久しぶりに
今日、鉄骨構造の建物の一室にいて、ビシィって鳴る音を聞いた。
ラップ音というのは、温度差などで起きるものではあるが、
魔を祓っている場面では、よく起きるので、私は確かにそうだろうなと思う。
ラップ音だけでなく、物が落ちたり、いろいろあるけど。
ただ、逆に、ラップ音がしてから、何の魔を祓ったのか明らかに分からないことがあり、本日は、そのケースであった。
魔を祓う、ときは、そこに魔があることはわかってはいて、その上で、相手に、光がのった言葉を伝えることを本筋とした対応をする、と明らかに対峙している場面である。
光がのるかどうかは、やってる自分は理性的な思考を持ってやるのではなくて、自分の信じるものやわかったものを、ごく当たり前に、自然に伝える感覚である。
もちろん、相手方は、当たり前だと思ってないから魔があるわけで、相手方と自分に、その思考性そのものに、断崖絶壁の隔たりがあるわけだが、それでも、私の信じる言葉、を話すわけである。
語るわけではなく、ただ、言葉を置く、に似ている。
ただ、本日は、自分としては、何気ない時間に何気ないことをしていたので、分からずに、なんともよくわからんと思いながら、単なる物理現象ではないかなとも考えた。
友人と話をしていて、そうでもないかもしれないなと思った。
ここ最近になって考えていたことの部分を拾ってみると同じテーマだったことに気づいた。
◯この世とあの世の絶対的な差は、時間。
この世に、時間がある限り、変わらない人などいないと父に話したのは、1週間くらい前だろうか。ちょっと喧嘩したのだけど。
時間にまつわって、私は慌てて対応しようとするからよくトラブルになることが多いのだが、様子を見て判断しながらがいいなあと思っていた。
また、すぐに対応をする方を見て、そのせいでまわりが巻き込まれて、結果、まわり自身が主体的に考えて自分の人生をメイキングできない実態を目の当たりにした。
これを見て、私がしてきたことは、こういうことなんじゃないかなと思った。人の人生にかかわりすぎていたのではないかなと考えた。
息子の進路にまつわって、息子の様子が一転二転する様子を見て、わけわからんことが続いていて、疲れてしまい、投げ出した。
学習指導ができるぶん、教えられるぶん、進路指導もできるぶん、もどかしく思えた。幸い、私の友人は、教育職が多いので、私に足りない情報すらも教えてくれた。
しかも、息子に聞いてみると、私の英語指導が今までの指導で一番わかりやすいと言う。私は、個別指導歴が長いので、その子の理解に応じて指導を変える。…からか?
私の指導技術はそこまで高くないはずなので、これまでの指導された息子を不憫に思えた。
でも、見ていて思うのは、課題を解くたびにわからない場面で、怒りがとまらない息子を見ていて
わからない、できないことに向いたときに感情的になる様子を見て
これは学力が伸びることの前の話で、そもそも勉強をすること自体が無駄のように思えた。
なので、学習についても、少しのたうちまわったが、ほっとくことにした。
本人自身のことは仕方ないので、私ができることは、進路のパンフレットを取り寄せることだったのでそうした。昨日届いて本日渡した。
読んだかどうかわからない。
いろいろな苦手感をもつ息子を見て、オールマイティな仕事は難しいだろうなと感じた。体感の差、が、苦手感をつくりだしはすれど、本人の動機によって変化するものである。
友達が引っ張ってくれたり、ね。
環境は選べないもので、本人自身のこと、が重要に思える。
今日、ビシィと鳴った瞬間に私が感じていたことは、人生について。
昔は、目の前に起きたこと、目の前にいる人に、とてつもなく一生懸命に取り組んでいて、感情の起伏がすごかったのだが
今の私としては、その時期に一生懸命やっていたから得た物があるにせよ
そんなにのめりこまなくても経験すればわかることの方が多かったのではないかなと思えた。
目の前に起きることや人は、そんなに変わり映えはしない。昔も今もあまり変わらない。
ただ、私が変わっただけ。(感情的になるのに疲れを感じるようになったか笑)
あと、いくら環境がよくても、起きることは変わらないのだな、とも。
品性が高くても、知性が高くても、ひとの本質がそれで変わることもないのだな、とも。
(本質は品性や知性の問題ではないということ)
でも、できることや理解の差が分からないときには、いろんなトラブルが起きるのだなとぼんやりと感じながら
ドリンクの売り子をしてたときみたいに淡々と対応することの方が人間らしいような気がして
そもそも、あらゆることが私の問題ではなくて、私は私をもう少し主体的に生きていいのではないかな、と、感じていたのだった。
時間が流れる限り、人は変わるし
その変わるまでの経験を積むことができるこの世で
思い通りにならないことばかりを目の前にして
荒ぶったりしながらいつかはあきらめて
本当の自分の心の課題に向き合って
どうやって生きていくかに中指を立てることもやめたら
自分の気持ちとの折り合いを自分にとって一番いい方法を見つけるようにある感じがして
一日にできることの少なさを嘆きながら
なんとなく、それでいいのだと
一日にできることが少ないのがスタンダードなんだと思った。
お金のこととか、ひとのあらゆる活動の範囲域も考えていたのだけど、規模が大きくても、本人自身がやっていることは小さいものだとわかったとき
(株式と個人事業者のお金のことの本を読んでいて)
私は小さいものだけれども、それでいいのだと思えた。
◯小さいものの人生も、考えていた。養成にまつわって、または、魔を祓うことを考えて、その理解について、今まで、付き合う、を意識していた。あまりに差があって、理解しあえないことが多すぎて、どうふるまったらいいかわからないことが多かった。
仕方ないので、ひとつのスローガンみたいに、付き合うという言葉を自分に置いた。
付き合ってみると、この世的なこと、については、逆にお世話されることの方が多いのに気づいた。
感情のコントロールやマネージメントができない人、とは、私の心と交流をしない人であった。私という人を理解すると、私に怒りをぶつけることはなくなった。
なんだか、誤解が多いのだなと思えた。
私にとっても、経験した末の答えがあるように、相手にとっても経験した末の答えがあった。どちらにも、偽我が作ったとは言いがたい、単なる経験による失敗を避けるための防御の手立てがぶつかりあっているだけだった。
その防御、が、互いに傷つける手立て、ではなかった場合は、折り合いで良かった。そうそう、傷つける手立て、は、転がってはいない。
心にも病があるような場合、傷つける手立てを使ったり、ひとや自分を不幸にする手立てに執着したりするけど
その間違いに本人自身が気づくためには、まわりが正しい心であることが重要だと思えた。
それは、この世的な正しい生き方はもちろんだが、何が起きても、あの世的に幸福な状態を維持できることだと思えた。
それをここしばらく振り返っていた。新しい場面や新しい環境にのまれて、そんな自分の対応策を考えていて
時間を楽しむこと
お金の有用性に甘んじて、自分の生活環境をよくすること
の重要さを考えたりしていた。ひととの関係は、その過程で変わることも。6年前に、主人と相談しながら、物事を決める、対応する未来を考えもしなかった。
むしろ、今の自分は、本来、あの世で決めた自分の人生計画に戻すような感じがある。
私は、大学4年のとき、なりたかった憧れの仕事に、たぶん、就くと思う。
ルールが変わったんだ。
マーフィーの経典、無限の富の経典をいただいたとき、自分は何ができるかとか、変われるかとか考えていたのに
よりよくわかってもいないのに
何書いてるのかわからなくなっちゃった笑