自分に近しいひとは視えない。
そうなんだ。
自分に近しいひと。物理的に接触がある人は、起きていることや対応される何かがあると、それで判断してしまうので、霊視しづらい。
つまり、仏教用語で識ってやつなんだけど、肉から作用して感応した情報が入ってくるので、霊視がきかない。
笑顔だとか表情でも作用してしまう。
し、オンオフできることが大事だから、普通はそんなことしない。なので、霊能友達に霊視してもらうことはある。…占い感覚で。
でも、それは、話のネタであって、あってるかあってないかは、特に問題にはしていない。けど、遊びでやるからこそ、段々と手練れにはなる。
でも、やっぱり近しくなると分からなくなる。いい意味でも悪い意味でも。
私は特に問題にはしてなくて、ただ、たまに霊能だと自覚がなくなるので、意識するように、霊能ネタを話すことは大事だと思う。
霊能だという自覚がなくなると…
◯唯物的な考え方に染まる。
(…いや、本当に、たまにある。嘘なんじゃないかなって)
◯精舎で霊能全開で話してると周りが聞き耳立ててることがある。
(…逆に話してる内容が普通じゃないことに気づかない。)
◯周りに分かるように話さなくなる。
(…霊能友人間では、脳内補正があるから、それに慣れてくると、言葉で説明するのが億劫)
◯周りから浮いてることに不安を感じる
(外界との遮断が必要だから、そうしてるのだけど、無意識な遮断だと、周りの気持ちに鈍感になり過ぎてかかわりの調整が難しい。)
…いきづらい笑
死んでる近しいひとは視えるけどさ。
ゴリちゃんが言ってたけど
入会してない祖先と入会してる祖先は、全然違うんだって。
本人が入会したことを忘れていようが、気持ちがそこになかろうが、全然違うんだって。
私も、三帰者や入会者は、区別できるよ。
安定した輝き?みたいなのがあるから、声かけたら、信者さんだった、ということが何回かある。
自覚してないというか、入ってるけど信じてないって言ってた人もいるけど、信じるも精進だから関係ないんだなって思う。
神様の光が流れることそのもの、には、この世で縁をつけること、だけが鍵だと思われる。
だって、あの世では、自分の同じ心の波長の人がいる世界にしか行けないからね。いま、この世で神様に会えなければ、神様には会えない。
だから、神様に会いに行けるように、生まれてくる。
だから、その縁を見事ゲットした人には、神様の光が流れるから
霊体が光って見えるから、わかるよ。
補足。↑私は生きている人で区別がつくって話です。