ヤギさんの言うことには。
むかーし。と言っても6年くらい前かな。
ある子の様子を見て、怒ったことがある。叱ったわけではない。怒ったのだ。
その当時、はからずも、父が、アクシデントに近い形で三帰したことがあった。私は、ほうほうのてい、で、父がどんな場面で三帰式を迎えたか、もう、記憶にすらない。
気持ちも身体も、失神状態だったかもしれない。その時期、父の三帰のために、5.6時間、御本尊の前でぶっとおしで祈った。ある人によると、精魂尽きた、と表現されたが、たしかにそうだったと思う。
私にとって、父の三帰は、奇跡を超えたもの、だった。
そんなときに、まわりに起きた出来事のなかで、それもまた、私にとって、耐えがたい怒りを感じるもの、があった。それはたしかに、怒ってもおかしくはない出来事だった。
でも、私は夢を見た。
あの、宇宙人、で言うところのヤギさん、が私にお説教をされたのだ。
ヤギさんと繋がりがあるのか、と言われたら、ヤギさんの研修は何回か受けており、ヤギさんの話はよく覚えていた。フラクタルの話をされたとき、それがどういう意味なのかを、ヤギさんの目線で、よく考えたものだ。
ヤギさんとはマンツーで話したことはないが、食堂で、背を互いに向けてあるのに、背中にある目で見られている気がしてならなく、話しかけられないように、気配を消そうとビクビクしたのも覚えている。
悪霊を霊視するとき、あちら側に気づかれないようにするのだが、その感覚に近いものだった。しかし、ヤギさんの視覚から逃れることはできないような確信があり、ビクビクしながら、その荘厳な波動に、やはりビクビクしたのだった。
で。夢は。
父を研修に連れていくが、時間に間に合わずに、参加できないという夢だった。そもそも、私は、研修に父を連れて行くなど、つゆほど思わず、夢の中の行動と、気持ちが一致しないで、なんでこんなことをしているのか、と思っていた。
間に合わないので、あれは、卒塔婆だろうか。野花畑にある小さな卒塔婆。野花をちぎって遊び、気を紛らわせていた。
そこにヤギさんが来た。
ヤギさんの研修に行った直後でもないし、ヤギさんに特別な想いがあるわけでもないので、ぎょうてんしていた。
ヤギさんの言うことには。
「この世に降りて、仏との縁を結び、仏の教えを直に聞き、研鑽することができる研修を受けることは、針の穴をくぐるほど、奇跡に近い。
そのように、一心に咲いた野花を蹴散らして歩くな。ひたむきに花を咲かそうとする、小さき花を笑うな。
より優れたものとは、羽柴秀吉公のように、ひととの縁を…」
という内容までは覚えている。私はびっくりして、言わんとすることをマスターしようなどとは思いもしない。自分が思うことや判断したことに疑いを持たずにいたのだ。怒りはすれど、相手をどうしようとも思わないので、だからこそ、この夢に、驚いたのだ。
夢を見た後、不思議な気持ちになった。
その夢の言わんとすることの出来事は、父の三帰後のことや、私が怒っていい出来事にまつわること、私に足りないもの、に違いなかった。
そこから、6年。家族伝道と養成にまつわって、いろんな体験をした。失神しそうな意識のまま、ただ、息をしている、ような時期を、雪崩と一緒に転げ落ちるように、時間を過ごしてきた。
怒涛のような日々、つらい出来事の数々、頻繁にあった衝突、は、やっと、私が楽にこなせるようになって思うこと。
仕事も新しい分野に変わって、仕事から学んだことが、家族のそれ、に、生きたこと。仕事が変わったのは、そのためではないかと思うくらいに。
仕事を通じて、よくわかったこと。教育業界のメジャーゾーンでは拾えない人生のこと。支援業界のこと。心理業界のこと。
それらを通じてわかってきたこと。生かし方。許し方。愛し方。
ヤギさんの言うこと、が、世界を広げて、理解できるようになったこと。
夢を見たあのとき、こんな未来が待っているとは思いもしない。
その人の人生に合ったこととは何か。
心のマネージメントは、この世の能力とは全く関係ない分野であること。
心のマネージメントは、この世的な解決をゴールとしないこと。
この世的な解決は、やはり、その人に適切なものであること。
それを支えること。
野花を笑うな、ということ。