らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

母へのエクソシスト(追記あり)

ハトホルピラミッドの悪魔の総攻撃を受けていると思われる私は、今の所、順調に法施ができているように思われる。ちょっといい気になって足元をすくわれないようにしたいなとは思うけれど、

「優しく」「癒やし」ながら「法」を「伝える」「無償の愛」

だったか、どうかはわからないが、母を筆頭にして、母方祖母を亡くしたことを契機に、母の兄弟姉妹が今までの確執にいよいよ終結させるような大きな問題が勃発した。

遺産問題。

遺産の問題には、あまり興味はないので、そこはいいだけれど、それにまつわっての心の態度については、私を育んでくれた方々には感謝すれど、「ぶちキレている」


食卓の時間に、母の弟への愚痴大会の電話を聞き取ったときには、でかい声で言った。
「いじめてるだけだろ」
「死んだ人は死んだ人の業でそうなっているだけで、自分が何かしてやりたかったのであれば、行きているうちに何かできたはずだろ。それができなかったのは自分の責任だろ」
「できなかったことをひとのせいにするな」
「そのひとに伝えきれなかったのも自分との関係の結果、であって、自分が未熟だったからだろ」

だって、だって。。。と母と叔母が言うのだが

祖母が背負ってくれていたおなじみさんが今拡散して、拠り所を探しているから、そうやって、「ひとを責めたい」なら、それだけの覚悟をしろ、と言ったら、静かになった。

というか、電話が切れた。電波なのでこういうことはままある。

なので、決戦の日を迎えるにあたって、母には指導をした。もちろん、母がおかしなことにならないように。それ以上のところは、母の精進だ。
「死んだ人と死んだ人を世話してくれたひとに感謝しなさい」
「絶対に責めるな」
「自分の立場の責任の範疇だけ、を考えなさい」

二段ステップを踏むと、周囲がわからなくなるので、まず、そこを目標とさせた。だいたい、自分の役割以上の霊的な責任はおえど、現実的なその部分では、責任の範疇および心遣い、より前に出れば、衝突が起きるのは確かだ。それでも、能力的にひいい出て、周囲が甘えている場合は、役割以上のことをやらせようとするのは自然の摂理だが、それなら立場を与えるべきだ。ただの「依存」の発生原因になる。徳、というものは、立場相応だと思う。

二段ジャンプは、経験済みなのでww
あまりやらないほうがよろしい。

母の妹のうちひとりは、そういうことで話がついた。うちに遊びに来たとき、私はひどい頭痛になっていたので、そのタイミングを逃したが、母がやればいいと思う。そう、問われているのは母の精進だからだ。

そうしたら、母のもうひとりの妹が、くも膜下出血で緊急手術となって、機能再生祈願を受けることになった。

コロナ禍で、父は「死ぬ恐怖」に耐えているのだが、手術の件で「恐怖」が一段と父を襲っているので、父はピリピリしていた。私の不手際で、飼い猫が粗相したのをとって、飼い猫に虐待をした。なので、私がキレた。何があっても何が理由であっても「暴力」の根拠にはならない、と。

そして、死に対する話も出て、父は私の作った「夕食をたべない」、2歳児を呈した。

私はというと、言いたいことを言いたいだけ言って、父が食べれる和食も用意したが、食べないということだった。甥も「ばあちゃんのごはん」じゃない、西洋じみた夕食を、拒否した。食べたいもんを食べればいいと言って、私は気にしなかった。

だいたい、私は、それで怒ったりしない。くだらないよ、そういうの。

私のつくる食事は、夫には好評である。私はハーブを使う食事がメインなので、そもそもに母がつくる味、を作れない。胸肉に下味をつけた後、小麦粉をつけてカラっと焼いて、トマトソースととろけるチーズをおいたのと、タコとネギのペペロンチーノ、海藻サラダだった。トマトソースが上手にできたので、ミネストローネもできた。

私の好み、は違うので、私が料理を追求すればそうなる。母のキッチンに必要なものと私のキッチンに必要なものは違うし、洗濯の工夫、もちがうと思う。母のやり方から見て「あほか」と思われることが、私のやり方では「効率がいい」こともある。なので、気にしない、気にするレベルがひとと違うことをとって、「やれない」と思うのは違うと思う。やりたいようにやらせないからであるし、じゃあ、やれよ、というのなら、出てくとなるし、このあたり、出ていけばいいことだと私は思う。

生活レベルは折り合いの塊、だと思う。自分を主張するほど、あほなことはないと思う。
なので、私は自分の生活に必要なものをキッチンに置くのをやめた。母には必要ないからね。

私は、母から母の味を覚えたいとは思っていない。そして、それをさみしいことだとも思っていない。私が、自分で学ぶ方を選んでいるだけだ。知りたいことができたら、母に聞く。でも、私は、あんこは井村屋のカンカンがおいしいと思う。

自分の主張が正しくて、相手を習わせているというのもおかしなことだと思う。父が宗教を学びたくないのならそれでいいし、私が学びたいなら学ぶのを止められないように。それをどっちかが操作しようとすれば、衝突が起きるのは当たり前の話だ。

だけど、私だって私の意見は言う。
母だって、父だって、自分の意見は言えばいい。

母に憑依されたら、もう、口からは、黒いモヤをまきちらすばかりか、ムカデや虫がそこからわさわさ出て、仕方ないんだもの。一緒に生活できるかねwでも、そういう視界ポジションで視ないようにはするけれど、そのムカデが私の体をつたうのも当たり前で、どうやって処しているかというと、私につたいはうことができないくらい光を高める、に徹するように最近はしている。

知ったこっちゃねぇよw

それって優しいの?って言われたら、実は、これが一番効率がいい養成だと最近知ったのだった。

慈悲魔は本当に魔だと思うよ。


で、母は母の問題で、母方祖母が亡くなった悲しみまもなく、母方実家のあれそれに巻き込まれるのだった。母は、妹のくも膜下が、弟の生霊ではないか、と言っていたが、そのとおりである。

でも、前記事で伝えたように、それも因果応報だ。なぜならば、タイミングがなぜかあって、私は手術したほうの妹とライン電話で言い合いをしたからだった。決戦の日の晩、母にお礼を言うために、つまりは、愚痴大会をするために、母に電話したが、母は夕飯の片付けをしており、私へおばは電話したのだった。

電話を取り次いでくれと言ったが、拒否した。もう母は疲れているので休ませたいと言った。明日にしてくれと言った。それで、おばは、私に「愚痴」を履き続けた。相手は誰でも良かっただろうと思われる。こういった具合の悪心というのは、共鳴してくれるひとを探して話をするものなので、母がより理解してくれると判断したためだろう。無意識に。

話を聞きながら、それまで世話してはりつめていたものにそこまで求めるのは酷ではないか、と伝えた。10倍がえしでギャンギャン言い始めたので、ため息をつきながら、それがおかしいというなら、世の中ぜんぶがおかしいよ、と言った。そんなことはない、と何度も、私の言葉を跳ね返してきたが、はっきり言わせてもらうと

おばよりも多くの人様の家庭での出来事を聞いてきたと私は自負する。

どこにでもある話だ。そんなものは。

責めてどうにかなるものではない。

なので「癒やして」「感謝して」折り合いをつけたらいいと言った。でも、もともと「縁を切る」つもりで決戦を迎えたので、せいせいしているとおばは言った。私は、笑った。そんな心の態度で臨んだら、そもそもに、そうなることは目に見えてわかると思った。主張そのものの心は、蛇が巻いていて、その行動は修羅だなって思った。なので、このひとにも「休息」が必要なんだと思った。

「癒やしてくださいね」
「悪霊が舞っているので、母方実家には感謝できる距離をとってはじいてくださいね」

と伝えた。そうするとちょっと落ち着いてきた。この叔母はひとの話を聞かないので、どうするかは知らないけれど、それも叔母次第だと思った。母には現状を報告した。

母は、ひととの心の距離が近く、「自分がない」だけ、ひとを憑依するので、こういう激しい悪心の主張には、同調しがちだ。重い圧をはじくかのように、その体格は、「太っている」。健康被害も甚だしい。

手術が終わり帰宅して、母と話す。話していくと、縁を切る切らない、といった叔父には、この件を伝えないとのことだったので、めたくそに糾弾した。叔父の嫁さんは、泣きながら「こんなことになるなんて」と決戦の日に訴え、「みんな仲良く」と言っていたので、叔父の嫁さんに伝えるべきだと言った。

そしたら、ものの見事に膿が出た。


ものすごいとぐろをまいて、しかも家族のラインで。なので私も、家族に飛び火しないように、しっかりと反論した。


貴方のいうところのそれは、そもそもに、叔父に限ったことではなく、父への批判をするときも同様のことを言います。つまり、そうしたひとへの「悟り」をもたないことによります。あくまで貴方の課題であって、叔父の問題ではありません。

貴方がみている叔父の姿は、叔父の本当の姿ではないでしょうね。

その自分にこそ、問題を感じるべきですよ。


そうすると、私の真ん中妹がこけて、耳石が転がったのか、みぞおちをなぐられたかのようなむかつき、痛みを感じる今、です。

ああ、そうですねw

異性への憎しみを滅したのは、私と下妹だけですからね。少女と殺人鬼の課題ですよね。無償の愛がテーマですよね。全体的に、今、この家族は。

そして、父の訴えからは、ハトホル思想を感じます。

ハトホルの攻撃は、虫被害と感染症でしたかね。ちょっと、私が本元を祓えるかは定かではないです。もうちょっと雑魚魔を祓ってから、たちゆかなくなるときがくるでしょうから、そのときは悪魔祓いですね。

やることは精進に寄り添うことだけです。

後は、それを通じて、「私の精進」を深めることに私は徹します。
なので、時間の問題だけで、私に勝てる悪魔はいません。
追記 私の精進、は、私が決めたものですから、やり続けますよ、その意味で、私の精進がやまることがないので、必ず勝ちます、という意味合いです。 かつて、私は今世は無理だと思ったことが、そう決めたときに、3年もしたら実現したことがありました。その確信は、私に勇気を持たせました。 私がエルカンターレ信仰に生きる限り、主が全能であるために、こうした恩恵をいただける、というものです。 そういうことが当たり前なんですけど、私の日記は、精進の気合い、でできてるので、こう、齟齬が多発することは多いので、気をつけなければなりませんね。 私は、そもそもに、ただの神の道具のひとつにしか過ぎませんよ。