チカラになりたい
書くのもめんどくさいような出来事があって、詳細は書かないが、ポツリと息子が言った。
こういうとき、自分は大人じゃないんだなって。
単に、年齢的なそれで保護者が随行を必要としただけではある。
でも、それを聞いたとき、息子は、大人になりたいんだなと思ったら嬉しくなった。
なんか、役に立ちたいというか、親のチカラを借りたくないという、親のチカラにやりたいという感じで。
でも、自分の分を超したところ、未成熟なところであーでもない、こーでもないと、どちらかというと輩対応なところを聞くと
それは、ただのわやくそだ、としか思ないのだが
もちろん、わやくそだ、それは、と指摘したが
彼の言い分は、確かにその通りで、どちらかと言うと、私を護るような形の主張でもあるから、なんか可愛く思えてしまった。
最近、父が母方叔父の畑仕事の手伝いに駆り出されて、母とも関わりがあるので、家庭のなかで、その関係性にまつわって、思いの動きがある。
母と母方叔父は、水面下で折り合いが悪く、母方叔父のパワフルなやり方と、母の何かがぶつかりあって、母が一方的に生理的な嫌悪がある。
この母の生理的嫌悪感は、母方祖母の特徴によく似ており、心の原因たるもの、は、同じであると推測できる。
また、母の大きな目が時折、豆粒になっていて、その顔つきは、母方祖母とそっくりで、憑依が起きているのは、確実である。
先祖供養の道理から、母が、その原因たるものを打破する要がある。
こういうあらわれ方をするとは思わなかったが、やるだろうとはわかっていたので
(課題としては明らかだった)
さきまわって、それを見据えた祈願を打ってある。また、母方叔父には、繋がりが消えないよう、私から手を打ってある。
母と何かあっただろうことはなんとなく聞いてはいるが、
母方叔父の太陽のような笑顔は素晴らしいし、大変なことが終わったばかりで、始末がつかないのは当たり前だから、時間をかけてほしい。
父は退職したばかりで、時間をもてあましている。
父方叔父は遠方にあり、父にとって母方叔父は弟のようなものだ。
だから、遊んでやってくれと。仲良くしていくのは大事なことだと。
そうやって、母方叔父は、私の応援を得て、父を畑仕事の手伝いにかりだしているわけだ。
あまり身体の負担がない程度に、楽しむ程度であるといいけど。ストイックにやるときついからね。
で、母方叔父は、手土産に、いちぢくを父に持たせる。
そう、私が、いちぢくをどこで買おうか、探している間に、こうして、引き寄せが起きる。
たいてい、引き寄せは、自分を愛してくれる人から与えられる。
それは確かだ。
サクセスで、人間関係調和の瞑想をしたとき、ある方が、お子さんの入学金を心配していたが、その瞑想相手から、入学金に充当できる額をいただいたことがあった。
覚えているだろうか。
それは、確かに、その方が、ある方を心から愛しているという真実をあらわしている。
私が最初に引き寄せの流れを見たとき、それは相手は、母と夫だった。その次に父であった。
その頃、私は、家族と折り合いが悪く、もっと言うと、信仰によって、家族が断絶した時期であった。
だが、その、引き寄せ、の様子を見ていると、まがいものとそうでないものが混じっており、そうでないものを確かに送れるものというのは
つまり、私に必要な確かなものを引き寄せてくださるものは、私を愛しており
私に必要なものでない、詐欺に近い、数十年したら私を不幸に導くようなものを与えるものとは、私を愛しておらず
奪うと与えるを、引き寄せのなかで、よく観察してわかったのだった
(分かるまでに5年。ただ、新しいものはいまだにわからないのでよく観察している)
必要でないものをあたかも与えるように見せるものは、私を愛しておらず、
間違ったものだとこちらがわかった上で、ぶつけてこざる得ないものは、私に足りないものを持ち、その上で私の何かを必要としており
(交換かな)
無償に愛するものは、一方的に引き寄せてくださる。
私が母にするように
自分が息子にそうされたら、私ならどうするか、を思うこともあるが
私の母は、屁でも思わないのだろうな、と私はほくそ笑むのだった。
次の起死回生は、母の予定である。