らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

悪霊や悪魔のこと。

視えるようになって、一番困ったのは、もちろん、マイナスな存在。

 

視える子ちゃんという漫画には激しく同意?することがある。

 

いきなり視えるようになっても、怖くて仕方ないのである。

 

最初は、交通事故で死んだことを知らないおばさんとか、生きているに近い状態の人だったり

 

さみしくて悲しい生き霊だったりしたのだが

 

そういうレベルのものを知るなかでだんだん怖くなくなってくると

 

だんだん進化していったのであった。

 

その怖いレベルが進化していくと、よいものもまた進化していった。

 

つまり、接触できるよいもののレベルが高くなれば、光に照らされるので悪いもののレベルも高くなっていくのだった。

 

いわゆる地獄霊と呼ばれるものを視たときは、全力で、視える子ちゃんみたいに、恐怖で泣いたし、視えていることを必死にさとられないようにしたし、神様にすがるしかなかったのだが

 

最近は、地獄霊に近い人が多すぎるのもあって、全く気にならなくなった。

 

最初、視えるようになったときは、その世界にびっくりしてしまって、なんとしてでも、神の存在を知ってもらわないと、という衝撃しかなかったのだが

 

私の周囲は、私の話を聞きながら、得心したが、そもそもそんな世界が本当だと認めたくないという恐怖に支配された人は拒絶した。

 

透視やマインドリーディングから、現実にそのとおりだとわかった周囲は、おおよそ、面白がるのだが、あるとき、はたと、怖くなるらしい。

 

夫は、私の霊視で、ただいまキャバクラにいることを知られたばかりか

 

赤い服を着たキャバ嬢は鬼のように怒ってるから、近づかない方がいいと私に言われ

 

顔面蒼白になった夫は、そのキャバ嬢に、私の話をネタにして過ごしたと聞いた。

(誰かに話さないと怖かったんだと思う)

 

怖くなる人とは、知りたくないことまで分かるのは嫌だ、らしい。

 

、、、わたしには、そんなわがままは許されることなく、精進すればするほど、どちらもレベルが高くなった。

 

神様だけ感知できればいいのだが、そもそもに精妙な神様の波動をキャッチするのに

 

その神の心に触れることができるように、捨てるものは捨てないといけないし

 

捨てれば捨てた後、その捨てたものの正体を知ることになるし

 

捨てる前には、捨てるなんて非道だとか責め立てる悪魔に論破しないとならないしで

 

つまり、神様に通じていくということは、絶えず降魔を重ねることと同じことなんだ。

 

そうやってしか過ごせなかったので、仕方ないので過ごしているけど

 

はたと、シンプルに悪魔を考えるならば

 

悪魔の支配下にあるということは

 

神とともに生きることをしないすべて

 

だと思う。

 

アベンジャーズにも、ヒトラー思想があったり、指パッチンが出てくるけど、あれは悪魔と全く同じで。

 

よく観察して見てれば分かるけど、

 

彼らは、神を信じないで、

現実的によくなるように解決しようとして、

奪ったり排除したりする優秀な立場の人

 

なんだよね。

 

 

かと言って、現実的に解決しようとするな、ってことじゃないんだよ。

 

神様とともに、現実的に解決しようとして、周囲を信じて、対等に協力し合う関係を作り上げていく

 

(本当の意味で、だよ)

 

ものごとは、TPOが違えば、同じことをしても結果が違ってくるように、

 

善悪は、複合的にしか判断はできない。

そして、それは、今は通用しても未来には通用しない。

 

どんなことでもそうなように、私の人生もそんなふうにできていた。

 

今はねえ。

たいてい思ったようにはなるんだけど、わたし自身が手段を選ぶようにはできていないから、起きてくるその手段がえげつなくて、心がしんどい。

 

思うこと自体もシンプルすぎて、あまり複雑でもないしね。

 

最近はさ、悪魔だとか悪霊をどうとも思わなくなったんだけど

 

憑依されている人間のことをよく考える。

(転スラのスライムや悪魔から出る魔素のうねり?に近いのが出てる)

 

それが理由で病気してるのも分かる。

 

でも、きっと怖がるから話もできない。私自身も、変なこと言いそうで怖い。

 

言ったからそうなるのか

そうなるから話したのか

 

分からなくなるときがある。

 

私が努められるのは、その人のために赦しを乞うことくらいしかないんじゃないかと思う。

 

非力過ぎて憂鬱になって、神様はどう考えるかなって考えたりするけど

 

肉体が朽ち果てていくまで、そんななかで、どう生きるかを、どう生きたいかをずっと考えている。

 

私自身がどう成功するかより

この世界に、神様が当たり前のように在る世界になるように

神様が成功することにどう貢献できるかが重要なんだと思う。

 

あの、悪魔に囁かれて

 

息を吐くように罵声を浴びせる人や

ふとした瞬間に絶望する人や

愚痴がやまらない人や

人の立場に立って理解しようとしない人や

責められてると誤解してる人や

 

そんな人に

神様がいるってことを知らせたい。

愛されていることを。