らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

潜在意識

潜在意識って結局過去世なんですか?

私に繋がっている神仏なんですか?


という質問を受けた。自分で潜在意識を覗く方法は、霊視や瞑想でしか到達しないので、そら、理解しにくいだろうなあと思われた。


潜在意識は、想念帯、アカシックレコードだとは習ってはいる。教えている側はその想念帯をさらりとシンプルにとらえているので、教わっている方も、教えている側の目線に到達していないのにもかかわらず、シンプルにしか考えない。


それは、教えている側と教わっている側の圧倒的な差、によるものだが、教わっている側はその差を知らないために、間違った理解をすることも多い。


私の回答としては


魂の記憶、となれば、


分霊である魂の兄弟の過去世もまたあるでしょうし、自分の過去世もすべてあるだろうし、


発生原因となった仏の想いとともに、根本仏もあるだろうし


過去世が波長同通している何かや、霊界もまたあるだろうし


過去世で信仰していた何か、もあると思います。


智顗が発見した摩訶視観どころではないのです。


だからこそ、心の針を仏に向け続けて、この世で生きながら、おおいかさぶってくる↑のマイナスを綺麗にすること、つまり、淡々と精進することが最重要なんだと思います。




すべてがあるのなら、自分の精進にかかるカルマの理屈、もまた理解できると思います。


内から湧いてくるもの、外に見えるもの、が連結して見えるものです。


布施行では、不浄なるものを拒否することもでき、不浄か否かを判断することも大事だと思うのです。


それは、善悪ではなく、未熟なものを先導する容態だと思います。


潜在意識のそれを綺麗にし続けるため、私達が何回もやり直しをするのは、当然で、やり直しのなかに深さがあります。


この前、仕事しているときに、支部にいるときの自分でいたら、楽だろうなと思っていたら、、あることに気付きました。


この世の所作、で通用させないといけないと思っていて、対人の仕事のときにだけ、相手に分かるような言葉を用いていたので、この世の仕事をするのに、難しさを感じていました。


それでいて、約束していただろう伝道するべき人を探していました。


ふと、その善悪を、一切の未熟さ、として見たときに、仏と悪魔のあいさにいた自分が、一つの縦軸だけになるのを感じました。よくある善悪二元論が光一元論になった瞬間ですよね。


そしたらば、伝道すべき人は全員になり、仏の就学カリキュラムで、魂の保育園を卒業するか否かくらいの人が三帰なさるのだなあと感じられました。


そう考えると、すっと楽になり


三帰する以前の、または、三帰してすぐのためしの、三帰前後二年に


輪廻転生が本当なら、すべての人が自分の子だったり、お世話になったりした縁者かもしれないと思っていい


と考えていた時期のことを思いだしたのであった。。。