らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

ラップ音の正体

ああ、忘れてた。

ラップ音が鳴る場合のエクソシストって、


生霊と悪魔がねじこまれたときのやつだな、ってわかった。


私のデータだけだとわからなかった。何人ものデータを重ねていくと、イレギュラーなものがでてきたからだ。そのイレギュラーは、人に対して「悪態」をついた、ときに鳴っただった。

なので、おかしいので、聞き取りを丁寧に行った。そしたら、「悪態」をついた相手側に魔がついていることが推測された。シェミハザについてもそうだったが、ひとを介して攻撃してくる魔の場合、そういうことになっているとわかった。

たしかに、ひとの魔を祓うとラップが鳴る。
なら、私がひとりでいるときに鳴るそれは、ひとの私への誤解なんだろうか。

そこまで思いつくと、せせら笑うことしかできなかった。そのラップが鳴ったときのそれのほとんどが「自分と仏を信じる」だったことが整理づいたからだ。

そして、ちょっとめんどくさいと思った。

ちょっと前から、悪撃はいくらでもしたほうがいいなと思ったので、生霊が来ているだろうその相手へ、そもそもにその思想になる悪霊を祓うために、悪撃をすることを思いついたのだが、なんと、悪撃をしたり、なにかしら、思いの方向を切り替えると相手の声で『言葉」が聞こえるのだ。

悪魔は名前を言う。生きている人間に向けて、そのひとの悪霊を祓うように、光が与えられるように、悪撃をきると、そのひとの声で聞こえるそれは、名前ではない。今の所、データは3件。たいていは、ヴィジュアライズされた化け物がでるのに、最近は言葉で聞こえる。まぁ、言葉でアウトプットするか、映像でアウトプットされるかは、私の状態で変わるもので。たまたま、「言葉でアウトプット」する状態だったのが数件続いた。

「生意気」
「大嫌い」
「見返り」

聞こえたのは、この言葉。どういうことだろうかなぁと思っていた。そのひとの私への思いかな?と思っていたけれど、「見返り」まで来て、違うことがわかった。そのひと自身が脱しきれない「概念」だった。

「生意気」なひとは、愛のなかで「生意気」なことが気になるし、自分が人へ「生意気な」状態。
「大嫌い」なひとは、愛の中で「大嫌い」なことが気になるし、自分が人へ「大嫌い」な状態。
「見返り」なひとは、愛の中で「見返り」を気にするし、自分がひとへ「見返り」な状態。

これらのひとの判断に正しさはないなw

でも、悪撃した後には、そのひとの状態は変化してるな、って思う。なんていうか、突きつけられるような出来事が起きているように思う。でも、基本的には私には関係のないことだと思う。関係のないところで、私はそのひとたちを尊敬しているし、愛している。だからといって、流れていくように、離別するひとでもあると思う。今を大事に、その方々を愛したいと思う。そして、かわいそうだな、とも思う。囚われて生きるのはとても大変なことだと思う。


それにしても、数々の恐ろしいラップ音は、ラップがならないときには、私の自宅前で交通事故を起こしたりしているので、ちょっとやめてほしい。一般人は耐性がないので当たり前だし、ただのとばっちりやないか。なにか、ぶつからないと気がすまないのかしらね。

迷惑な幽霊だこと。