毎日の夢
おもしろい夢をたくさん見てる。
お話にしたら、おもしろいだろうなと思う。
狐くんも2回くらい来た。
うさなれた。
でもって、しっかり事故もして。
クソうと思うのだけど、仕方ない。そゆもんだ。カルマから脱しようとするのだから、それくらい軽いものだ。
だから、怖がる必要もない。
ただ、粘着的に狐くんが来るのは、ちょっと気持ち悪い。
六尾だそうだ。(FOBによると
ゴリ子も私の守護霊に化けた狐をしっかりみつけた。正確に言うと…見間違えた。笑
私の守護霊は、左右にボンボンつけるかなあとずっとおかしいなあと思っていた。
私の守護霊を呼んでみて、もう一度遠隔で霊視で確認してもらって発覚した。
狐が攻撃かけてきただろう夢の2回目を見たところで、
いよいよ、気をつけて反省作業、つまり、狐にまつわった部分の、善悪の基準を自分の人生から気をつけてさくって判断しはじめた。
経典はかなり極端にわかりやすく書かれているので、逆パターンの、梅子ではなかった自分を総ざらいした。
つまり、梅子ではない過去のわたしは全部間違い、というデータ抽出からはじまる。
梅子は偉い方なので、梅子ではない意識など、、、ほとんどであるから、そのほとんど、から、エッセンスを抽出する、という、クソ面倒な作業から始まる。
ふと、霊狐を思い出したりして
その霊狐のかんじと、最近夢に何回も出てくる特定の知人のかんじが似てるのと
過去のある自分の感じの一部が似てるのと一致しはじめてきて
FOBと、蛇と狐の違い、について、論議した。もちろん、いくつかの類似性をもつ、人の蛇エネルギーと、狐エネルギー、また、その具現化した現実の姿、を列挙していく作業。
蛇は、ひとに尽くしまくる自分を愛する劣等感の塊だし
狐は、ひとの気持ちを利用して、自分の要求を見たそうとする、高慢の塊。
でも、たぶん、これ、がない人はいないと思うんだよなあ…
日常、の、ものっそい、小さなやりとりでさえ、つまり、極悪非道ではない出来事でも
(よくある10代、20代の純朴な色恋、でさえ。仕事関係でさえ。むしろ、未熟な段階だから、通過していないことの方が問題。通過していないというなら、そもそもに無知なだけ。)
心の作用だから、ある。
それを、どう受け入れ、どう理解し、どういう選択をし、どういう主観を持ってるか、なんだなあ…。
今はもう、道のりは長いから、もう、祈願に任せるつもりで、身体の中を通過していく風を、ドラマのように観察しているばかり、である。
六尾男子は、、、好きな子をいじめるが愛するになってる子で、もう、難しいわ。知らんし。
FOBは銀狐が大好きだそうで、もはや、趣向でよろしいのではないかとは思うが
だからと言って、データから見るにあたり、狐憑きは、マジで、、、、
因果応報の果のひっぺがえし、に耐えようと思ったら、ちょっと、因までもが変わってきて、堕ちるのは必至だと思われる。
たぬきがよろしい。が、たぬきもたぬきで…気をつけなければならぬことがある。公平と平等の使い分けである。
公平が問われる場面で、狐のいじめにあい、平等を持ってくると、貧乏と蛇が待つ。
そこに必ず、公平と寛容と、平等という可能性を信じる時間、が必要だとは思いますが、それは肯定すべき思想であって
なかなか、自分の実際、には、必要がなく、自分の実際、は、他を味方であると信じ、利に尽くすことを旨としている。
そして、そんな自分を守るのは
◯自己の反省作業
◯信仰
だと思っている。むしろ、それだけでいいはず。他者への高慢な使役性のある操作心は、教育力とは違う。