らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

コロナになぜかかるのか

信者なのに、なんでコロナにかかったのかなあと、ゆきひめからラインがきた。

 

な、何、言ってんだ。

 

言葉を言いかえてみろ笑。

 

信者なのに、なんで風邪をひいたのかなあ?

信者なのに、なんで交通事故になったのかなあ?

信者なのに…

 

(以下略

 

そりゃ、普通に考えたら、あるだろうよッ!!

 

じゃあ、かからない状況ってどういうこと?って言うもんだから、テキトーに答えちゃった。

 

なので、ちゃんと説明しようかなって思う。いや、経典を読む方がいいのか。

 

霊的なものをそのまま現実にもちこんで考えたら、ゆきひめみたいな発想になるだろうなとは思うわ。

 

でも、コロナにかかった方は、なんでコロナにかかったのかな、と思われることについて考えるんじゃなくて、何かしらの自分の人生にとって、神様が喜ばれる自分の高め方を得られたら、もうそれでいいんじゃないかな。

 

だけどさあ、ハッキリ言って、私たちは、コロナにかからないための生活が目的ではないでしょう?それと同じで、病気にかからないための生活が目的ではないでしょう?

 

不摂生もするし、不健康なこともする。自分の意思とは関係なく、致し方ないこともある。

 

言い方を変えてみる。

 

ダイエットのために一日がある人と、ダイエットしたいなと思う人がいる。ダイエットのトレーナーは、それが仕事なんだから、四六時中それを考えて、ダイエットの知識が増える。

 

トレーナーの優先順位第一位は、ダイエットなわけだ。

 

でも、ダイエットしたいと思う人は、実はダイエットは優先順位が低くある。

 

私だってそうだ。ダイエットしたいと思うけど、それよりかは、仕事だ。疲れたら食べる。仕事能力が、ふらふらな体を理由に低くなるのは迷惑なので、許せない。

 

ダイエットしたいと思うけど、家族が大事だから、家族が揃う夕食は必ず食べる。おしゃべりを大事にしてるから、ついつい、食べたくないのに、時間をやり過ごすために、箸が進む。

 

主人は早食いで、私とペースが合わないので、主人に合わせる。食べた後、お腹が痛くなるけど、先日、ゆっくり食べていたら、旦那が切れた。もちろん言い返したけど、そーゆー理由もある。

 

ひとには優先順位というのがあるから、必要ぶんの努力が満ちてないなら、そんなもんだと思う。

 

そもそも、霊的な意味ではいろいろあるが、そのパターンは経典を読んでいただくこととして、免疫力が高ければ感染症にはかからないというのは、そのとおりで。

 

じゃあさ、免疫力が高い状態をキープするって、どういうことだと思う?

 

音楽聴いてれば免疫力が高まるの?

 

なわけないじゃん。妹は免疫力を高める御法話を毎日毎日聴いてるから、免疫力を高めるための意識をキープしてるってことになる。

 

それに、免疫力って、メンタルもかなり関係してくる。毎日ルンルン🎵って、はあー今日も楽しかったあ♡って満面の笑みで一日が終わってる?妹は、毎日そうやって生きてる。

 

主人と私で、同じ菌だろうと思われる風邪で、私が37°で、主人は39°。体質もあるだろうけど、そもそも熱以外に風邪症状はどちらにもなかった。熱だけしんどかった。

 

ちなみに、悪霊がよってきたのを跳ね返すときに、子どもは原因不明の熱を出すことがある。実際、若干、喉が腫れてるとか、そういうかんじ。

 

よく考えてみたら、三次元に生きていて、悪霊に接触しないで生きることなんて無理で。

 

それができるとしたら、毎日毎日、自分が成長したとはっきりわかる、自分の未熟さの発見という反省と、これからどうしたらいいかの試行錯誤が正道である必要がある。

 

間違えるから、生まれてきてるんだろ。信者なら病気にならないとか、事故に遭わないとか、極端過ぎる。

 

病気は、ひとつの、自分の反省などの気づきを得るきっかけ、感謝行としてとらえたら、みんなハッピーになる。そういう生き方をした方が心にいいよって話。建設的じゃんか。

 

 

 

でもね、霊的に言えば、たしかにそうなんだ。霊性に目覚めなさいって言われて、霊的にみたら、たしかにそんなものでもある。光でパンパンなら免疫力も高い。

 

音楽は、それの補助輪。だから、補助輪も使わせていただきながら、自分の霊性を磨く。その、磨く、をはしょるから、結果だけが流布する。

 

霊性を磨く、から、、、

悪しき次元と意識が波長を合わせなくなるから、、、

幸福が引き寄せられるんじゃんか。

 

 

おたふくでも頬は腫れない。熱も上がらない。そゆこともある。事故も遭わない。そゆこともある。

 

なぜそうなるかは、理屈があるわ。その理屈が分からないなら、なんで、信者がコロナにかかるかも、理由として、分からないかも。光でパンパンに生きてるって、すごく難しいのよ。

 

朝晩、霊性を1番高いとこで神様と交流して、さらに、霊性を高めるためにその光をまた使って。。。高める前には闘いが常にあって。気づいて反省して。。。

 

光がパンパンなら、不幸をはじくような人生を歩む。あなたが考える光がいつもパンパンな生活って何?

 

修行場、で、それは実現として、あり得るかもしれない。でも難しい。自分がパンパンな状況かという確認はあるのかな。

 

救済してたら、いつでもそういういい時期ばっかりじゃないって分かるじゃない。メンタルやられるときは、当たり前にあるでしょ。修行なんだから。隠したって、あるもんはある。だから修行。

 

私は、光でいつもパンパンだとは思わないから、勉強する。気付こうと思う。気づきたいと思う。わかりたいと思う。

 

よく考えてみたらいいわ。そもそも、不幸、って何?

 

それ、そもそもに、その不幸は貴方が感じるだけで、世の中では当たり前のことかもしれないよ?

 

因果応報でのそれ、なら、原因を明らかにした方がいい。改善されないなら、当たり前にあること、かもしれないし、当たり前じゃないなら、幸せになるために自分で努力したらいいだけでしょ。

 

(私に、それはあったわ。今でも、知らないだけで、あるでしょうし)

 

でも、私たちは、心を学んでるから、心さえ…と言うなら、ちょっと違うんじゃないかな。

 

心は大事だわ…だけど、心を変えるために、行動から変えることの重要さを知らないなら、それは問題だわ。結局、行動で変わらなければ、心は、変わってないのに。同じことを繰り返してると思う。

 

心を変えて、行動を変えて、成功してから、また、心を振り返って、確信までいたったかを振り返る。行動を変えてからの心のふりかえりと迷いを祓うも必要だって、分かると、私は思うの。

 

 

 

コロナにかからないための必要最低限の取り組みを、どんなことをしてたんだろう。

 

信じるってことは、もし、コロナにかかっても神のせいにしないってことなんだよ。

 

私は、コロナ対策してないのに、コロナ系祈願をして、コロナかからないでいるって信じるって、ちょっと違うと思う派。

 

そんな私は、コロナ対策する。だれかがそうしたからどうとか、で考えない。判断材料にはするけど、ひとと自分は同じではないから、私の状況に合わせて、自分にマッチしたものを考える。

 

私の自分の身体の状況もある。それまで、神に面倒をみさせるの?

 

神を信仰しない人は悪人だと聞いたことはあるが、それは、その通りだと思う。だが、それは、現実的な意味での悪人、ではないのも確かだ。

 

神様を指針として精進しないなら、豊かになるためにひとに感謝されるよう、自分を高める事で、徳が積まれるということは起きない。そういう意味の善人に、神を信仰しないものがなりえるわけがない。だから、光パンパン、には、なりえない。

 

でも、信仰者も光パンパンは難しい。

 

総裁が、腹水を溜めたとき、それを排出するのに運動をした、のと同じように、身体の健康のために、何をしたのか。

 

私は、運動が嫌いなので、病気になっても仕方ないと思う。私なりにできることはする。病気にかからないことに、私は関心が強くない。それよりもずっと関心が高いのは、神様のこと、人間のことを正しく理解すること、だ。

 

私たちは、肉体ではないけど、幽霊でもない。

 

「肉体に宿る」魂だってこと、この肉体に宿るが抜けてんじゃないかな。

 

そのあたりがよくわかってないぶん、祈願のかかり方に疑問をもったり、祈願が実現しなかったりするんじゃないかな。

 

祈願がかからない、祈願が実現しないには、必ず理由がある。長い目で見たら実現するものもあれば、実現しないものもある。

 

長い目で見れなくて実現しないことは、私にもたくさんあったけど、それは、わからなかったことがたくさんあったからだ。

 

そのやり方で実現してはならなかった、とわかるものだ。

 

実現してはならなかった、と分かるものだ。

 

 

悪魔とのかけひき、みたいなもので、神と思い込んでいたものが、実は悪魔がやりこんで実現したもの、もある。

 

その見極めもつかないで、やりこみもしないで、結果を信じる、なんてことは、ただのご利益だ。

 

御利益信仰は、立派な狐信仰だよ。

 

 

コロナにかかった、かからないで一喜一憂するんじゃなくて、もっと違うことあるだろ、と思う。マスクする、しないだってそう。私は、忘れてしまうから、最近は神の前に立つとき以外はマスクする。(失礼だと思うから)

 

交通事故が小さい事故でよかった、反省できることはして変えていこう。

 

風邪が軽くて良かった、神様、ありがとう。

 

事前にいろいろ対策を教えてくれて、ありがとう。

 

今はこうだけど、神様が見守ってくださる。ありがとう。

 

 

必要以上に、混乱したり恐怖したりするなら、それこそ問題だ。

 

悪魔の防衛術もだし、もうちょっと、病気の霊的理屈を学んだ方がいい。

 

光がパンパンを維持するって、そもそもに難しいんだよ。生きてるんだから。だから、精進を重ねるんじゃんか。もうちょっと、丁寧に考えようよ。自分の判断力を高めようよ。

 

だって、私たち、学んでるんでしょう?

 

それでいいじゃない。もっと、等身大の自分を高める方に、謙虚であれたら、それでいいと思う。