らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

実は

父は、実は、私から「課題」を、たぶん、2,3日に一度与えられている。

心の渦のうねりを把握されてしまっている、家族のみなさんは
(夫は放牧状態だが)

私と会話するだけで、今、迷っている「それ」をつきつけられている。ちょっと、かわいそうでもある。


定年を迎え、嘱託職員を経て、無事、年金生活に入った父は、どうやって生活して良いのか、まるで計画していなかったので、母にぼんやりとしたそれを「押し付けている」。それに乗れないお前が悪い、と。そして、それは、とても「しつこい」。

母は母で、自分の生活リズムを狂わされ、父への理解をしていても、それでも「疲れている」。


何度かのやいやい病を娘の私にとりなされながら、ときには、父方祖母に「叱られ」ながら、父は、四面楚歌の状態に入った。このやいやい病は、次男が進学してからなので、2年だろうか。長男が進学してすぐは、母のやいやい病だった。だとしたら、もうすぐ終局を迎えるのかもしれないな。2年ごと、なら、そういうことになる。確かに、その道筋、は見えてきた。

母のやいやい病もひどかったが、私だけのストレス下だった。父のやいやい病は、家族全員がストレス下にはいるので、家族のメンタルケアと教学実践を示すとともに、とりなすだけでいいが、どっちも私が大変なのは確かである。大変さの質が違う。

年末、「祖母が絶対」の父が、祖母から与えられた「司令」は、「怒るな」であった。齢67にして、修行のことはじめのそれは、ようやく「母」から与えられたのだった。

その祖母へのSOSを発信し続けたのも私だった。父と母と祖母のおそろいのブランケット、という「賄賂」を経て、ようやく「愛」を感じられた祖母が、重い腰を上げた。ガチガチの唯物論の祖母だ。

ちなみに、唯物論者を霊的に見ると、脳みそにはうじがわいていて、ハエがたかっている。葬式であまりにも見たので、たくさんのひとの脳に、網ですくって祓うイメージをした。ひとりぶんで、網はいっぱい、になる。ひとすくい、で、きれいになることもない。残念なことに。なので、それを視ることも、どうにかすることもあきらめて、調査だけして、視ないでいいことにした。

なので、ハエ仕立てになっている状態の方は、肉眼でも、ちょっとした、部位のいくつかで判断できる。どれくらいの程度かもわかるが、ちょっとひどいと、かかわることが難しくなってくるのも、確かである。だから、わからないふりをする。


あるロシア出身であろう指揮者のもと、行われるオーケストラに「老後の希望」を見出した父は、動画にでてくる老夫婦たちのように、母と幸福な笑顔を過ごしたいのだと、誰でもわかる。

わからないと思っているのは、本人だけだ。

指揮者のちょっとしたフリートークを通訳して(英語)、指揮者が伝えるある哲学を伝える。

「人生には問題がたくさんあって、喪失や苦しみもあるけれど、誰かが助けてくれるという幸福は最も美しい。」

「太陽のように光輝く瞬間も、また、素晴らしい」

「もっと気楽にして。もっと味わうということを大事にして。そうやって、希望を味わって、奮い立たせる音楽を」


奇しくも、FEELINGという言葉がでてきたので、私は、味わうということから、音楽を味わうことを父に伝えた。神様ごとだと拒絶して敵わないのだが、ひとを通してだと、こうした話は伝わるのが父だ。

老獪だから幸福を味わう、分かる。
海外のひとだから、異国の方を尊重できる。
現在だから。

そういう見立てを、全部、私につぶされる。

この方たちだって若いときはあった。若いからと言って、こういうことができるわけではない。
エスコートすることを知ったほうがいい。

お父さん、僕も、らいらとできるよ。この前だって、らいらが喜びの舞を踊っていたけど、僕は馬鹿にしたりしないで、一緒には踊ってないけど、楽しかったよ。(踊れよw)

海外のひとっていうけど、アメリカは移民の国だから、人種差別が激しかったんだよ。こういうイベントをたくさんやって、たくさんの交流をやって、そうやって、差別を乗り越えてきたからこそ、こういうことを大事にするんだよ。その努力はずっと続いていると思うよ。

平安時代の日本は、実は、女子が強かったんだよ。経済的に豊かな女子はいたし、高利貸しをしていた女子もいて、それが認められていた時代なんだよ。その後、戦国時代がくるから、変わってくる。

こっちの国は逆で、もっと昔は、もっと残虐で殺し合いしかしていなかったんだ。でも、賛美歌から派生して、こうやってこうでね、時代は変わるし、順番が逆の国だってあるんだよ。

日本人の感覚のまま、異文化を理解しようとしても理解することはできないんだよ。

あのね、おとうさん、こういうフラッシュモブは個人でやるやつなんだよ。エンターテインメントというのはね、感動させる、ということはね、喜んでもらいたいという発想からやるんだよ。

そんなオーケストラとかっていう、娯楽の権威を使わないで、自分の心をつかって、このプロポーズした男性のように、女の人に喜んでもらいたい、に尽くしてやればいいんだよ。お母さんを感動させたかったら、お父さんの心だけでやることだね。オーケストラなんかでは、感動しないよ。


ここまで来て、ようやくフラッシュモブはきらい、と言って、動画を落としてしまった。会話の最初から、課題をぶっこまれているのに父が気づいてたかは私は知らないが、ここで、はっきりと、私から言われたことが、ぜんぶ、自分の母への「なにか」を指導されていたことを、わかったとは思う。あの、慌てぶりはひどかった。

そんなやりとりを見て、母と夫はニンマリと笑うのだった。
(さんざん、母も夫も私につきつけられてきたからでもある。)

そんな父は、普通だったらかなりむずかしいこと、ができる。娘に諭されてうなだれながらも、最終的には納得する、という「奇跡の昭和男」、なのだった。本当に、そのところは、どんなひとでも、なかなか、できないことなので、父はすばらしいひと、だと思う。



そして、私は、、、嬉しいことが起こると、エガちゃんみたいになる。それは、やめられない。