らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

霊能者の予言は当たるか否か

年末、祖母が亡くなる前に、FOBに相談をした。

「生まれてくる前に書くひとになると決めてきたのに、一体何を書くのか、そしてそれはこの世にいる私が思うようなものなのか?」

書けない状況にあり、書くように環境を整えようとして四苦八苦して10年にもなる。確かに、小学生の頃、小説家になりたいという夢を持ったことがあった。しかしながら、「〜になりたい」という夢は変遷した上に、数多くあった。幼稚園の頃はバレリーナになりたい、小学生は小説家、キャリアウーマン、中学生の頃は絵かき、大学生の頃は、、、。

ふりかえって、想いは実現するとは本当だぁと思うのである。守護霊的にアウトだった夢は、明らかな障害がふりかかりなくなった。私の不精進によるものはあれとこれ。バレリーナに至っては、、、私の守護霊が芸術分野の指導霊だったためである。いつぞやか、守護霊は何しているのかをたぐったときに、ロシアでバレエの霊的指導をしているのを見て、幼稚園の頃、唐突もなくバレリーナと言った合点がいったものだ。

私に運動の才はない。

何度となく夢で指導を受けているのが、ストーリーの書き手である。高校生の頃、バイオハザードの夢を見た。道路に寝かされたペンギンの死体からウィルスが蔓延し、人々がゾンビ化してパンデミックになるさまを通過し、世界でたった二人の生き残りになる末路を夢で見たあと、スタッフロールが流れた。今でも、映画のような夢を見る。しかも出演は、現実にいる俳優さんたちが演じている。

法をよく知らないでいたために、納得がいかなかった私は書くということを放棄したことがある。神様の意向とは違う方向に舵をきることはわかっていたものの、「困っているひとを救えないのが宗教ならそんなのは支持できない」として、自分が悪たる方向へ落ちても寄り添うという手段を選んだために、何度となく、指導霊が夢で説得に来たことがある。

印象的だったのが、えらい神様の前に突き出された私が、私の意見を言おうとして、獣の鳴き声にしかならなかったことである。従者が何度も説得に来たが、説得に応じなかった私は、えらい神様の神殿に突き出された。そのとき上記の旨を話すのだが、私の声は唸り声だけで、意味をもたなかった。えらい神様は仕方がないといった様子で、私を放り投げた。

そして、私の迷走がはじまるわけだ。迷走すると言っても、学ぶことを放棄するのではなくて、私なりに幸福をどうやって創造できるのかを考えて決める、といったように、目の前に起きる出来事に対して、私なりに考えて決めてきた。とても人間らしい判断だったと思う。

でも、そのなかでも霊的な障害や問題は当たり前にでてくるので、それをとりはらうべく、学ぶことになる。霊的な事象を祓うために何をしたか、は経典に基づいたものもあれば、そうではないものもある。困ったときに、法に基づいて解決する、という習慣をつけないまま、思慧するという手立てをとった。守護霊とはコンタクトはとれていた。研修も行っていたし、教学もしていたが、この「獣の唸り声事件」はそれほど大きなターニングポイントであり、「法に素直に納得できないならどういうことか味わえ」をまさに体験した。

とんでもない時間を過ごした。

法に納得できないから、神様から懲罰があるかというとまったくそうではない。神様や守護霊は納得できない私に寄り添って、私のわかるところから丁寧に、引き上げてくれた。その「納得できない蓋」をひとことであらわすことはできない。私がそれを納得できるまでに、どれだけの反省をし、どれだけの蓋を壊し、どれだけの理解をしたか、その蓄積すべてが蓋であった。

私の実家は浄土真宗である。利発な読者さんはおわかりになるかと思うが、三宝に帰依しなさいととくとくと謳うお経である。仏のみひかりはやばいんだからね、という内容である。法が何たるものかを説いている箇所を読んだことはない。

つまり、私の魂の傾向に一致したのが浄土真宗であるために、浄土真宗×2の家庭で生まれ、幼少期から浄土真宗の指導霊に指導され、浄土真宗に帰依した先祖霊が怒り狂って、善悪をないがしろにした霊的背景にある文化で何十年も生きているのである。

なので、私がえらい神様(女神様)にたしなめられても、納得がいかずに獣の唸り声をあげても、私の環境や背景、魂を考えると、必然であり、私の状況が悪だとは言えない。幼稚園児に公式を覚えてそのとおりにやりなさいと言われるようなものだ。

だけど、潜在意識に法に帰依しない意識体が多くを占めている私は、獣の唸り声を契機とし、霊的に困難な危機的状況にもあほほど陥り、家庭崩壊も経験し、精神的ダメージもトラウマもできた。毎日が幸福だなと思える今に至るまでに、私がキレて行ったことは、経典の内容を覚えること。悩みにそってコンシュルジュもできる。なので何を読めばいいのか、聞かれることが多い。

たぶん、職員の皆様がよく言われることだと思うが、そのお話をされるひとが推定する読み込みの水準より上回っている。実践でできているかは別である。修行している最中の私に、それがどこまで実践でできていますか?などは判定できない。絶対基準にもとづく領域なので、具体的な質問に答えることしかできない。

やったことは、経典を基準として、三宝に帰依していない意識体を潜在意識からさらい、祈りにて滅することだ。どうやって潜在意識からその黒粒を見つけるかというと、日常で生活した24時間の自分の想いの揺れに着目した。いかなる揺れも記憶にとどめて、それの正体を見ることに徹した。夜、二時間から5時間かけて、その正体を論理的に突き止めて、体感レベルからも突き止めて、祈り、翌日、抜本的な自己改革が進むのを認めた。友人と二人でおこなった。なので、悪魔を出し抜け、にあるナポレオン・ヒルのそれはよく理解できる。ただ、私のような稚拙なものは、あれほど大きなものでない。

そう、私はキレたのである。

どうやって努力してもうまくいかない、一生懸命やってもうまくいかない、それが獣の唸り声のあれが象徴とするものならば、私が悪いというならば、徹底的にやってやるというものだ。素直に神様に可憐に従う側女というよりかは、ドラゴンボールの修行中の悟空である。悔しくて悔しくて、鼻水垂らして何度泣いただろうか。本当に悔しかった。だから、言われることは怒りを抑えて、すべて従った。祈願、教学は何倍にもなった。

わかることが多かった。摩訶不思議な世界は、経典×5くらいの世界観に広がった。そして、みたことない宇宙観を味わうにも至った。信じられなくて、それが正しい宇宙観なのか検証もした。経典での記載には限界があったが、経典のいかなるひとことも間違いはないので、そのひとことと矛盾しないかを数年かけて、調査した。

で、結局、実践して現実化することを以って、正しいとする、ということにした。

だいたい思うことはそのとおりになる。思うことがおかしいからトラブルになるかというとそうではなくて、周囲に黒粒があるのならば、それをゴールドにしながら進むということもわかった。想いの揺れというものを見つめた時期が長かったせいか、感情が沸き起こる場面が少なくなり、思うことが稀なので、引き寄せることも難しい事態にも陥ったりもした。次の仕事も、思ったとおりの場所で募集があり、そこで決まる予定だ。けど、現実を生きる私はやはり、現実的に不安になることもあり、人間法則で考えることに影響もされやすいしで、祈願は重ねさせていただくことにしている。

どこかで、私が体験したことが嘘ではないかと、いつも感じているからである。この感覚は大事にしていて、私の精神世界の体験は、ひとと共有できるものではないので、この体験は私なりの理解、を深めるためのイメージとしてこの世的には整理づけているもの、でもある。わかりやすいんだよね。わかりやすいからと言って、それでこの世で通用することでもないので、この感覚は大事にしている。人間だし。

で、霊能者の予言はどうやってできるものなのかって話。

FOBの霊的感覚は、私のように潜在意識までタッチしているもの、ではない。潜在意識には断層がある。FOBは人間が感知できる潜在意識に近い表面意識の底をリーディングすることができる。禅定で言うと、守護霊とか幽霊と話ができるし、魂から情報をくり抜いて、過去世界の情報を知ることができる。DVDという魂があれば、チャプター再生できるような。だから、予言もチャプター再生のようにして、動画で見る。私もかつてこれだった。反省をしたり学ばない一般人の未来は、それほど大きい転換はないので、たいてい当たる。精進を重ねている方の未来は、大きく変わることがあるので、当たらないこともまま、だ。

例えば、FOBは私は離婚すると言った。私もそう思った。夫の未来もまったく違った。夫の未来も、私が予想もしなかったものへと変革した。精進とはそうした、未来を変える力を持っているものだ。

私は、もうちょっと底をつつけることができる。その底は、あの世の次元層とつながっている個人的な想念世界。サハラ砂漠の中にある、砂の粒を指定する。同通箇所点を知ることができる。無意識レベルでどのような思想を持っているか、でもある。表面意識では認めない感情なので、指摘すれば、「怒り」が止まらない。かつてのわたしのように準備ができていないので、被害者は自分なのに加害者だと言うのか、となる。なので、FOBのように映像で見ることは疲れる。この粒を変える力を根本仏は持っているが、この粒を変えると、その瞬間から激変する。

けど、それを変えるまでに、個人の帰依を深める精進が不可欠なのは確かである。変えることができるのは根本仏の威光だけなのにもかかわらず、その威光に委ねることを信じれないのならば、自分やひとを大事にしている自分の信条を見つめて修正点をあぶりだすことすらしないからだ。そもそもに、不幸を体験して、自分のやり方や自分の信条がただしいとは言えないことを知った者と、そうではないひととの畏怖感は違うと思う。

現実的に常識的に倫理的に正しい側面で主張する自分のそれは、仏の威光の前では、まったく意味をなさない。

鬼滅のような世界設定であったとしても、それはそう。むしろ、あの世界設定は地獄の様子の一部だとも言えるが、その世界観のなかで仏の教えどおりに思える自分になったときに、地獄から脱出する光が降り注ぐ。自分や愛するひとが殺されていきながらも、仏を信じることができたときに救われるのが、地獄だからだ。

FOBの予言は縁起に基づいた解釈ではなく、アカシックレコードを読み取ったものである。

(高位のものが見れる禁帯出だとか秘蔵物ではないエリアがあるといえばいいだろうか、神の言葉を預かる預言者は限られた魂にしかできないし、私達はそれではない。宗教の開祖はすべて預言者である。預言者は、縁起を見抜いた上での予知とも違う。神から預けられた言葉が優位なのは当たり前だ。だから、預言や法が、私達が視た未来に影響するのは当然。法に基づいて反省して智慧を得たら、未来は必ず変わる。)

次元が低いレベルになればなるほど個人的なものしか見れないし、次元が高いものであれば国や地球の運命を知ることができるエリアに通じる。一介の霊能者ができるのは、個人的なそれだと思われる。まぁ、だいたいは当たる。変えたければ、精進を深めればいいだけだ。

…例えば、私は通じることはできても、あまりにも知識が足りないので読み解けないものもあった。国レベルのものはよくわからないし、数式で表現された魂なんか見せられてもよくわからない。今更数学を勉強しても追いつかないレベルだと思う。数字は、生理的に嫌悪すらする。(アリストテレスさん、ごめんなさい)

私が視るときは、変えるためにある。なにかおかしいときづいたときにみる。でも、自分のことはわからない。なので、FOBに聞く。

「25日後までに整う」

祖母が亡くなる前だから、12月23日以前。つまり、1月17日までには環境が整うということだった。本当かよ、何度目なんだと想いながら、激動で平和な年末年始を送った。

息子たちが帰宅するということで、あてがわれた数少ない部屋を大掃除して、模様替えをした。ふたりともに個室が与えられるように仕組んだ。家具もいくつか捨てて、服も大量に捨てた。

今、私が書いているのは、次男の部屋で、書くための道具が揃っている。ちゃんと数えると、今日で22日後だった。

あたったな、FOBよw