らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

カードキャプターらいら

カードをお勉強しているうちに、わかったことがあった。カードが主張する意味を把握すると、「仲良くなる」感じがする。そうなると、自分の言葉で「説明できるようになる」。

解説に書いていない内容まで、あとからあとから言葉がでてくるので、なんかおもしろいなって思った。まるで、カードと相手を繋げるように、相手によって、「言葉」が変わる。相手にわかりやすいように、でもあるし、相手の状態に適したように、でもある。

そういうカードは、今、数枚あるんだけど、その数枚は、私に所属しているかんじがある。

すごく変な感じ。魔女の道具って、魔女の波動が残るものでしょ?その波動っていうかエネルギーで、道具が「動く」んだよね?箒に飛べるかどうかは知らないけど、マスターってそういうことじゃないのかな。

ううううううううんんんん。ケルトのほうには馴染みがあるとは思うけどさ。魔女だったんだろうな。でも、いいや。今は、ただのおばさんだし。

カードキャプターさくらみたいだな、って思い出して、カードと仲良くならなければ使えないんだよな、ってことで、カードをよく知ろうとするんだけど、なにせ、そのカードが表現したいことがカードの解説本だけだと「まるでわからない」のであった。この解説は、宗教の構造のどこかにカードがあてはまることも明確に示唆している。その位置、がわからないと、私には、何が言いたいのかわからないのであった。つまり、大宇宙と小宇宙との関係っていう宗教のすべてのなかに、それぞれのカードはかならず位置していて、特徴を教えてくれる、といったものだ。

だから、よく宗教概念で話ができるひとには、カードリーディングにおいて、「自己防衛」「偽我」「真我」「執着」「一体」「開一点、開無限」などとも伝えもする。その人自身の、その概念への誤解
も明らかになるので、つまり、カードが教えてくれるので、楽だなぁとは思う。光があるから法に基づいた反省ができるのに、法に基づいた自分でないと光が与えられない、って勘違いしていたのを今日は指摘したよ!!

過去の自分が今の自分から見るととても愚かで許せないかも知れない。その過去から今の自分に導かれたのなら、それは仏から愛されていた。どれだけだめだったかを知った今、過去を許せないのだとしたら、その過去の自分が仏に愛されて今あることを感謝して、過去を抱きしめなさい。

って感じだね。

でも、カードと仲良くなるのに必死なので、今は楽ではない。でも、霊視はかなり疲労するので、こっちのほうが楽だとは分かる。

世の中、便利にできてんだなって思う。


でも、逆に霊能ではない占い師さんは、根本仏への道、がわからずして、お話できるのだろうか。そのあたりは、不明である。(深さはおいといて繰り返しのパターンだからおおよそは知るべき)


で、クロウリーを調べてげらげらわらった後、カードキャプターさくらを思い出した。さくらを作ったひとは、何個もフェイクを重ねた悪魔崇拝なんだろうか。そこまではわからないし、深入りしないけど、ホリックは好きかな。

でも、ホリックとか、あの作品群、出口ないよね(…怖)

芸術作品としては、面白いけどさ。ああやって、何層もまじりあったパラレルワールド、を同時に感じ、味わうって、まるで、ブラックホールみたいだね!!本当は、気持ち悪いものなんだけどね。ああやって、作品にすると、どう解釈しても自由な世界、を味わえるから、謎解きしながら楽しく思えるんだろうとは思うけど、あの構造自体をもつ世界は、「狂ってる」よ。

そういや、ホリックの「対価」は悪魔の概念だよねw


まぁ、そういうことがわかっていないと、本物のカード占いはできんだろうな、って思うよ。表面しかわかっていなければ、カードの意味すら取り違える。カードの構成が何を目的にしているのか、もわからなければ、善に向けてのアレンジすらできない。

クロウリーカードでどうやって導けっていうのかw狂うがゴールなのかwww

あ・・・


そうだったそうだった。シェミハザだった。忘れてた。