土地にまつわるカルマについて
昨日友達と話をしてて、そんな話題になった。
エリアの雰囲気の話から、たまたま、友達が住むエリアの方から、ご相談を受けて、お話をした内容が、その話だったこと、から。
土地が云々の話。
土地にしばりを感じるような霊的云々は、私は存在すると思う。
場所によって、行きたくないところがあるように、いらっしゃるのはある。
怨霊もいれば地獄霊もいる。悪魔はいないかな。悪魔は、人につくもの、で、場所にはつかない。
逆に言うと、場所に左右されるから、土地云々は雑魚なように見えるけど、住んでる方からしたら、強力に影響を受ける。
じゃあ、これを金を払ってどうにかできるかと言うと、
できるわけなかろうよ笑
ただ、霊能力者の、徳のようなものを、つまり、光を使って、成仏はできるが
そんなことしたとて、キリのない話。
結局は、その、因果応報なわけで、ひとがその悪霊が憑かないレベルの心根をもたなければ、雑魚Aを祓っても、そのグループの雑魚Bを家に持ち込むのは当然の由なのである。
何かしら共通する現象化をしてるってことは、それなりに強い影響を与えているので、確定はしやすい。
だが、強い影響を与えているということは、一体ではないだろうことも予測できる。
…祓えるかと言われたら、頑張ればできるかなと思うけど、私、本職ではないので、自分の生活の片手間にやるレベルではないと判断した。
土地って、その家屋自体の固有のものか、エリア全域に似たようなものがウヨウヨしてるかで、分けたなら
家屋固有のものはそもそも家系か個人を理由としたものだし
エリア全域にあるなら、土地の霊調に、家系か個人が影響を受けたもの
と分別できる。
だから、どうしたらいいかというと、やはり、個人から家系へ、家系からエリアへ、と、スモールステップで、それぞれが憑かないように、または、憑いたものさえも成仏するように取り組むもの、だと考える。
しかしながら、家系にアプローチする、ということがそもそもに、とんでもなく大変なことであるから、一世代でどうにかなるかというと、そうでもないのだ。
さらに、その家庭、家系、エリアに生まれた、という意味では、そもそもに、各固有の魂の生まれ、そのものに、大きな意味があって
使命のため、つまり、その人が生まれることによって得られる悟りで、よくなるために、生まれる前に決めてきた人生計画なので
(その環境が精進に相応)
ガタガタ不安になっていても仕方ないもの、なのである。
なので、霊能力でどうにかなるか、と言われたら、霊障云々については、付け焼き刃である、と考える。
ただし、本人方自身に、向上心とも言う菩提心があれば、付け焼き刃ではなく、きっかけになりえる。
逆に言うと、菩提心がなくても祓えば、菩提心が生まれる、ことも、よくある。
ただ、私は、ひとりで背負わないように慎重に話を進めたのだが、大事なことなので、幸福の科学のことを先にお話をした。
そしたらば、宗教が嫌だから相談をやめます、と来た。
理解できるので、少しお話をさせていただいた。
そもそもに、悪霊がある、というならば、良い幽霊もいる。
生きている人間が目に見えないものを完全に把握してどうこうできることはない。
(やってると言うひとがいたら、その人はズボラなだけ。取りこぼしてる雑魚云々が見えていない)
目に見えないもの、にどう対処したらいいか、は、同じ目に見えない良い幽霊の方にお願いすることが大事なこと。
悪霊に対処できる目に見えない良い幽霊とは、神様のこと。菩薩や天使など。
それを扱うのは、本来宗教であって、巷の霊能者ではないこと。
あの世は確実にあり、自分もいずれ幽霊になること。悪霊や菩薩のどちらになるかをも教えてくれるのが、本来、宗教であること。
霊能者の力が云々で祓うわけではなく、神仏の光で祓うこと。霊能者とは、その神仏や悪霊の働きを認識するひとであって、この世で超能力的に何かできるひとではないこと。
宗教が嫌だというなら、伊勢神宮などの神社仏閣ではどうか。ただ、霊域を見ても、悪霊が蔓延る神社仏閣があるので、認知度が高い清々しい感じがする場所である方がよい。伊勢神宮は素晴らしいから勧める。
と伝えた。
世の中には、いろんな誤解があって、その誤解ばかりにさらされるので、私は黙っているのだが、聞かれれば答える。
そもそも土地云々の影響や、組織の影響、いろんな環境要素からくる影響から、逃れることはできない。
まして、それの悪しき影響を阻止し、良い影響だけ受けるように生きること、が人間の精進として求められていて
努力の上でできないことには、祈願、という神仏への、助けて神様、というコーリングがある。
完全無敵な修行場なはずが、この、人間としての修行姿勢と、神様へのコーリングの習慣が失われてからは、そりゃあ、未解決の呪いも、未解決の不幸、も蔓延して、地獄霊のパラダイスがこの世にできても仕方ないなと思う。
霊体質には、ものすごい苦行の世界になっている。
息子は私ともども、とんでもない霊体質なので、散々に、生きることにまつわる苦労について話してきているが
これもそうなのか
などと質問が増え、対処法と心得を話すと、飲み込みが早い。ただ、体得となると、本人もその難しさが分かるようで、吐き捨てるように
霊体質じゃない生活を一度でもいいから送りたい
と泣いた。霊体質や霊能者が、そもそもに、障害者のレベルで生きづらいからこそ、その特徴を生かした、占いやらなんやらがあるのかと考えたこともあった。
が、私には、それが自分を変えていく人生には思えない。タロットカードやいろいろなグッズを揃えた後、練習を重ねてみてわかったこともある。
タロットカード以外のカードは、そもそも潜在意識が霊視できるなら要らない。霊視の方が早い。
タロットカードは、より現実的な客観的なものを占うものであり、相手方の心に寄り添うめのではない。
ペンジュラムも霊視ができるなら要らない。
(バイアスがかかって霊視が濁るなら要る)
念が宿りやすい石もあるが、石自体に意思はない。石自体がもつエネルギーもあって、こちらの霊力がそれを超えると、ヒビが入ることがある。
…めちゃくちゃ適性があると思われたが、私はそういう生活を選ばなかった。
なんか、不自由じゃないか。ハウルみたいに、魔女よけのグッズを作ることもできるけど、私の感性には合わなかった。
逆に言えば、あんなの誰にでも作れる。やり方さえ知っていれば。
白魔術的なスピリチュアルワーカーは西洋にたくさんいて、セミナー動画とかようつべで見たことあって、マジだなと思いながら見てたんだけど
ああした活動をして、分からないひとがどれだけ習って得たいと思い集まってきても
白魔術のスピリチュアルワーカーが、どうやってその感覚を得たか、の原因に、神仏のそれ、は、必ずあるので
神仏なきにいくらセミナー受講しても、まず、そのスピリチュアルワーカーが見てる世界を理解することは、絶対できないし、超えることもできない。
結果を保証しないいい金稼ぎだなと昔思ったのだが、今もまた、そう思う。そう思うけど、神仏のそれ、にタッチしたいと思わない方には、ちょうどよいエンターテイメント、または、遊びから得る学びのようなものとして有用なんだろうなと思う。
でも、絶対自分でどうこうできないだろう、実現にこだわる精進、努力に、すべてをかけるなら、神仏なきにして、能わずだと思う。
いくらスピリチュアルに不思議ワールドな雰囲気を魅せたとしても、本物には敵わないのだから。