コーヒーは罠
昨日、眠れなかった理由が
実は、コーヒーだと気づいた。
私、めちゃくちゃコーヒーが好きなんです。コーヒーの香りが大好きで、癒されるんです。
けど、眠れない時期とコーヒーの関係を観察してみたら、見事に、コーヒー飲んだ日は、最低夜中1時までは眠れないことが分かった。
気をつけるようになって、夜中0時をまたぐことがなくなった。
だけど、やっぱり好きだから、喫茶店に入ったり、いい香りに負けた日は飲んでしまう。
昨日は、夕方4時に、2倍以上に薄めたコーヒーを飲んだことに、今朝気付いた。
その話を母にすると、目を丸くしていた。へんな生き物を見るみたいに。
一般的なアレそれがすべての人にあてはまるわけでなく
私の体質はそうだという話で
そうした体質うんぬんが自分と違うことに
目を丸くしたのだろうが
だから、自分のことは、自分がよく知らないと大変なので
自分のことを、自分で、よく観察することと
周りの人がそうだったからと言って
自分もいつもあてはまるわけではないから
周りの話を参考にしながら
自分で主体的にマネジメントすることが望ましいということなんだけど
…母の世代は、親が絶対基準なこともあって、こうした自分の細かいことを理解してマネジメントすることよりも、言うことを聞く、というスタイルをとる。
それは、マネジメントするが是の世界では、どえらい依存的にも見える。
しかしながら、自分の世界観にこだわりすぎて、周りのアドバイスを聞いて、わかるまでチャレンジしてみる、も、ちょっと怖いかもしれないが
真実、のことについては、先輩方のものの見方を知ることからはじまるので
依存的にも映るかもしれない。
でも、それは一時的なもので、ある程度のノウハウが分かれば、いずれは、自分でマネジメントしていく、そのさまは
新人教育、と変わりないもの、だなと思う。
私にとって、一時的な快楽を求めたコーヒーという罠が、睡眠を妨げる苦を与えたわけで、私にとっては、コーヒーは罠だが
私にとっての話であって
コーヒーを飲んでも眠れる方にとっては、罠でもなんでもないのだ。
その上、コーヒーに耐性をつけるために訓練する必要もない。
ちなみに、幽霊や生き霊とかに、体質的に強い人には、私みたいな、対処法が必要かというと、
コーヒーと同じことで必要ないかもしれない。
だがしかしながら、霊的な実態は確かに同じことなので、違う意味での
つまり、ユートピア実現のために、とねらいを変えた他力は必要に思う。