らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

霊力について

私は、霊能者、である、と思う。

よくわからない10代を過ごして、その不幸のわけを知ったのは、いよいよ、こういう世界が本当にあると確信に近づいてきた30才くらいの頃だった。

しかしながら、実は、先に衝撃的なフラグはたっていたのだった。

遡ること、うら若き大学生の卒業旅行。友人と京都へ遊びに行った。その友人は、なんでか知らないが、鈴虫寺に行きたいとのことで、そのバスのなかで、なんでそうなったのか忘れてしまったのだが、黄金の神仏が描かれたカードを私に見せた。そのとき、私は、カードを見た瞬間、涙がボロボロとこぼれ落ちただけでなく、涙がとまらくなって嗚咽し、とんでもないことになった。なので、途中下車して、川沿いで休んだ。わけのわからないことをつぶやきながら涙する自分が「おかしい」と思いながら、仕方がないので帰宅した。

当時彼氏だった旦那が迎えに来た車に乗った瞬間、私が旦那に放ったのは、

「女の人を乗せたか?」

だった。夫は焦った。夫は、ただただ、浮気を疑われた彼氏よろしく、それは友人であることや、その女性との関係を詳細に言い訳がましく語った。私はというと、それどころではなかった。「なぜ、女性が乗ったのを知り得たか」でパニックになった。お互い違うベクトルでパニックになって、ひとしきりわめいて落ち着くと、夫にわけを説明した。

「私は貴方の浮気を疑っているんじゃない。なぜ、女性が乗ったかが自分がわかったか、が怖いんだ」

今から思うと、夫はダブルパニックだったに違いない。その後、私が語ったのは、その女性が夫につきまとっていて、車にはりついているのが見える、という話だったのだから。車の事故に気をつけたほうがいい、ということも伝えた。


本当に自分が何か分かるひとになった、と思うと、心の底から怖くなった。何かを超越したひと、なにかどうかもわからないまま、それは腹立たしくもあった。そのような意味のわからない、説明がつかない世界のことは、私にとってはおもしろいことではあるが、エンターテインメント以外の何者でもなかったし、憧れもなく、ただ、映画を楽しむのと同じようであったため、青天の霹靂とも言えず、ただ、ただ、パニック、という言葉が似合っていた。

そんなことはないだろう、と思いながらも、親しい友人には話すもので。夫に説明した後、本当にそうなのか、ということでいくらか実験したことを繰り返してやってみる。

PHSなどがあったその頃、私達にとっての携帯はiモードと呼ばれるネットで遊ぶことくらいしかできず、写メがようやくできる時代だった。携帯番号と氏名、だけで、そのひとがどんな髪型をしていて、どんなひとなのかを当てるという実験だった。夫だけのそれ、でそうだとは言えない。が、友人のそれも、そういうことで証明された。

その後、わけのわからないものがわかる、ようになって、ほとほと困った挙げ句、その引き金になった黄金カードの製作者である霊能者のところに行くことになった。とてもうさんくさく、辻褄の合わない話ばかりで、おおよそ、信じられるものではなかった。なので、3万円だけ置いて、信頼できないひとだと判断した。激しく拒絶した。神がいるというのならば、あれを神が肯定するわけがない、とも思えた。全身で拒絶した。その夜、泣き続けて、母が懇意にしている寺のお坊さんと話をして、「なかったこと」にした。

そのお坊さんも若干わかるひと、らしく、そのひとが言うことには、「そういうことはままあるものだから、あまり深く考えないで、今日怪我するかな、と思ったら、バンドエイドを持ち歩く、そんなくらいで考えたら良いよ」とのことだった。私にはそんな心の余裕など無く、「なかったこと」にした。

黄金カードの霊能者はほどなくして亡くなった。
婚前旅行のつもりで企画した近場の旅行に行く車の中で、夫は事故をした。私は急激な睡魔に負けて、眠りに入ったその一瞬で事故は起きた。


その後、息子たちを生み育てるなかで、今でこそ言うが、おかしなことがわかる瞬間、は多々あった。でも、それは戯言として私も思っていて、夫もまた、戯言として聞き流していた。そういうことにしておくほうが、ずっと健康的で、付き合いやすかった。

どうしたらいいかわからないのに、どう向き合え、というのか、ということでもあった。

だが、ある就職を控え、バイトとして勤務する傍ら、激しい頭痛が終始訪れるようになった。夫はひどい頭痛もちで、頭痛薬を常備するようなひとだったため、私にもそれを勧めた。だが、頭痛薬を飲んだところで一向にひく気配はない。仕方がないので、寝込んでいると、ふっと見えたのが

「暗雲のなかから神仏とおぼしき黄金像と救済を求める人間」


見えた瞬間、全身の毛がたった。俗に言う鳥肌、というものではなくて、危険信号を全身で感知したような感覚になった。これ以上はごまかせない、そんな感覚になった。

それから3ヶ月ほどかけて、その界隈のことを教えてくれるひとを探した。電話帳もひいてみたが、なんだかよくわからないのでやめた。ひととなりが知りたい。この前の霊能者さんみたいに思えた。インターネットで探した。

あるひとは本物だと思えるが、何かおかしく、それが私には見つけられないので、接触を断念した。インターネット上のブログを介して、私の画面に私が吐いた言葉を、睡眠中にその言葉そのままを受け取ったひとだった。

あるひとは私に遠隔ヒーリングをするということで接触をしたが、その時刻に、なぜだか私は、こともあろうに、酒が飲みたくなって、ソファの上で眠りこけた。そして、それで見えたものをとって接触をやめた。

あるひとは、ただ、ブログに、あの世のことを書いていた。でも、その内容はとてもそれらしいお話でありふれていたのにもかかわらず、私は、それが本当だと思った。そして、接触をとると、疑問に思っていたことを聞いて、このひとから話を聞こうと思った。それが、私の、幸福の科学、への導き手だった。

私は宗教が大嫌いだったので、あなたの言っている内容は、幸福の科学と同じではないか、と詰問したこともあった。でも、はぐらかされた。ときには、頭がいたいと言ってメールをした。メールをすれば、すぐに頭痛がひいた。チャットしている画面から、脳内に動画を送られたことも合ったし、私に憑依していた何かをイタコさせられたこともあった。過去世を知りたい、と友人に言われたのでやってみると、いろんな動画が脳内に展開したので、もらった本で調べた。あった。

一番、大変だったのは、体の痛み、であった。集中しなければ何もわからないので、そういうことは、導き手とだけした。そうする中で、霊感覚のオンオフをつけれるようになった。でも、憑依となると、痛いと知覚した時点で、粘着質にこべりついているので、「反省」ではがすことはできなくなっていた。なので、仕方がないので、三帰することにした。

その後、調子が良かったのだが、職場の飲み会でざるのように大好きな酒を飲むと、翌日、なぜか死にたくなった。仕方がないので、昔のゲームを引っ張り出してきて、鬼武者をえんえんとやった。3日もすると情けないやら、気分が晴れることもないので、仕方がないので、お経を読んだ。家で読むのも嫌だったので、車の中で、ひとりきりになって、山手のひとどおりのない車道で、深く息をいれて読んだ。治った。

そういうわけのわからないことをえんえんとした。


霊能者なんだよ、って言われたその当時、私は受け入れられなくて、どこか本気じゃないまま、バカにした感じで遊びとしていろいろしたが、「なんでわかったんだよ」と罵倒を浴びせて繋がりを切った友人もわりといる。私はただ、やってみろと言われて、当てるつもりではなく、おもしろがってやってみただけだった。職場の地図、職場を中心として打ちっぱなしと川の位置関係、玄関と窓、階段、履物、など、見えたものを伝えただけだった。当時、なんで怒っているのかわからなかったのだが、後にして、わかった。彼は怖かったのだ。

相談してきたのにもかかわらず、彼氏は妻帯者であることを隠していると指摘した上、よくない心霊写真のありかを伝えたところ、「わからないほうがよかった」と言ったひともいる。恐怖、を感じたに違いないと今では思う。ひどい恋愛の結果、と、まじりあって、ひどい思いをした、のだと思う。

かえって、恋愛相談すらも、話を聞いているうちに、相手の思いを知り得てしまったこともある。友人は、ただ、ただ、きゃぴきゃぴな恋愛談義に楽しんでいたのだろうが、あるとき、真剣な顔をして、渡しに言った。

「なにかみえてんの?」

霊能者カードをすっかり忘れコケていた私は、何いってんの、と笑い転げたが、彼女は真剣な顔つきで言った。「だって、らいらが「○○はこう思っている」って言ったことを一ヶ月以内に、○○が私に話すんだよ。おかしいじゃん」そして、私は彼女の不吉な未来を予知する。ただ、これはよくないと伝え、それを選べなければ、因果応報でこうなる、と言った。8年ほどして、それは実現した。彼女は、それでもいいと言ったが、8年後の実際は、取り乱し、鬱になり、痛みに耐えた。

いつ結婚するのかと聞いてきた友人に、霊能者占い的に未来視をすると、シングルマザーで男の子を生む未来が見えた。中学生になったとき、高校生になったとき、その都度を見た。いま、その子は、小学生だ。そして、彼女はシングルマザーだ。


こういうことがあって、私は「霊視をする」ということが大嫌いだ。当てられるかどうかを波動で出してくるひともいるし、結果だけを知ろうとして大事なことを知りたいと思う人はほとんど皆無だ。当てられるかどうか、を出してくるひとからは、何も知れない。知れたとしても、「試そう」という波動が、間違いを誘引させてくるし、視えるものも乱れる。それに、何より、視えたところで、互いに益はない。

お互い、友人として「好きだな」と思っていても、こうした世界が介在すると、やっかいになる、ことはよく知った。それをとびこえて、それがわかったとしても、その上で、その世界をとびこえて、「ともにいたい」と心を研鑽することに目を向けた友人だけが、私の近くにいられた。悩み、というものはときに厳しい現実や事実を突きつけてくることがある。それをまっすぐに受け止めよう、受け止めるためにはどうしたらいいか、というひとだけが残った気がする。

わからないままでいたいひとは、多くいるものだ。

それでも、どこか、なにかに期待して、こうした場所に手を伸ばそうとするひともわりといるものだな、とヒーラーさんを見て思った。でも、たぶん、あのヒーラーさんは霊力は、それほどにはない。


ある職場の同僚が、よく高熱が出るので心配をしたとき、その同僚が霊体質で邪気にあてられると高熱を出してはじく、を知った。欠勤が許されない職場だったので、かわいそうに思い、高熱を出さないようにする手立てを教えた。こうするといいよ、と。避けるべきものや、尊ぶものの選別の仕方も教えた。

それを伝えると、同僚は衝撃的なことを私に言った。同僚は霊的なものはまるで信じないが、同僚の母にはお抱えの霊能者さんがいて、高熱が出て救急搬送されたときにも母が相談したそうだ。そうするなかで、同僚に霊能者は伝えた。貴方の身近なところに、類まれなる霊力の持ち主がいる、と。

高熱の同僚のために、私はヒーリングをしていて、実は、そうしたことが起きていることを知っていて、ちょっと霊能者さんの邪魔をしていたことは、彼女には黙っていたし、今でも黙っている。


遊園地で、クラウンがある難しい芸にチャレンジしたとき、観客にできるよ!という「祈りを捧げる」ことを提案する、というシーンがあった。アイスクリームをなめながら、トイレにいった夫と息子たちを尻目に、クラウンの「目的」を感じ取り、素晴らしいな、と思った。よい集合想念は、互いによい波動を出す。クラウンはそれがわかっていてやっている、と思った。まばらにいた観客が「できるよコール」をばらんばらんと合唱するよりもずっと向こう、から見ていた私は、「できるよコール」のさなか、何回も失敗するクラウンを見て、イラつき、念を飛ばした。きれいに決まった。その様子を見て、私は驚いていたが、夫と息子が帰ってきたので、アイスクリームを購入すると、ふと視線に気づいた。クラウンが私をまっすぐ見ていた。

波動が整っているひとは、その多くは寡黙である。背筋は伸びているし、穏やかに笑うが緊張もしている。ああ、ハンターハンターだったかな。何か体から出してキープしているような、そんな状態。人混み、にはいない。たまに見かける。たぶん、こちらがわの世界の人。ひととのエネルギーでのつながりを切っている。

さて、私はどうだろうか。

実は、私は、そういう意味での訓練、をしたことがない。見様見真似でやってみた。できた。それだけだ。一体、私はどうしたらいいんだ。