ただの母親なの
私は受験生を持つ母親で、この受験生たる長男は、全力で勉強から逃げ出した放蕩息子なのであった。
こういうとき、私の心は揺れ動き、
こういうとき、霊力はかきみだれ、
こういうとき、何もあてにはできなくなる。
友人は。
私のそれにあてられて、自信のない情報として霊視を提供するしかなく、
最後には、ただの慰め役として、盛大に私を支えてくれるのであった。
夫は。
自分がしてもらわなかっただけ、どうしたらいいか分からないで、自分がしてもらったそのままをトレースするので
時代も違うし、教導とは言えないと私から無理難題をつきつけられ、
息子の姿から議論する内容を経て、自分の思想と私の思想が闘われ、イライラし
ついには、とんちが明らかになったように、【なるほど!】なんて言って、スッキリした顔になった。
、、、私はスッキリしていない。
「八正道は正八角形を描くように、心の反省だけでなく、まんべんなくやりなさい。苦手なところは、へこんでいるから、それをあげていきなさい。」
と言うたら、なるほど!って、泣いていたのがご機嫌になってしまった妹に似てる。。
劣等感というものは、自分が理想とする成功を得た者と同じだけの努力をし続けた上で、自分が得られなかったなら抱いてもいいが、
劣等感を理由に自信喪失が起きて、努力をしないというなら、
その人は絶望と劣等感にうちひしがれて絶望してるかもしれないけど、
努力をしていないのだから同じ土俵にすら立てておらず、
闘うことすらしておらず、
周囲から見たら、ただの怠けたいあらわれにしか見えない。
その努力が社会では当然のことでまかりとおっていることならば、評価基準が低く、精神は幼く、自立できるほどの自由を持つことはできない。認識にズレがあるため、社会で苦しみを持つだろう。そして、大人にはなれない。
という話をしたら
旦那が、めちゃくちゃ腑に落ちたらしく、声がキラキラして
「そうだ…そうだな…なるほど」
って言ってた。
変なの。
そんなことより息子の進路。タロットのイエスノー占いをしてみたり。
、、、当たるのだろうか。まあ、ペンジュラムと同じ理屈だけどさ。
当たったら報告する。