたいなものからちょっと外れたものだし、偽典となると、聖書としては認められないものだそうだ。

エノク書を読んでみるとなるほどな、って思った。カルマのことを描いているからだ。正典は神への態度を明示するのに対し、エノク書はシェミハザを筆頭とする堕天使軍団のグリゴリの末路を表現している。そして、その罪を明らかにしているけれど、これ、読みとけるひといるのかねぇ。

「すると〔聖なる者が〕答えてわたしに云った。

 『真実なる人間、真理の人、律法学者よ』。

 すると、あの方の声をわたしは聞いた。

 『怖れるな、ヘノークよ、真実なる人、真理の律法学者よ。ここへ近く寄れ、そしてわしの声を聞け。

15.2.1

 行って、おまえを遣わした者どもに云え、「執り成しをしなくてはならぬのは、おまえたちが人間どものためにであって、人間どもがおまえたちのためであってはならぬ。

15.3.1

 何ゆえおまえたちは、永遠の聖なる高みである天を捨てて、女たちと同衾し、人間どもの娘たちと身をけがし、自分たちの妻に娶ったのか? おまえたちは大地の息子たちのようにふるまい、自分たちの生子、巨人の息子をもうけた。

15.4.1

 おまえたちも聖なる者にして永遠の生きる霊であったのに、女の血によって身をけがし、肉の血によって生み、人間どもの血において欲情した。自分たち自身も肉と血となったかのように、〔彼ら=肉と血は〕死ぬ身であり、滅びる者たちである。

15.5.1

 それゆえ、彼らには牝を与えた、それ〔=牝〕に種まき、そういうふうにそれによって生子を出産するため、地上における彼らの業がすべてなくならないためである。

15.6.1

 これに反し、おまえたちは、永遠の生きた霊であり、永遠の全世代にわたって死ぬことはない。

15.7.1

 それゆえにこそ、わしはおまえたちには牝をつくらなかった。諸々の霊は天に属し、天が彼らの住処である。

15.8.1

 ところが今や、巨人たち、霊と肉から生まれた者たちが地上にあって強力な霊となり、彼らの住処は地上にある。

15.9.1

 邪悪な霊が彼らの身体から出てきた、その所以は、上方にあるものらから生まれたからである、そうして、彼らの創造の起源と土台の初めは、聖なる寝ずの番人たちからなっているからである。彼らは邪悪な霊と呼ばれることになろう。

15.10.1

 天の霊たちは、天にその住処があり、地上に生まれた霊たちは、地上にその住処があることになろう。

15.11.1

 そうして、巨人たちの霊は雲たちに不正し、抹殺し、襲撃し、取っ組み合い、巨人たちの耳障りな霊は、ともに地上に投げ飛ばされ、競走し、何ものも喰わず、絶食し渇き、霊たちは躓く。

15.12.1

 そして彼らは人間どもと女たちとの息子たちに反逆する、彼らから出てきたからである。

第16章

16.1.1

 殺戮と破滅と死の日から、霊たちは彼らの肉の魂から出て行き、審判なしに堕落するであろう。こうして、最後の日、大いなる永遠が終わる、大いなる審判〔の日〕まで台無しにし続けるだろう。

16.2.1

 ところが今や、自分たちのために執り成しをするようそなたを寄こした寝ずの番人たち、かつて天にあった者たちに〔云うがよい〕。

 「おまえたちはかつて天にあった、そしておまえたちに開示された秘義をすべて、神から与えられた秘義をおまえたちは知り、これをおまえたちの心の頑なさゆえに女たちに漏らし、この秘義によって牝たちや人間どもは生子を地上にはびこらせた」。そこで彼らに云うがよい。「平安のあることなし」と』。

17.7.1

 わたしは見た、暗黒の冬の雲たちと、底なしの深淵にあるすべての水の流出とを。

17.8.1

 わたしは見た、大地にあるすべての河川の口と、底なしの深淵の口を。

第18章

18.1.1

 わたしは見た、すべての風たちの蔵を、わたしは見た、それら〔風たち〕によってすべての被造物たちと大地の土台とを〔神が〕飾ったことを、そして大地の隅の石をわたしは見た。

18.2.1

 わたしは見た、大地を支える4つの風たちと、

18.3.1

 天の土台を、そして彼ら〔風たち〕は大地と天との間に立っている。

18.4.1

 わたしは見た、諸々の天の風が向きを変え、太陽の回転を合図するのを、そしてあらゆる星辰を〔わたしは見た〕。

18.5.1

 わたしは見た、地上の風が雲を運ぶのを。わたしは見た、大地の果てを、天の上方への支えを。

18.6.1

 通りすぎて、わたしは見た、夜も昼も燃える場所を、そこには高価な石でできた7つの山々が、3つは日の出の方角に、3つは南に横たわっているのを。

18.7.1

 そして、日の出の方角にある〔山々〕は、色つき石からできたのがひとつ。真珠の石からできたのと、石からできたのが連なり、南にあるのは火色の石からできていた。

18.8.1

 また、それらの真ん中の〔山〕は天に達し、神の王座のごとく からでき、王座の頂はサファイア石からできていた。

18.9.1

 また燃える火を見た。これらの山の向こうに、

18.10.1

 大地の果ての場所がある。諸々の天はここに尽きるのであろう。

18.11.1

 さらに、火の柱が幾本もくだってくる大きな裂け目を見た、深さも高さも計り知れなかった。

18.12.1

 そして、この裂け目の向こうに、上に天の天蓋もない場所を見た、その〔天の〕下に土台をなす大地もなく、その〔裂け目の〕下には水もなく、鳥も飛ばず、荒涼たる怖ろしい場所であった。

18.13.1

 そこに7つの星が、大きな山のように燃えているのをわたしは見た、これについて聞くわたしに

18.14.1

 天使が云った、

 『これは天と地の終わるところ。これは星たちと天の権能者たちとの牢獄である。

18.15.1

 この火の中を転がっている星たちも、この連中は自分たちの上昇の初めに、主の命令に背いた者たち — 天の外の場所はむなしいから — 自分たちの適時に出現しなかったからである。

18.16.1

 そこで〔神が〕彼らに怒られ、これを縛られたのである、彼らの罪の完了の時まで、その期間は、1万年間である』。

第19章

19.1.1

 さらにウウリエールがわたしに云った。

 「女たちと交わった天使たちはここに立たされるであろう、そして、彼らの霊たちはさまざまな形をとって人間どもをけがし、精霊たちに供儀するようこれを惑わすであろうが、それも大いなる審判〔の日〕までのこと、その日に裁かれて終わるであろう。

19.2.1

 また彼らの女たちも、天使たちが途を踏み外したのだから、セイレーンたちとなるだろう」。

19.3.1

 これらの光景を、万事の果てを見たのは、わたしヘノークだけである、人間たちのうちひとりとして、わたしが見たように見たものは決していない。

 〔ところが罪人たちは云う〕

 『ところが、おまえたち、みずからに義を行う者たちよ、見るがいい、自分たちの破局(katastrophe)がどのようなものであるかを、いかなる正義も、自分たちが死に、自分たちが破滅するまで、自分たちのうちには見いだされなかった95.11.1

 そして、彼らの魂たちは、〔初めから〕いなかったもののごとくになり、苦悩のうちに冥府にくだっていった……』。」



なんで、シェミハザが罪を犯してえらい地獄にいるかっていうと、人の子である人間の娘たちと交わり智慧を授けて、罪を犯したから、だそうだ。つまり肉欲に溺れたからだそうだ。

新約でキリストが生まれるシーンもあるけれど、あれ、処女が受胎するわけないでしょ?あれねぇ、どういうふうに読むかっていうと、完全に「あの世から見た目線」で表現されているんだわね。だから、賢者の石ってなあに?ってなぞなぞには、「魂」って答えるといいよ。

そう、そんなあの世から見たもの、は、現実世界の目に見える何か、になることはないのに、賢者の石やエリクサーを現実的に求めるなんて、バカのやること、に違いないと思う。でも、肉体的に生きているひとこそ、その意味がわからないから、三次元的に捜索しちゃうんだよね。血だって飲む、みたいな。

ばかばかしい。

興味があるひとは、Wikiエノク書の外部リンクのところに、ギリシャ語訳があるから読んでみて。解釈本は、解釈しているひとの考え、で、その書を読まされるから、気をつけたほうがいいよ。

そして、私もこれから解釈をはじめるね。

悪魔って基本的には、天使が堕天する形でしか、存在できない。悪魔って、神を知る存在だけど、神の教えに反抗した存在、だからね。だから、悪魔。天使以下のところで、つまり仏教でいうところの欲界でドロップアウトした場合は、アラカンをそそのかした悪魔が別に存在するよ。その悪魔は、ちゃんと1・2・3って、実際にそいつを動かしている存在と、それを手下にしている上司、みたいなものがいるよ。上司に位置する悪魔ほど、多くの人間の思想を操れる。この世的に常識的な思想、が、仏や神が預言者を通じて与えている真実の言葉、よりも優位にあるひとなんかは、そうだよね。

まぁ、悪魔も天使も神も信じないひとは、なんのこっちゃいな、って感じだろうけどねw


で、シェミハザって、実は天使なんだろうけど、天使って基本的には、人間に仕えるもの、なんだよ。人間が上司ってことではないんだ。神を上司として、人間の世話をする存在。つまり、人間を導く存在ってことなんだよね。でも、それに反発した天使がいた。なぜ、あしげく、愚かな人間にひざまずかねばならないのか、っていうね。かの有名なルシフェルだよねw

これって、あれだよねぇ

お坊さんが、衆生をさばいて見下している姿と、一緒だよねぇwww

まぁ、そういうことが原因として、嫉妬というものが生じるわけ。課される課題は違うから、やることも違ってくるのに、自分は精進しているはずなのに、愚かなものが現実的に幸福になるのを尻目に、自分はただ、神しか残らなかったら、現世的には、、、無、、、、ってかんじ。ちーん、って感じよね。

なんか、人間のほうがおもしろくって、神に愛されているような気がするじゃんね。

天使は、神の下僕として働いているのに、なんの利にもなんない。バカバカしいってなっちゃって、本格的に「悪魔」になっていくんだよね。酒を飲み、享楽を貪り、大食になり、金銀に価値をもたせ、無知なるものを騙し、益を貪り、異性を従える、ようになる。

だから、生きながらにして、天使と心を通じているひとは、気をつけてね。もう、自分としては、「飽きてしまったこと」なのに、ひとを愛するためにお付き合いしていると、神を捨てるがごとく、「享楽」に通じている自分をゆるしてしまうことになるから。

三次元世界はどうやっても、あの世の法則の下にあるので、時間を経て、因果応報という意味で、必ず、おかしなことになっている。そうでない人生があったとしても、それはそれで、必ず、子孫がどうにかなるようにして、あの世でも相当な地獄に行くから気にしないほうが良いわ。ましては、自分の不精進の理由にしては絶対にだめ。

で、シェミハザは、そうやって、女を娶ったのよねぇえええ。

最近はやりよね。鬼もそうだし、仙人界の話もそうだけど、法より人情を選ぶやつって、たいがいコレなのよね。まぁ、宗教は難しいって役小角さんも言っているけど、そりゃああああ、そうでしょうよおおおおお。
 




まぁ、普通よねぇ。人間になりたがった天使、ってところか、欲界から天使の世界へ頑張ってる途中か、はわからないけど。上から下か、下から上か、はわからないけど、「人情」でけつまづいているのは確かよね。

「法」は人情でできていないので、もちろん、「愛」は人情でもございません。

だからこそ、自分の愛、とはどういう質のものかをフィードバックする必要があるんですよ。
(そんな貴方には、会内経典「信仰と愛について」)

そして、人間に智慧を与えるそうな。このあたりの読み取りが難しかった。もし、天使が人間に、神を介在させない「知識」を与えたらどうなるだろうなぁ。そして、その「知識」は、神仏のために使うこともできるけど、もちろん地獄界のほうに向けても使えるだろうなぁ。

神を知らないから、「人の子」って表現なんだよね。だから、キリストは「神の子」。でも、キリスト以外の人間は、キリストという「神の子」を通じて神を見ているから、「人の子」なんだよね。興味があるひとは、聖書を読むと、よくわかると思うよ!

つまり、天使は、神を知らない「人の子」に智慧を教えたんだよね。神と出会う道、に導かなかった。そりゃああ、それを自分の益するように使うのは「当然」だろうねぇええええええwww

天使(神を知っているひと)は、神の下僕として、人間(神を知らないひと)のお世話をするから、人間(神を知らないひと)から感謝されて、布施される、っていう理屈を無視したんだよねぇえええ。

自我力の成れの果て、といったところか。天使でも、神様へ心向けないで、自分のやりたいようにやる、とそうなるんでしょうね。大宇宙の大調和から、外れることになるでしょうから。

でも、「神を知らない人間」よりも「神を知る人間」のほうが、リアクタンスは大きい。なぜだかというと、それだけの「影響力」は高いから。魂のバイブレーションが大きくでるのは、そりゃあ、次元の高いほうに座すものでしょう?

だから、彼らは、地球の終わりのときに、ようやく、その罪がどれだけ浄化されたか、審判がくだされるんだね!!ヒトラーが地獄にいるのは、ヒトラーを覚えていて許していなかったり、ヒトラーに熱狂しているものがいまだいたり、彼の思想がこの世に消えて、しかも、その悪業に苦しむ魂が一旦苦しみをリセットするまで、続くんだよね。それでやっと「赦される」んだから、罪の原義となる、グリゴリは、ずーーーっと、人間の精進の邪魔する波長同通をしているだろうしねぇ。

大変だ、こりゃ。

ここで、私が注目したのは、セイレーン。天使が娶った女性は、セイレーンとなるそうだ。実は潜在意識のメタファーのひとつに、セイレーンがある。これを潜在意識に持っている女性は、だいたい離婚するね。離婚するばかりか、異性への憎しみや拒絶感が強いし、打ち負かそうとする。

そりゃああ、かつて貴方が愛したのは、人間になりたがって堕天した天使だもの。いい思いしただろうし、尊敬もしただろうけど、それ、やっちゃいけないことだったからね。それを異性へ理想として求めたら、地球上の男性のほぼが、貴方の理想になることは、「ない」でしょうねぇ。

でも、セイレーンを潜在意識に飼っているからと言って、グリゴリに娶られた女性とは限らない。どちらかというと、男性に騙されて傷つけられて苦しんでコリゴリな女性の潜在意識で、理解しようとか寄り添おうとか付き合おうとかじゃれ合おうとか、まず無理、って思っている女性のなかに、それを見ることはできるかな?

だから、なるほどね、って私は思うの。グリゴリ(シェミハザ)とセイレーンねwあの世目線を知って尚、自分の軸がこの世目線にあると、シェミハザ統制下にあるんだね。でも、なかなか、できることじゃないと思うよ。出家なら守られると思うけどさ。

まぁ、このあたりをどうやって、おさめるのかってのが大事なのよね。じゃなきゃ聖書の意味ないじゃん。でも、こうしたことがメインの教えではないから偽典なんだろうね。失敗談と解決策なのに、はきちがえるひともいるだろうしね。

では、エノク書の続きを概略化するね。

「シェミハザの愚行を目の当たりにしたウリエル筆頭にした天使たちは、主に、このシェミハザの審判を主に求める。ノアを救済の導き手として、人間の悪の温床を洪水で一掃することを決定する。また、天使が子をなしてはならない理由として、天使に肉欲による悪業を子孫に伝えんがためであったと明かし、シェミハザら堕天使がいく煉獄をあらわにした。エノクは、ウリエルらに煉獄を見せられる。何を原因として煉獄に行くかを知る。」


これらの3つ〔の窪地〕は、死者たちの霊たちが隔てられるために作られた。そしてこういうふうに隔てられているのは、義しい人たちの霊たちのためである、ここにある水の源は、光り輝いているのです。
22.10.1
 そして、こういうふうに設営されているのは、罪人たちが死んで地中に埋められるとき、彼らの〔霊たちのために〕である、そして審判も、彼らの存命中は、彼らに行われない。
22.11.1
 彼らの霊はここに隔てられ、この大いなる責め苦を受けるのです、審判、つまりは、鞭と永遠に至るまでの呪われた責め苦を受ける大いなる日まで。報いはいつも霊たちの受けるものだ。ここで永遠に至るまで〔神は〕彼らを縛られるであろう。
22.12.1
 またこういうふうに、訴える者たちの霊たちのためにも隔てられている、破滅について告発する者たちが、罪人たちの日々に殺された場合には。
22.13.1
 またこういうふうに、人間どもの霊たちのためにも設営されているのです、敬虔でなく、罪人で或る者たち、そして無法者たちの共犯者となった者たちは。しかしこれらの霊たちは、彼ら〔無法者たち〕ほどには懲罰を受けることなく、審判の日に罰せられることなく、ここで甦らせなおされることもない」。
22.14.1
 そのとき、わたしは栄光の主を祝福し、そして云った、
 「祝福すべきかな、正義の主、永遠の主なる方は」

27.1.1
 そこでわたしは云った、
 「何ゆえこの土地は祝福され、すべて樹々に満ちているのに、この谷だけは呪われているのですか?」。
27.2.1
『この高い山、その頂が神の座に似ているこの山は、偉大なる主、永遠の王である栄光の聖なる方が、大地を善の方に監督するために降りてこられるときに座る座席である。
25.4.1
 そしてこの、よい匂いのする樹は、大いなる審判〔日〕まで、肉はひとつとしてこれに触れることはできない、〔この日に〕永遠に至るまで、あらゆるものの復讐と終末とがある。そのとき、義なる人たち神法にかなった人たちに与えられるであろう
25.5.1
 この〔樹の〕果実が、北の方に、選びぬかれた人たちの生命のために〔与えられるであろう〕、そして聖なる場所、永遠の王である神の家のそばに植えかえられるであろう。
25.6.1
 そのとき、彼ら〔義人たち〕は享楽に享楽をかさね、喜び、聖なるところに入ってゆくであろう。この〔樹の〕香りは彼らの骨にしみ、〔彼らは〕汝の父祖たちが求めた長命を地上に求めるであろう、そして彼らの〔人生の〕日々に、責め苦も打撃も鞭も彼らに触れることはあるまい』。


まぁ、つまり、あの世から見た法に基づいて、因果応報を知ったのがエノクだってことだね。あの世から見た法を知っていたのに尚、それを無視して、神の不在である現実的な幸福だけを展開したのがシェミハザってことだね。


酷な話だと思うけど、ここ、大いなるトラップだと思うよ。誰しもが怒れるところ、だと思うww