らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

昨日のできごと

主人が「なんでか寝なければいけない気がする」と言って、早いうちから布団に入って眠ってしまった。お昼寝をした私は遊び相手がいなくなってしまい、ゲームをしていたが、やがて飽きた。

深く関わってきた方とも12月に突入してからコンタクトをとることが減った。やるせなさ、みたいなものが襲っていた。けど、そのやるせなさ、というのはあまり悪いものではない。

私がどうしたって、その人の精進を促進することはできない、ことを知ったからだと思う。それは、息子たちの人生における精進を私がコントロールすることもできない、のと同じである。私の息子は、若かりし私が描いた理想の家庭とはまったく違う家庭で育った。

私はどうして、私が与えたかったものを与えられなかったのかを反省したことがある。なんて自分は非力なのだろうとさえ、思った。経典に基づいて与えられない自分を変えたかった。そして、四苦八苦した上で導かれた答えは、与えるべきものはすでに与えていた、だった。

私が理想とするものは、この世的な意味合いが強いものだった。もちろん、こんな母親になりたいという理想もあった。そのふるまいをしていた頃もあった。仕事をしはじめて生活が困難になってくると、自分に余裕がなくなり、暖かい信頼関係を放棄せざるを得なかった。それくらい、時間がなかった。眠るために帰宅するような勤務体系だった。

この憎しむべき霊的体質はオンオフで分けることができても、オフにした状態のままほかっておくと、自分はよいにしろ、修行していない周囲のケアやサポートまでできない状況になることを考えもしなかった。家庭が危ぶまれていると感じた私が転職を考えた頃、関連した転職先の雇用をつぶされ、退職を余儀なくされた。世の中にはそういうことは、まま、あるものだ。今考えると、自分がこうすればよかったと思うことはある。憎しむことをやめたとき、自分のふるまいはいかようにも未来につながっているものだと思う。

とにかく、失われた時間に蓄積された家族の怒りと憎しみと悲しみはすごいものだった。家族解散の会議は何度しただろうか。が、私はその与えられた時間を使って、腰をいれて宗教修行をするとキレていたためか、どんなに離散の方向へ舵をきろうとしても、ありえないアクシデントやひとの心の動きがあり、離散は免れた。その元凶というか、家系のそれを抜くようにして、父母すらも同居せざるを得ない状況ができあがり、修行中の私に影響されるしかなくなった家族は、父を除いて、研修にいそしむ。

…こんな未来を、あの当時、私は予想などしなかった。

離婚が履行できないあがきの数年を経て、高額研修に行った。高額研修の内容は、私にとって分にあまるものだった。法則に関しては、できるものとできないものがあったが、感動したものといえば、神様の指導はやばい、ということだった。私が反省すべきことのひとつに、ギャンブルがある。若い頃に付き合った彼氏に連れられて覚えたスロットに関して反省しないとなと思ったとき、研修中に、話しかけられたことがある。

「君はね、投資のときに大事な感性を学んだんだよ。あの頃、どれだけのお金を使って、どれだけのお金を残しておけば生活できるかを考えながら、自分の生活水準も考慮しただろう?これがあるから、祈願や研修に惜しみなくお金を投じれる。もちろん、世の中には投資にも投機的なものもあるし、君はそれをやっていないけど、もしやるとしたら、このあたりの感性を経験としたと言えるね」

驚いてギャンブルは悪ではないかと聞くと

「こどもはどろんこ遊びが楽しくてやるだろう?大人になればそれが煩わしいと思ってやれない。けど、どろんこ遊びはこどもにとって楽しい遊びで、それを通して多くを学ぶ。ギャンブルがいいことだとは言わない。だけど、ギャンブルを経験した君にとって、それは糧にならないものかというとそうではない。」

あまりにも突飛な発想すぎて呆然としてしまった。高額研修では偉人の生活を垣間見るツアーが仕組まれてあり、そのツアーで、富豪の別荘というものを見た。その庭園を見て、唐突にわかったのは、庭園はあの世の天国を模していることだった。庭は天国と通じているのは、他の神社仏閣にある有名な庭園で幽霊を見たときに知った。よく考えたら、西洋の宮殿にある庭園は、あの世のその文化地域にいた霊人が住まう天国と、まったくおなじつくりではないかと思った。

だから、よほどの偉人でない私達は、自分たちの境涯をあげるために、天国と同じ磁場を誰かが作ればいいのだと思った。私がアパートに出たとき、同居住まいしていた実家は同時に「御本尊」を失った。「御本尊」があったとしても、その御本尊に信仰を捧げるものへしか光は注がない。ご本尊の光で、影になって隠れていた邪気が明らかになって、なぜ、こうも攻撃を受けるのか、友人と家屋を霊視したとき、父の枕の下に地獄が通じていて、そこを入り口にして、攻撃してくるのがわかった。父は、寝る前に怒りを反芻する癖があったようだ。

また、父は、突然突拍子もない暴言を吐くことがあった。口癖のようなもので、代表的なものが「犬の鳴き声」と「南無阿弥陀仏」だった。当時は、そういう人もいるだろうと思っていた。霊的な私なのに、すべてのひとに霊的な事象で考えることをしなかった私は、それが「犬つき」「宗教霊つき」などと想いもしなかったのだ。

それと拮抗して競り負けた形だったことに気づきながらも、私にはやれないと思ったのは、離婚した妹が連れてきた夜叉を見たときだった。あんなものは映画でも見たことはない。詳細に書くことは避けるが、とにかく、あんなものに勝てるわけがないと私は恐怖した。祈願ですべてたち消えたが、祈願が指導するにしても、引き寄せた生きている人間には努力を求められる。

ご本尊と絶望に打ちひしがれた私を失った実家は、「教え」もなしに、惰性に、ついた当時の心の境涯のまま過ごした。3年。その3年で、実家がどのような状況になったかは、霊的な私が足を踏み入れると、3分も持たずに痛みで倒れる、ほどだった。私が編み出したのは、お経を爆音でかけるながら引っ越し作業をすることと、絶えず、お経とご法話を流すことだった。私の生活圏域は限られ、つき放題になっている家族は悪霊の言葉をそのまま吐いた。

そんな悪しき凶悪な状況に小学生の息子たちはさらされるわけで、宿題がわからないだけで、自殺願望をもったりした。祓うと悲劇的になっていたことすら忘れる。小さな子どもたちに根本的解決をさせようというのは土台難しいことで、環境的に解決をさせることもままならなくなった私は、一時的な悪霊はがしをしながら全体的な教学を深める養成を余儀なくされた。

(悪霊ができないことをさせればいいのだが、例えば祈りをやろうとすると子どもたちは暴れる。祈りの心に投じきれないからだ。なので、簡単に言えば幸福感が出るようにすれば剥がれることがわかった。例えば、マックシェイクとか。自殺霊を3体つけていても、喜びで吹き飛ぶのを見た。剥がれるとき、なにか主張するのか、ラップ音が鳴るのも見てきた。)

ありとあらゆる負の霊的現象が家族に起きていることをはっきりとわかり、精神科受診も考えたが、そのたびに、祈願やご法話だとか、まぁいわゆる宗教的な奇跡ですぐに解決が続いて、そちらで解決することを決めた。

だけど、負の体験や負の関係が固く動かない様子を見て、祈願で霊的に祓われていても、人間の心の変化、つまり反省による改善を求められる以上、家族の実態を見て、私には無理だろうと思った。いろんなところから手立てやヒントを聞いてもきたが、現実的には「機能不全に陥っている実家及び夫婦関係を解消して、一番優先すべき息子を私が育てる。すべてをどうにかできないから子供だけを考えなさい」という助言であったし、宗教的にはたぶん、誰も答えはでなかったと思われる。祈願や研修は勧められても、どうやってユートピア家庭にするかなんて、手立てやプロセスを具体的に教えてくれなかった。

なので、経験した私が言う。祈願は必須だし、研修も必須。反省も必要だし、常に新しい精進が問われていてすべて行うこと。とにかく重ねる。ことが起きるたびに受けてもいい。なにかあるときは祈りを基調として、反省を自分に行う。信仰深い人がとにかく精進する。これでもかというくらいやっても、それではまだまだ浅いと思うほうがいい。

相手にも、小さな祈願を時間を待たずしてずっと重ねる。セミナーや研修を受けさせる前に祈願だし、話のなかで、希望や感謝を作り出すように対応する。自分が希望や未来を信じていなければできないことをする。研修連れて行くにしても、支部につれていくにしても、必ず魔が入ると思って準備したほうがいい。時間に遅れる、道に迷うは当たり前だと思っていい。完璧を求めなくていい。

法話は寝るためにあると思えばいい。よい睡眠が得られるのだからと、睡眠学習的に見るほうがいい。少なくとも寝ている間に霊的な攻撃は合わない。寝ている間の攻撃に救いとなるのは、ただしい言葉の波長、音だと思ったほうがいい。地獄夢を見ていても、肉体が聞いている音が巨大化して聞こえ、ちゃんと起きる。

どんな相手でも、希望や未来を見いだせないならば、自分の精進が浅いということにしか過ぎない。

「ルシファー」と頭に鳴り響いたあのとき、私は離婚にこだわらないことを決めた。高額研修を受けて帰宅した後、御本尊の前に立って、夫の幸福を祈った。祈りの中で私の頭の中を駆け巡ったのは、こどもや自分の幸福を失う恐怖だった。

それまで、私が生理的に嫌悪するすべてを夫が行っていることを知り、また、善悪も知らないで行っていることがわかったときに、どうやって変えていくのか、途方にくれ、逃げ出そうと思った。離婚しようと計画した。それは私にとって、体が引きちぎられる選択だった。私がしてきた全ては、夫のためでもあった。夫に宗教を強いることはできなかったし、私が代わりに家族を代表して頑張ればいいといった考えに基づいていた。宗教修行は苦しみしかないと思っていた。霊的体質でありながら修行をするということは、とても大変なことで、仕事をしながらできるものではない、と思っていた。

現実的に反社会的な判断をする夫を目の前にして、仏法真理的にも、現実的にも不幸にしかならない判断を課する夫に従えば、不幸になるばかりか、それを指摘するとパワハラモラハラ、怒り狂う出来事が続いていたため、精神的にも回復することができずにいた私は、記憶がないと訴える夫を目の前にして、無理と考えるのは何ら異常でもないし、当たり前の選択であったが、たったひとつだけ、私がしていないことがあった。

教学を勧め、養成することだった。

それがこの世で生きているうちに実現されるとは思えなかった。それに四苦八苦しているうちに、私が伝道できるひとの数を思った。この世ばかりか、これで誓願してしまえば、次の転生の課題すら決定されるのではないかと思った。私と夫の魂のルーツは、互いにカルマをもつものだった。

私はプレアデスであるし、夫は翼竜型レプタリアンである。わかってはいたものの、霊的な私は、夢でいろんな夢を見るのもあって、プレアデスという惑星を知る前に、その惑星の記憶や過去世を夢で見ていた。三帰誓願した夜、総裁が夢に出てきて、青い連星をゆびさして、

「ルック ゼア!!ルック アット ザ ブリリアント ブルー プラネッツ ゼア! ユー アー フロム ザ プライアデス!!」

と教えてくれもした。オーストラリア訛りの英語話者なので、私はAの発音をアイと表現しやすい。プライアデスがプレアデスという惑星であることがわかるまでに、半年以上の時間を要した上に、人から教えてもらった。私は霊的だから三帰しただけで、学ぼうとか知ろうとかが、自分が困っていることがなくなる程度でいいと考えていたのもあったのだった。幽霊だけでも受け入れるのにやっとなのに、宇宙人なんか、理解の範疇を超えていた。

けど、その離婚危機では、はっきりと、夫の霊的な姿を見た。プレアデスの記憶を想起するとともに、打ち込まれた心底恐怖で脱することができない自分をどうしようもできなかった。この恐怖を超えて、夫を愛することができるかわからなかった。現実的にも、難しいと思った。

潜在意識に打ち込まれた「許せない」「愛せない」「悲しい」、過去世の想いは、「愛してやまない」に変わるまで、どこかで潜んでいて、それに向き合うときにわかっていても「怖くて動けない」まま涙しか出なくなるのだとわかった。怒りのあとには、悲しみと恐怖が訪れる。

いいところを見ようとか、悪い思い出しかないわけないだろうとか、いろんな意見が出るかもしれないが、潜在意識に眠る仕込まれた恐怖というものは、そういうもので、今生経験したものに限定しない。本能的で生理的なもので理由すらない、ものだ。

それと向き合って、妄想にも似た過去世のそれと、その妄想とまったく本質を一とする現代版夫の姿を見たときに、私は、自分の潜在意識を抜本的に変えるまで、幸福がそこにあらわれるような精進とはなにかも考えた。

2時間。

すべての迷いを捨てて、すべてを失っても、すべてを捧げても、夫を導くと決めて、高いびきをかいて寝ている夫の隣で、布団に入った私は「ルシファー」と聞いた。あまりに唐突だったので、なにかあるのかなと、ウィキで調べた。しばらくして、私が「ルシファー」に勝ったかもしれないという考えに至った。とても怖かった。

夢でルシファーの城に行ったことがある。その当時、私はルシファーの嫁ではないかという疑念を抱いていた。なぜか、ルシファーが気になり、愛しいとさえ思った。地獄の馬車で迎えが来て、古典的なドレスに身をまとった私は、召使いにうやうやしく対応される。城には、裸に近い女性が山のように積み上げられていた。その城に通じたまま生きている女性の多さを物語った。つまり地獄に意識体の一部を置いて、波長同通して生きている女性の数だった。それすべてが「ルシファーの嫁」で、私もその一人だと思った。「いつここに来るのか」と言われて「時期尚早よ」と答え、城を跡にした。

嘘のような霊的な夢で、私は悩んでいた。総裁が奥様と離婚してから、そんな夢は一度も見なくなり、自分がルシファーの嫁などと思うことすらありえないと激変したのを見て、そこからの霊的な影響だとわかった。

布団のなかで小さくかたまって冷たくなった私は、その後、母を悪魔祓いに連れて行った夜、「きょうこ」と聞こえたときも、怖くて仕方なかった。寝ている間に、「やまむら しずこ」の名前を聞いたこともある。あれは、悪魔なんだなと思った。寝ている間は、深い禅定と同じなので、ものすごく大きな音で聞こえる。だから、起きる。

ここ6年の夫婦にあったほんの一部を紹介したが、話したかったことはこれじゃないw
昨日あったことだ。つづく