思うことが交錯する世界
1日を送ってみて思うことは、なんとまあ、私がちょっと一日の数時間、人といるだけでも、まるで、草の根のように、人の想いが交錯しつつ、繋がっていて、影響しあってるなあということ。
なんとまあ。
それぞれの立場があって、それぞれの立場で思うことがあって、困ること、喜ばしいこと、さまざまである。
その草の根のなかで、それぞれ全部が、喜ばしいこと、が実現するかというと、実現するものだと、私は思う。
マクロで見ると難しいかもしれない。ミクロで見ても難しいかも。
ちょうどいい塩梅の、視点で見て、ちょうどいい塩梅の、折り合いをつけて、も必要だけども。やはり。
やはり、同じ志、である方がずっとわかりやすい。
同じ志を持つことは、実は難しいかもしれない。
どうしても、同じ理解、で立っていないから、立場として、同じ志でないこともある。
もうすこし、抽象的で、高い理想を志とすると、うまくまとまると思う。
それは、きっと、会社の理念、と同じようなもの。
多くが理念を作ること、から始まる。だから、難しい。
思うこと、想うこと、念うこと。
おもう、には、次元があると、私を導いた方が教えてくれたのを思い出す。
思うよりも想う、想うよりも念う。
念となったおもいは、実現する。
理想、理念の違いか。
自分の理想はあっても、自分の理念はまだない。
しかも、自分の理想もかなり薄い。どこか、であきらめてしまう。
でも、神様や天使、は、不幸な人を幸せにしたい、幸せな人をより幸せにしたい存在なので
幸福を高める
を考えたいけど、貧乏症なのか、なかなか描くことができない。
大目標は、実態と乖離しているので描きやすい。その大目標に至るまでの計画として、中目標、小目標の段取りを描くのは、奇跡に近い大目標であるほど難しい。
自分の想像を超えた幸福な未来を信じられるかという話。
過去、私には難しかった未来である今を与えてくださったので、このあたりは、どんなふうに動くのか分かるけど
かといって、今また、より輝く未来を祈念するは、なかなか難しい。
草の根の交錯ななかで、より輝きを増した草の根になろうとする前に、一日に余裕がない。
感謝することを停止してしまうと、ネガティブな言葉が頭に流れてくるときがあるので、この仕組みを変えていく必要を感じる。
精神的な惰性をやめる。