らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

祈願の大切さ

祈願を受けても実感が湧かない、わからない人のために。

 

こう、言えば分かるだろうか。

 

アカシックレコードとは、いくつかの種類に分けられる。公的なもの、個人的なもの。

 

公的なものは、世界を統合するような、魂が繋がった世界樹の1番の核のところにある。この情報公開権限は、その核にアクセスできるもの、だけ。

 

この核にアクセスをするのは至難の技で、どうやってやるかと言うと、自分の魂を使って、その世界樹と繋がった部分の意識ゾーンから、自分の魂に見あったぶんだけ、つまり、共有地帯の部分だけ、自分の身体を使って、ダウンロードするのだと思う。

 

私なぞは、そんなことをしたら、たいていは、意識がホワイトアウトしてしまい、情報らしい情報は、ダウンロードしたとしても、ものすごく潜在的にしか理解できない。

 

かえって、個人のアカシックレコードとは何かと言うと、魂、にある記憶情報媒体である。つまり、想念帯、にあたる。

 

このあたりの情報公開権限は、ダウンロードする側が、やはり、どういうひとか、に拠る。世界樹を介してもあるし、そうでない場合もあるが、やはり、ダウンロードする側相応である。

 

この想念帯、今世生きている側、にとっては、そこに、今世の人生たる理由が、すべて詰まっているのにもかかわらず、ほとんどが、そのコントローラーを持つことはできない。

 

瞑想、で、ある程度の、少しの情報が手に入れられて、ラッキーくらいで、その様相を知る私も、また、コントローラーを、顕在意識、つまり、表面意識、で持てることは、ほとんどない。

 

研修にいけば、顕在意識を保ちながら、それにタッチすること、は、ある程度可能だが、それも、また、とても難しい。だから、重ねる必要がある。

 

私自身が、なぜ、祈願を重要視するかというと、祈願というものは、実によくできていて

 

◯想念帯から、ゴミ箱に入ったままの、黒い記憶媒体を、光をぶちこんで、顕在意識に浮き上がらせる。

そこから、日常で、課題が出現する。祈願時の心のかんじ、世界への感じ方も、気に留める。それが浮かびあがったものの正体でもある。

 

◯日常に浮かびあがった課題がどうしてもうまくいかないときに、光をぶちこんで、流れをよくする

時間を早めるという意味。時間を長く使って課題を解くのではなくて、短い時間で、早く気づいて、解放されるために。

 

◯魔をはじきとばす

その想念帯の黒いとこに、その黒いのが想念帯にしっかりとくっついて離れないように、または、その想念帯の黒いところから、世界樹のそれと同じように、地獄界からアクセスして、光を奪うことができるようにみはっている悪魔が必ずいる。それごと、はじきとばせる。

 

 

まあ、いろんなメリットがあるが、基本的に、その過程は、目に見えない。目に見えないところにコントローラーがあるのに、そのコントローラーを私達はもてない。

 

そのコントローラー自体が、目に見えないもの、だし、目に見えているなら、すでにどうにかなっている。

 

だから、どうにもできない、どうしたらいいかわからない、自分ができることがわからない場合は

 

基本的には、そもそもに、祈願に頼ることからしか、スタートが切れない。

 

自助努力の意味を知り、自助努力を重ねている人ほど、この部分がわからない人もいるが

 

↑の意味、私が今、パッと思いついただけのそれは、最低基準で、もっといろんな意味があると思うが

 

それがわかった人ほど、祈願を重ねずにはいられなくなるし

 

その上で自助努力を重ねることをよく知ってあると、私は思う。

 

そういうこと、で、祈願は、精進のなかで、私はわりと過多にあると思う。

 

まだ、チカラが足りないからね。

 

因果応報がわかっても、想念帯の因果応報までわかったとしても

 

その部分を光に変えるのは、祈願ありきだと私は思う。