らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

貧乏神

旦那の仕事がうまくいかないことが続いていた。ちょっとしたなんでもないトラブルが目の前でバタバタ起きていた。

 

本当に馬鹿みたいなことばかりだったのに、結果として大きな損害になっているのを目の当たりにしたとき、それは、もう、貧乏神ではないかと思った。

 

私も貧乏神については未知なことがまだ多い。

 

 

①正しいことを知り自分を改める

(過去の反省、聞慧、思慧

②自分への憑きものを祓う

(修慧に至る作業

③神に祈る

(赦しをこう作業

 

一日の作業でもこのプロセスを経るんだけど、週単位、月単位でも振り返っていく。悪魔だとか悪霊だとかは、八正道の精進カテゴリーの一貫なんだけど、貧乏神は、愛の精進カテゴリーだと思う。

 

あんまり厳しく神への道を歩もうとすると、進化に偏ると

→八正道×悪霊、悪魔

 

人との共生がうまくできなくなってきて、調和が極端に凹む。

→愛×貧乏神

 

こんなかんじかな。

実際は違うかもだけど、私は頭の中で仮説を立てながら、取り組むことがほとんど。仮説が違っていても、精進には有用だと思っている。

 

今何を取り組んでいるのかを状況や経緯を考慮して仮説を立てる精進の経験は、だらしない精進にならないための手綱だと思っている。

 

目標を意識できるのもよい。

 

貧乏神は、成功しなかった祖霊(血縁の霊)だと思っている。

 

けど、私の父方祖父は小さい山奥の村に住んでいので、村全体が家族、という意識があるせいか、知りもしない幽霊が大群で来たこともある。それが貧乏神となるのか分からないが、こちらの意見としていくつかお話して、お帰りいただいた。

 

あちらの言い分としては、同じ檀家同士、同じ墓に入ってるのと同じなのだから、私たちが面倒を見て当然ではないか、ということだった。

 

かましくて呆れるばかりだったが、あちらの状況も理解できるところはあり、なんとも言えない気持ちでお帰りいただいたのだった。

 

私の系譜の祖霊については、近いところから、先祖供養を積み重ねている。やってみて、やりっぱなしではよろしくないことは、分かる。悪さはしない。

 

が、悪さをしなくなっただけで、何も理解していないので、こちらが現実で四苦八苦していることのなかに、彼らが重たくのしかかっていることは多分にあるのだった。

 

なので、ちょこちょこ、この人がいま、近いだろうなと思われるときには、お話することがあるが

(現実から推測する)

 

あの世で指導霊が教えてくださっていると思いきや、まったく理解していない。

 

考えてみれば、無理矢理死後三帰したところで、生前知識を得たわけではないので、得心を得ていないのは当然だった。

 

あの世があると信じている人だったとしても、生前イメージしていたあの世と、実際死んだ後のあの世に乖離があれば、こんなものはあの世ではないと認識してしまうこともあるし

 

死んだ後は、自分の都合の悪いことは見えない、分からない状況なので、この世にいる私達みたいに

 

死んだ後に未知のことを知ることなんか全然できないのは当たり前であった。

 

私の曾祖父は幸いにも死んでいることは知っていたので、あの世は想いの世界だと話してあげることから始まった。

 

ちなみに、生きている子孫の心の声は、先祖には、ときを選ばす、子孫が伝えたい如何も問わずに、すべて伝わっているので、生きている人ならどなた様でも可能です。

 

(ただ、祖霊も人間なので、生前どおりの性格、反応をされていると思って、根気よくお話ください。)

 

あの世では心の世界なので、若いときの気持ちで100%になれば、若い姿をとれたりするよ、と曽祖父に説明したときも、曽祖父はわからなかったみたいで、かなり長く時間がかかった。

 

わかったときは、目をまんまるにして、何回か繰り返してみて、しばらくして、ぐじゃぐじゃに泣いていた。泣いた彼の気持ちは良くわからない。

 

私の血縁はこうして何人かはちょっとは幸せになったと思う。(地獄から天国に、背負っていったときもあったけど、あれは私の勉強でもあったかな。)

 

つまり、何が言いたいかというと、先祖供養は、神様にお願いするのは基本的なことではあるんだけど、もう一つ、子孫である私達が知ったことを伝えるものでもある、ということなんだ。

 

だから、子孫の私達が勉強をすることは前提なんだ。

 

本当はさ、お寺の住職さんが霊とお話できなきゃ、そもそもに供養なんかできない。世間で言う儀式でしかない供養と、本物の供養(先祖があの世で豊かになること)は、違うんだけど、今話しているのは、本物の供養の話だよ。

 

でね、旦那の仕事のこと、は、はたから見ていて、どうも、旦那の両親じゃないかなあと思うんだよね。

 

旦那の父である義父からは、亡くなってすぐに、「呪うよ」とお話に来られたことがあって、私はとても心から供養したいとは思っていなかった。お話を聞いてもくれないし。神様のお話をすると爆発しちゃうし、どうも神様のことが嫌いなんだと思った。

 

神様へ供養をお願いするだけで、日常的にはほかっておいたに近かったのだが、あまりにも旦那が義父と似たような人生を送っているので、もしかしたらなあと思いつつ、お金の悪魔の可能性もあるので、霊視をゴリ子にお願いした。

 

ゴリ子はあまり霊視をしないというか、普通に生きているので、霊能力に慣れていない。

(私も普段しない)

 

なので、危険なことに、彼女は憑依するような形でリーディングする。

(ケツモチは私)

 

いつも、ごめん。ゴリ子さん。

でも、私、自分の周りのことはあまり視れないのよ。

 

だから、無理言ってお願いした。