らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

お母さんのとりあい

今、私は、若い子たちとかかわっていて、一緒にお勉強をしたり、イベントや活動の縁つなぎをしたり、見守ったりしている。各成員の心の問題にも丁寧にかかわっているのだが、どうも、「お母さん」の位置にあるようで、他の子と話した内容を話たりすると、「コンタクト」をとっている事実に、むくれたりする。

そして、個人ラインでコンタクトがあったりする。可愛いけど、この状態はちょっとおかしな気持ちになる。

「Y君はらいらさんと電話しているのか?」

グループトークで聞いてきたK君だったが、その日のY君も、そのようなことでなんかむくれていた。K君は翌日、暇だったからと言って電話がかかってきた。

変なひとたち。


でも、K君はもともとに「霊体質さん」なので、丁寧にかかわっている。「霊体質」さんは、霊的なことをよく知っているひとじゃないと、説明してもらえなかったり、納得できなかったりすることが多いので、「よくわかっている」ひとから話を聞きたいことは、ある。私もそうだった。話してもわかってもらえない、ことはよくあった。

まぁ、つまり、「私達の体験」が信じられない、からだと思う。でも、その「体験」をとって、そうしたことがわかるひとの「言いなり」になることはまったくもって、あかんと思う。やることは、どう精進したら良いか、ということに尽きる。

でも、「暇だから」というときは、「霊的なこと」で遊ぶこともある。「いいこと」でもあるし、「与える愛」が今目標な彼らだったので、K君には、「成仏のさせ方」を覚えてもらおうと思ってとりくんでみた。

これを体験したら、成仏までに何が必要なのか、分かるはずだ。その成仏のプロセスをとって、愛とはなにか、とか、与えるとはなにか、とかが、エッセンスで分かると思ったのだ。

で、何十年も彼のそばにいた女性霊に成仏してもらった。この女性はずっといたんだけど、私もこうしたアプローチには積極的でないので、「成仏」を一緒に見る、ことはしようという意見にもならなかった。でも、そろそろかな、と思い、モデルとして「見せた」。

そしたら、今日、いきなり「お見合い」の話がおうちに舞い込んだようで、慌てて電話がはいった。彼はよく知っているので、「女性霊」が邪魔していたためにその状態にあったのだが、いなくなったから「お見合い」の話がきたのか?ということだった。

そうだよ、と答えた。

効果てきめんではないか、早すぎるのではないか、と。私も、実際は、このあたりはわからない。お見合いするから、ふと「成仏」を昨日したのか、「成仏」させたからお見合いの話がきたのかは、わからない。自分たちが原因で沸き起こったのか、他者(彼の実母)の祈りの作用で、私の「直感」で必要なことをしたのか、も、わからない。

全体の要素を複合的に見れば、このあたりの「原因」はわかると思う。でも、いちいち、そういうことの裏はとれない。いろんな原因があっての結果、であり、また、私達の目線から見た「原因」と「結果」としても十分妥当なものであった。

で、未来に何が起きるのか、不安な彼は私に聞いた。

曲がりなりにも「霊能者」である。仏が作られた、男女における結婚制度、は魂修行にとって、より効率的で優れている、とも言った彼は、自らおかしなことを言う。

「ひとりで精進しているほうが効率がよい」


なので、進化と調和の話をした。そして、進化にあたるだろう、私の研修や教学について、過去1年してきたことを伝えた。その量を、彼に伝えた。彼も急進的にお勉強をすすめているので、私の信仰における量、は、彼とそれほど変わりはしない。法友という喜びを知った彼は、全国を飛び回っている。

まず、1年前の私と今の私の滞留させている光の量を比較させた。
その後、彼自身のそれと比較させた。

それで、信仰における教学や研修、祈願だけでは、まとう「光の量」を大きくさせることはできない、とわかった。

そして、そこから、「魔の祓い方」の話になる。まず、自分が反省したことからわかったことがでてくる。そのわかったこと、は、宗教的な視点から現実的な視点まで、必ず貫通する。だから、衆生である一般の方々の目線からも、「宗教用語」を使わない「神様を語らずして」、納得する考え方、腑の落とし方で、話ができるようになる。それは、かならず、「希望」や「愛」などに繋がっていく、霊的世界観を付したものの見方である。

そうなってくると、いよいよ、どこが最終試験になるかというと、自分にとって一番重要な人物、の潜在意識へのアプローチになる。このあたり、その方が自分で主体的にそれに気づいていこうという意欲の持ち主なら楽なのだが、そうではないときには自覚したりしないので、「かなり怒り暴れる」。だから、精進をしようという意欲を持っているひとのほうが楽だということでもある。

この潜在意識の魔を祓うと現実で引き寄せられる出来事のなかに、「幸運」が多く現れる。先日の夫で言えば、過剰な請求に気づく、が起きる。そのまま気づかなければ、誰も気づかないで、お金は渡る。あちらも間違いに気づいていないので、「ただしいもの」として処理される。大きな企業ではないので、誰のチェックも入らないので、「それがまかりとおる」。

こういうことは、互いに「反省」を素直にしなければならないのだが、「責め合う」と「反省ができない」。反省している最中の方には、正しいことを伝えはすれど、「その方が自分でそう思える」ように、穏やかで許され信じてる方がそばについていなければ、「認められない」ので、結構な心のスキルが必要である。が、これも精進のひとつである。


まぁ、それがどうして「結婚」に繋がっていくかというと、女性への憎しみと男性への憎しみは、だいたいある。このひとは違うだろうと思って誤って「結婚」するのだが、なんと、その愛しいひとが「憎しむべきそれ」を素性にあわせもって、自然と自分を傷つけていることをはたとわかるのが、

だいたい、こどもが10才くらいになったとき。

一緒に仕事をしてみないとわからないものだからかしらね。なので、自分の潜在意識にある、「父への憎しみ」か「母への憎しみ」かはわからないが、それに似た自分の解決できてなかった「困ったこと」への対応を、「異性」という伴侶への自分に、問われるようになる。

そのあたりの「赤い糸」は、実は、決められているとある。そういった「引き寄せ」と自分の何かわからない感情で、そうなっている、と霊的な人はわかってしまう。

彼で言えば、5番プレアデスにしか、異性を感じられない、ということ。でも、5番プレアデスの感情を中心にした客観性や社会常識性から見た考え方がまるでない理性にかけた視点は、怒りがわく。そういうジレンマのなかで、「結婚は無理と思う」という相談であった。

まさに、そのとおりなのだが、そもそもに、潜在意識とはそういうものなので仕方がない理由を、円環の法則とエクソシスト、精進の過程、から話をする。思いつきのようにあてがわれた「ボランティア」も、与える修行としての「ボランティア」であるが、同時に、霊的にどう与えられるのか、与えたものが与えられる、その理屈を話し、その体験をする必要があなたにはある、という話までした。

そして、自分の悪い衝動というか特徴についても話がでたので、それは方向が違うだけで、それこそ、エクソシストの場面で、こうやってここでこれで、と、正しい使い方、つまり、TPOを教え、それをどうやっての部分で「生かす」「愛する」「許す」の部分を、少し伝えた。

ここまで来ると精密な理屈で成り上がっていることがわかるので、シンプルに与えられた


○なにやっても精進なんだから、どれを選んでも良い
○ハードモードとイージーモードはあるけど、結局ハードにはいずれいきつく
○そのためのボランティアと精進


たかが結婚、されど結婚


ちなみに、この電話の話で、与える愛、に取り組まねば、自分の発する光は増幅しない、をわかってもらったところで、テレビがビシっと鳴りました。つまり、ただしいことがわかってひとに公言して、ひとにわかってもらう、で、実はエクソシストしているようで、「自分の魔」も祓えているんですね。

わかっていただく、とは自分に与えてもらっていることでもあるんですよ。

ちなみに、私の胸のハエを昨晩ヒーリングした友人も、そちらでハエの鳴り、を聞きました。で、反撃にあっておちていたので、申し訳なくって、そのあたりの回答をしました。ごめんね、ちょっときつかったね。でも、この場合は、エルカンにやってもらう、という意識100パーセントでなかったからだと思うよ。その場合のは、反撃には来ない。

反撃に来るやつは、一騎打ちでやるとき。それは、自分の精進を兼ねているやつ。

参考までに。