らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

私は年末から、いろいろなことが起きて、気持ちも整理できていないわ、体調もよくないわで、とんでもない年末年始を送っておりました。

そんなよくある人生の途次でも、やはり霊能者は特殊かというとそうでもございません。

年末、仕事おさめの日に、人員削減のための解雇通知をいただきまして、職場が変わることが決定いたしました。ご紹介を受けての就職活動になりますので、あまり心忙しくする必要もないのですが、正職員になることも考えたりして心が忙しい毎日を送りました。祖母も亡くなるわ、父母も喧嘩するわ、来年度の仕事をどうするか、めまぐるしい毎日を送り、祈願を受けることにいたしまして、それでも祈願日を迎えるまでは憂鬱な毎日を送りました。

去年は、真ん中妹と父のものすごい喧嘩から年始を迎え、去年一年、父と真ん中妹の確執という隠れ蓑に隠れた父母の憎しみに付き合った日々を送りました。このあたり、当事者にお話をしたところで、憎しみにまみれた潜在意識をよく知らない一般人は、その「無意識」下における行動原理にまつわって、心や行動が一貫してあることも認めず、八つ当たりとも呼べる「怒り」というものを無関係にあたる人間に撒き散らします。

祖母を亡くした母と喧嘩した父は、年末、祖母宅へ逃げ込みました。宗教に我慢ならないとして、毎度、宗教のセミナー等に参加する姿を見ては、家出をする父に慣れた私達は、今回は宗教を理由としていない家出だったために、父方祖母に物申す材料を得て、私が代表して、話をすることとなりました。

いわゆる、世間でいうところの「毒親」と呼ばれるものです。私が観察するところによると、この「毒親」というものは、反社会性をどこまで帯びるかが問題でしかなく、その本質はどこの家庭にも見られるものと思っています。よくある家庭ものの映画やドラマだって、そんなふうにできているではありませんか。

そして、年末、怒り狂った父に小1時間電話で話をし、怒りを小1時間受け止めました。

幼いころは逆であっただろうと思いながらも、正直なところ、大人にもなって「迷惑でしかない」ことを強く言いました。父母は、祖母にも叱られて、今後はないと信じております。

父と母が、こどもに転化していた、自分自身の問題に向き合わさせられて3年ほどになるかと思いますが、まずまずの結果です。

一年の計が年始にあるとしたら、やはり、まずまずの年始でございました。

どうか、私たち夫婦の世代で、息子たちに負の継承が極力ありませんように、先祖供養を進めていきたいとおもいます。先祖供養の精進ほど、長く深くかかるものはございません。ちょっと供養したところで、祓われるものでもないのです。

相手は、私達が知るご先祖だけではないのです。


そのような中、いっときの休憩のような幸福な年始を過ごせましたことを、心より主に感謝申し上げたいと思います。息子たちの大富豪のルールにはついていけません。

皆様も、家庭ユートピアという信仰少国家を豊かにすべく、より豊かな幸いが訪れますよう祈念いたしまして、同志として精進の報告もさせていただきました。

一年振り返って、成長を認めるような精進が、皆様にありますように。

らいら