らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

見本になる

ひとは見本がなければ、「見本」を真似ることができない。

「見本」になろうとしても、その心得がわからないひとはできない。

「見本」になろうと自覚してあるときは、もうひとこえ、あったほうがいい。

「自分がそういう自分でいたいから」、ごく自然にふるまうようにランクアップしよう。

貴方を真似るひとが増えたら、それだけで、そこの職場はハッピー

でも、だからといって、個性、は消えない。

もし、互いに、「よい行動」「よい言葉」が出せないなら、それは個性ではない。
修正が必要な、本来は「生きにくさ」と表現すべきものだ。
(あの世の理屈において)

私は霊能者でこの世では生きにくいけれど、この性質をとって、
あの世で生きにくいとはならないだろう。

本当に生きにくいのは

自分がなりたいものになれないもどしさ、だ。

なりたいものがなんなのかわからない、もどかしさ、だ。

なりたいことがなし得ない、もどかしさ、だ。


それは、世界にもひとのせいにも環境のせいにもする必要はない。

私は公認心理師になれないけど(まだ、言うかww)

今は、ただの「もったいないおばけ」だったと思う。
経験だとか、経歴だとか、時間だとか、いろいろの「自分がもったいない」というかんじ。


最初は怒っていたけど、いろんなことを知っていくうちに、これでよかったなと心から思う。
小さな世界、しか知らないのは、私にとって不遇だ。

私の守護霊、まじ、がんばってると思う。すげぇと思う。
そして、その教育力もやばいと思うwww

「見本」って立場がなくても、与えられるんだな、って今日びっくりして思ったので書きました。
なるほどな、と思いまして。

自分をフィードバックすると↑な感じでした。