らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

ぷち鬱の正体

母方祖母が亡くなった。

プロの相談員に、ぷち鬱について相談したところ、早い段階で、私の母方祖母が危ないと知る彼女は、死別のストレスについて語ってくれた。

ライフイベントのなかで、ストレスがかかる指標を作ったとき、最も高い値を示すのは、死別である。

そういう内容を、適切かつ無駄のない表現で、私に諭してくれた。

すっかり、祖母へのお別れを済ませたと思っていた私は、なるほどなと思った。

祖父母のうち、一番長く時間を過ごした祖母である。無邪気に子どものように、感情をむき出しにして可愛がってくれた祖母である。

幽霊が見える、死別を超えて、会話ができようとも、祖母の温かい身体にはもう触れることはできない。

病院から一時帰宅した祖母を抱きしめて、心臓の音を聞いた。祖母は、何しとんじゃ、と私を怪訝にたしなめた。

祖父が亡くなる前も、小さくなった祖父に、私は耐えられなかった。酸素ボンベをつけて横たわる祖父に添い寝して、祖父にしがみついて泣いた。

その様子を見て心配そうにしている私の息子に、祖父は、お母さんはおじいさんに甘えとる、まだ子どもじゃ、と固い音で言った。

私の母方祖父母は、やかましい家庭をつくった。感情まみれの一族だった。思ったことを素直に表現し、激しく喧嘩し、けたたましく笑い、境なく喜び、また悲しむ。

私自身は、そういうことが苦手な性格だったが、母方親族にもまれながら、受け継ぎ、そして大人になって距離をとった。

気持ちが疲れてしまうことが多かった。

だが、ご先祖というものは、どこまでも子孫を愛するものである。

まだ妹が青春期だった頃、私がコントロールして視えるようになったはじめの頃。妹が彼氏を連れてきた。

私は、霊能者さんと呼ばれる方に、貴方は霊能者ですよと言われ、いろんなことを教えてもらっていた。彼もそうだと言う。

話を聞いてみると、明らかに、明らかに、単なる霊障であった。

人間は見えない。だけど、幽霊には助けが必要だ。この特別な力を使って、彼らを救わねばならない。

そんなお師匠さんのもと、彼は、あるエリアの浄化をすると言う。

彼の部屋を霊視すると、彼が創ったと思われる、残留思念のようなものが部屋中にこべりついたり、浮いたりしていた。小さかったけれど、異形のものだったし、たくさんあった。

どうして、それはおかしいのかをとくとくと説いたけど、納得がいかなかったみたいで、私を不思議そうに見つめた。

私は自分ではどうすることもできなかったので、私を導いた方にお願いした。4.5体ついているから、狂う寸前だと言われた。始末しておくと言われた。

当時は、とても敏感で、オンオフができずにいたため、その夜、私に挨拶に来た老紳士に起こされた。

もちろん幽霊である。来ている服や頭にイメージされる時代からして、太平洋戦争に行かれた方だった。

ふしょうのむすこでもうしわけない。

そうやって若い私に、頭を深く下げる老紳士に恐縮してしまって、私が何をしたのか、わからずに混乱していると、

そばに、武士か忍者かよくわからない格好をした人がふてくされて、いた。そして、なんでこんなやつに頭を下げるのか、といったふてぶてしい様子だった。

その変なやつに、老紳士は、ものすごい勢いで怒り叱りつけた。謝らんか!このお嬢さんがしてくれなかったら、どうにもならんかったんだぞ!

厳しい一瞥で急に大人しくなったそれは、私にしぶしぶ頭を下げた。

そのくだりを見て、妹の彼氏のご先祖さんと、守護霊であるとわかった。なので、私は何もしていません、頭を上げてください、私のようなものに頭を下げる必要はないです。貴方のような立派な方から、頭を下げられるような私ではないです。

そう伝えると、ほほえんで、話してくれた。

あれでも可愛い息子なんです。

そして、すぐに妹らは別れた。なぜかと聞いたら、よくわからないらしい。しかも、彼は旅に出たらしい。本当に、どこかに長く旅に出たらしい。

亡くなった父方祖父も、母方祖父とも、私は話せる。葬式の段取りについて父方祖父がものすごい勢いで怒っていたのも知っている。

私が離婚の危機や、父との仲違いをしたときに、父方祖父は、とんでもないやり方で意思を伝えたりした。

泣きながら運転していたら、頭の中で、そうめんでもくえ、と叫んだ。どうやってよ、、、と変な涙になった。

夢を見ていたら、亡くなった祖父がいると、母と妹が言うので、ならイタコしようと私が言った瞬間、

(ここまでが夢)

たーすーけーてーくーれー

の地獄の叫び声を何度もあげながら金縛りにあい、自分の声で起きると言う始末。

…破天荒な父方祖父である。実際は、怒り狂った父には父方曽祖父がついていたことを、精舎での瞑想で知った。

ヴィジョンがみえたのだった。キッチンで怒り狂う父のヴィジョンの背後に何か見えた。黒袈裟をきたじじい。どこかで見たことある、と思ったら、遺影でしか知らない曽祖父だった。

…父方祖父は亡くなる直前三帰していた。

まあ、そんなふうに、死後も、血の繋がりは、切っても切れないのである、、、、残念ながら。

一時帰宅したとき、母方祖母は、すでに、5人以上迎えが来ていた。

今日は、ニコニコしながら、祖母の跡取り息子の名前を連呼する祖母を見て、安心した。

私の息子の帰省に、父母が迎えに行った帰り、祖母のいる病院に近い道で、連絡が入った。そのまま、病院に行ったらしい。

私の息子の帰宅を待っているのは知っていたが、本当だったんだと泣けてきた。

ありがとう、おばあちゃん。

これからも、よろしくね。