起死回生
映画を見たあとに、なんだかよくわからないうちにぱぱっと決まった起死回生。妹と一緒に受けてきました。
私的には、人生に一回でいいもの、だと思っていて、死ぬまでに受ければいいかなって思ってました。
起死回生が気になりはじめたのは、四年前。たぶん、そのときに受けるべきだったんだと思うんだけど、上記の理由で、先延ばしにしていました。
友達と一緒に栃木に行ったときに、起死回生を受けた人に出会ったり、たまたま行った支部でのセミナーに、起死回生のお話があったりして、私はなんだか、これは、私の人生計画上、この時期に必要なのか、と思ったりしました。
私は納得がいかないとダメなタイプで、死んで蘇ることも、そうも何回もやらんでもええがな、という気持ちもあったりして、
やった人にインタビューしたりして、受けるための妥当性を集めてみたりしたんですが、なかなか、自分にヒットせず、もやもやと過ごして来ました。無駄な時間だったな、と今は思います。
なんでかって?
、、、真言だったんですよ。
私があまりに起死回生と言うものだから、周りに起死回生を受ける人がチラホラいらっしゃって教えてくださっていたのですが、真言だとは聞いていたはずなのに、、、、
感想は、、、真言だった、、、です。
どこの精舎にももちろん高級霊がいらっしゃるもの、です。
なんにも考えないようにしようと思ってたので、ボーっと過ごしてきたぶん、あまり細かいことは見てないのですが、今回、礼拝堂では、
支部で見る天使さんたちより3倍より大きい
(支部では、人型くらいです
精舎より2倍より大きいくらい
の、大きい方々を見て、あれはなんだろうなあと思いました。なんか、でかかった。礼拝堂のご本尊の胸のあたりくらいの高さで、3人くらいいた。なんなのかわからないので、尊敬語もでてきません笑
秘法の間、の前室でも、やっぱり、精舎や支部よりも濃くて大きい何か、がいらしてました。
ボーっとしたかったので、霊視ではなく、肉眼に近いとこでの知覚です。そんなふうにわかるのは、明らかに神様です。ち、ち、近かった。
妹はあまり分かる人ではないです。支部にいらっしゃる天使(三帰式にいらっしゃる)がわからない人で、ただ、いらっしゃると信じてる人です。
でも、私が勝手に、このクラスは如来に近い高級霊ではないか(三帰式にはいらっしゃらない方々。少なくとも、普段見る天使とは格が違う)と考える、濃密な方々は、妹は分かるみたいで、いらっしゃることに気づいたときに泣いていました。
私はというと、この方々にお会いするのは初めてではないので、ただ、いつもより大きいなあと思ってみつめていました。
私的には、起死回生を決めてからの1週間に起きた気づきの新しさだとか、シンプルな気づきの無駄のなさに感激をして、今まで他者からとったデータと照らし合わせて、何が起きているのか研究をしてたので、疲れてたのか、あまり関心が持てませんでした。
いらっしゃることにはもちろん感謝です。
神秘的なことが好きな方には、神様のスピリチュアルな話はおいしい話かもしれないけど、精舎って、そもそもに、こうしたことが当然のように起きる場所です。
自分が見えるとか感じるとかも大事かもしれないけど、見えた、感じたことを大事にしないでもよくって、万人に与えられます。
ですから、霊能の悩みを抱えることなく、そうしたことは霊障との闘いを乗り越えてきた霊体質の方々に任せたらいいかなと思います。
使命としていただいたなら分かりますが、私は、霊体質の悩みを、いたづらに皆さまに持っていただきたくありません。
いいですか、皆さま。
起死回生には、ちょっと、格の高い方々がお見えになりますよ。あの世では絶対、会えないような格の方々ですよ。
(当たり前か笑)
以下は、私の法友とシェアした研究の結論。
起死回生は、地球にきてはじめてわかる、宇宙世を通過してきた自分が、地球に来た宇宙人のるつぼのなかで、あらわれてくる学びの偏りを是正して、地球の、つまりは、エルカン信仰という、大宇宙から見た自分の偏りをあらわにして、幸福になるやつ、なんじゃないかな。
偽我の前にある根源の悪心のコアが見つかる。
祈願ではあらわになりにくいと思う。
祈願は、自分が課した祈り、目標がある。
が、その祈願こそも、自分の偏りの目から出でた内容であり、その方向だけが突出して精進を深めていくとなれば、当然のことながら、他の、基本的な自分の偏りが見出すことができないままになる。
その部分だけ、おしなべて、へこみのように停滞し、つまり、精進そのものにすら、停滞が起きてくると推測する。
他の祈願のように、あらわれる自分の反省とはまったく違う視点で、過去のフラッシュバックはあるが、ゆるやかに、かつ、単的に、無駄が一切ない気づきが引き起こされる。
私のそれは一体何か、と言われたら、なんと恨みだった。自分には、貞子みたいな自分が潜在意識にあるのは知っていて、癒やしを続けていた時期もあった。それでは足りない、貞子の井戸の向こうには、私は怖くて行けずに、井戸をふさぐことしか考えなかった。
夫には、起死回生を受けて半年、あなたは何が変わったかを聞いたら、嫉妬をしなくなった、だった。
あれは嫉妬だったのかと思いながら、嫉妬と言うとルシフェルだなと考えていて、自分に起きるフラッシュバックと気づきを並べると、嫉妬ではない何かの形が見えるように感じた。
起死回生を受けたいと思い受けるまでに、来ていた魔、も並べてみたりして、考えた。
怒りの根源、恐怖の根源、嘆きの根源、、
嫉妬の人もいるし、恨みの人もいる。
積極性の高い男性性は嫉妬になりやすく
受け身が高い女性性は恨みを募らせやすい
与える人は、自分が他者に与えることができる範囲や質を比較し、嫉妬し怒る。与えていないのに。
与えられた人は、自分が他者から与えられものに、恨みや怒りをもつ。与え尽くしたのに、そんな仕打ちなのかと。
でも、本当は
その結末を引き起こした自分の選択や判断、生き方に全ては理由があるはずなのに
そのうわべの反省で生きていて
ただ、孤独にもある根源的な自分の人生の生き様を見つめることがなぜ、こんなに難しかったのだろうと思いながら、法友にラインしながら総本山に向かったのだ。
で、真言だった…。
卑怯だと思ってしまった。
なんでかって?だって、真言だよ?
神様の言葉だから、自分がどううけとるか、なんて全く関係なく、ただしく、魔法がかかるじゃん。ただしく、すべては、まわるんだよ。
なんか、、、、もっと早う受けたが良かった。
お金が出っぱなしで、すっからかんなのに、なぜか、、、、帰宅中にすでに動いていました。
何がって?
人によって使命に必要な課題、って違うから、どうあらわれるかわからないけど。
あなたの運命をただしく変えて、使命を果たす幸福、が与えられるように、まわりはじめるのは確実だと思う。
自助努力では無理なやつだね。だって、真言なんだよ。圧倒的な他力だわ。
もちろん、妹は、私とは違う。
私の周りでは、◯◯では叶わなかったのに起死回生で結婚が決まった人とか、奇跡の出世だったり、政治で信仰告白になったり。
その人がお役に立てる何か、は、人によって違うからわからないけど、自分が幸福だと思えるお役の立ち方、だと思う。
私はあんまり表に出たくないタイプだから、たぶん、地道にコツコツとできる道だと思うな。