らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

お願いごと

霊体質の方もそうでない方も、ちょっと変な界隈のことに関心を持ってお読みになられてると思うんですが、ふろんてぃあさんと話をしていて、ああ、そうなんだなと思ったことがあったので、思いの丈を書いてみることにしました。

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、霊体質にまつわった記事を書いているとき、私は、とても硬い文章になっています。察してくださったのでしょう、ある読者さんが「霊体質でよかったことはなんですか?」と聞いてくれて、それを記事にしましたが、私は霊体質でよかったことが見つかりません。

もっと言うと、肉体の障害を持って生まれた方が感じるそれと、まったく同じだと思うんです。私の親愛なる友人に、肉体の障害を持って生まれた方がいます。私は、そちらの界隈のこと、も、よく知っているので、友人には友人としてかかわっています。障害受容、という言葉がありますが、友人によると、「障害受容」は死ぬまで続くだろう、と言っていました。

友人は大学まででていますし、障害者としての教育、ではなく、健常者に近い教育を受けてきました。特別支援学校ではなく、特別支援学級でもなく、通常級で学校を過ごしました。肉体的な障害、だったので、その障害と付き合っていければ、健常者と同じこと、ができるからです。

でも、移動教室、体育祭、学校生活での係活動、学校生活におけるすべてが、健常者と「同じ」ようにはできないのは当たり前です。でも、級友や支援の先生からのサポートを受けて、学校生活が成立しました。友人にとって、その生活は、障害を乗り越えようとする母との二人三脚だった生活の延長のように、相手を変えて、社会と友人、という構図で送られていきました。

その中で、障害を乗り越えようとする母ではない他者の反応に、友人は悩みました。「理想を語る大人」は、友人の将来にかかる困難を考えることがあったのかは知りませんが、友人の障害を支援しつつ「健常者」のようにふるまうひともいました。級友の多くも、「大人」の気持ちを踏襲するように、彼に対応しました。でも、そうでないひともいました。

友人への支援を、迷惑だと思う人もいました。なぜ、一緒にいるだけで「支援」しなければならないのか、自分で精一杯なのに、どうしてあいつだけに親切にみんながなるんだ、という嫉妬もありました。もし、本当に「同じ」というフラットな立場であるのなら、当然の感情だと思います。

友人は、「大人の語る理想」や「母親の考える理想」を押し付けられて、「支援されることが当たり前」の中学生を送り、やっと、「支援は当然ではない」と気づきます。友人関係のなかで悩み、教えてくれるひともいないながらに、「妄想」を植え付けられた友人にとって、「厳しい現実」を受け入れたのでした。泣きながら、泣きながら、「感謝」を覚えていったそうです。

もちろん、おとなになった今は、「なんて自分は傲慢だったか」を笑いながら言いますが、知性も発達して遜色ないのに、自分のせいではない障害に責めどころもないまま、周囲の大人は「理想という妄想」しか語らないままに、自分を受け入れることは、とても大変なこと、だったと思います。

そうして、高校、大学と進みますが、その後、つまづきがまた、訪れます。

就職です。

友人の母は、「健常者」としての就職を望みました。彼も、また、できると思い、「健常者」として応募しました。私は付き合いが長いので、それでやっていけるのか、と聞きました。弾む声で、「うん」と言いました。彼は、国家資格を取得していて、身体の障害にかかわらない仕事だから「できる」と思ったのでしょう。

でも、私は考えました。肉体的な障害があるということは、「動作」に違いがあるのです。どんな職場かにも依ると思いますが、「1分」を争う仕事だってあります。トイレ休憩も、他のひとと動作が違うので、時間がかかります。部屋にお客さんをお通しするのも、「同じ」ようにはできません。そうしたことが、どれだけ「仕事」に響くのか、想像するしかなかったのですが、とても「健常者」に求められるような状態、が作れるとは思えませんでした。

案の定、数ヶ月して、解雇になりました。もうひとつ、雇用されて、また、解雇になりました。それから、しばらく、支部に通って、ボランティアをしていました。

私は、解雇になった理由、を聞きました。友人から聞こえるのは、「相手の主張」と「自分の言い訳」でした。でも、私は、友人に厳しい現実を突きつけました。彼のことを思った優しいひと、は、多分言えないと思いました。友人の母は、友人を「健常者」に仕立てあげたいだろうと思いました。友人の母の気持ちを思うと、心が痛みました。でも、友人は、生きていかねばなりません。

障害者雇用を勧めた私は、それでも、彼の肢体不自由が治る可能性も考えました。脳から来ている障害で、友人は、「奇跡」と呼ばれる状態をつくりだしました。それは、友人の母の愛情によるものでした。リハビリを一生懸命やって、「奇跡」を信じて、友人を健常者にしたかった、その想いは、想像すれば、執念に近い、友人への愛情で、それは言葉にならない「愛」だと思います。

でも、彼は、みんなと一緒で、「お金」を稼ぎたかったし、「遊び」たかったし、「社会貢献」だってしたかったんです。そんな友人へ、ゆっくりと障害受容に向けて、また、できることを探して、私は友人として、話題に出しました。そんなに特別なこと、じゃないけど、配慮は必要なんだよね、と言った具体に。

なので、私も、関っているうちに、友人の「障害」を忘れてしまうことこともあります。例えば、駅から待ち合わせの場所までの徒歩時間を配慮しません。でも、彼は、シックスパックの肉体を作り出していて、筋肉でもって、それを乗り越えてきます。でも、何ができて、何に困るのかを具体的に「聞き取る」こともあります。実際、「疲れ方」は並大抵のものじゃないかもしれません。

でも、友人は私よりも活動的です。
(若いからwwww)

今は、障害者雇用で就職をしていて、念願の「脱毛」をしたと思います。髪も茶色に染めて、イケイケな様子です。誰かを助けることができる今が、とてもうれしそうに思えます。こころなしか、顔色もいいです。(垢抜けただけww)

でも、障害者雇用に切り替えるときに、彼の母は猛反発しました。心の準備ができた友人に、ハロワに行って相談することを伝えると、アセスメントシートかな?、いろいろ聞き取りが必要なんですが、彼の母への聞き取り時には、終始批判的な態度で、「それを聞き出してどうするのか、意味があるのか」と言った具合だったそうです。

友人はそれを見て、「ああ、これか」と思ったそうです。友人の母の心は、友人の母の問題です。なので、それにいちいち考えることもしないようにしているでしょうが、それでも気になるというか、重たいものだとは推測します。友人の母は、友人のために生きてきた「生涯」だったからこそ、友人をてばなせずにいます。

友人は友人のしたいことをしたいようにできる今、を、謳歌したいのに、一人暮らしの部屋を借りた今でも、その部屋に住んでいません。コロナ禍だからそうですw

ほら、私達と一緒のところもあるでしょう?

でも、「障害」にかかわること、って、やっぱり、どれだけ近くに近づいても、近づいた分だけ「理解できない」と思うんです。自分との違い、が明白になっていくだけで、気持ちについては、なおさら、どうしてそうなるのかまるでわからない、ったふうに、思えてくるんですよ。

それを私が友人にぶつけても、「理解してくれない」と思うでしょう。理解できないことを知ることしかできなくて、理解できないことをも受け入れて、理解できるところで付き合っていきながら、友人のことを好きだと思い、友人の理解できない話を聞きながら、ほーっとかかわるんです。

でも、それって私達と一緒でしょう?

誰かの仕事と私の仕事が違えば、その仕事の苦しみなんてわからないし、重要な観点もわからない。わからなくて当たり前だし、わかってほしいなんて、ひとは思わないところでかかわるじゃないですか。

それでいいと思うんですよ。

でもね、「霊体質」のひとの多くは、「霊体質」を自覚したときには、ほとんどが、友人の「肉体的障害」と同じようなことになって、劣等感で苛まれるんです。それが「特別」だと思うひとがいたとしても、その多くは「劣等感」を埋めるようにふるまっているだけだと思います。

「違い」とはそういうものだと私は思います。

決して、「同じようには理解できない」けれど、その状態をそのひとの立場に立って、そういうものか、と、「理解する」だと思います。

とくに、「霊体質」だから起きることは、三次元ではほとんどが、「霊障」です。その「霊障」のひどさを訴える私の記事は、

霊体質さんにとっては「変われるんだよ」という希望の汽笛と

その「霊障」は「心」が影響されやすいからの要素も考えないといけないよという忠告と、

霊体質ではない方々へ、私達「霊体質さん」との関わり方を提案するものです。