らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

貴方の守護霊は生きている人間のところに行ける

ひとの守護霊がこちらにコンニチワと来ることがある。私の守護霊もコンニチワとお伺いすることもある。

 

でもって、そのひとと守護霊は、ほんとーーーーーーにそっくり。

 

霊体として別に持っているのにもかかわらず、言葉の反応もそーーーっくり。

 

むかーし、WEBで今みたいに霊的な世界についてお話をしていたころ、わりと読者さんからはアクセスがあって、いろんなことを聞かれたことがある。そのうちのひとりが、「あまりにも自分は不遇なので、守護霊がいないのではないか」と言ったことを聞いてきたことがあった。

 

確かに、生きている人間のほうが、あまりにも学ぶことや、幸福になるための努力をしていないときには、守護霊は霊界に帰っていて遊んでいることもある。トランプに興じて、まるで関心がない、と言った具合だ。生きている人間のほうが、守護霊の存在を認めなかったり、存在していることも知らないままだと、そうなることが多い。

 

存在を知らなくても頑張っているひとには必ずそばにいるけどね。だって、知らない人ばっかじゃん。基準は一定ライン存在するけど、存在すると知らなくても、頑張っていればそばにいるものだよ。

 

「守護霊がいないのではないか。自分の守護霊は怠け者ではないか」と聞いてくれた読者さんに、どう回答したらいいかを考えていると、ふっとそばに、その守護霊さんが来ていることがわかって、びっくりして、話を聞いてみた。

(この頃は霊体でとらえている時期。今は、霊体のそれを認識することがあまりない。今の私にはちょっとむずかしい。なので、FOBに頼むことが多い。)

 

「あいつさぁ、怠け者なんだよ。だって、なんでも他力本願っていうかさ、どうにか状況がよくなればいいとしか思っていないんだよ。それを俺がどうしろっていうんだ。あいつはダメなやつだって言ってやってくれ」

 

…守護霊の愚痴を聞きながら、本当に、守護霊って、本人とそっくりなんだなぁって思った。なので、守護霊の主訴を伝えずに、貴方そっくりで、こちらに来たので、そばにいると思いますよ、とだけ伝えた。

 

あんまり守護霊を認識していないひとは、守護霊がこっちに来ることはなくって、生霊という形でやってくることがほとんどである。

 

今日は、以前、生霊をくださった職場の方に八つ当たりをされたので、「はぁそうですか」とだけ言い、自分の仕事をしていると、その八つ当たりのネタを提供した方が走って、あれは八つ当たりだからね、と話しかけてきた。そんなことは知っているww

 

でも、あまりも私が平然としていたのと、どうでもいい話を聞かないで仕事に目を向けていたためか、くどくどということもなく、なんだかおかしなやり取りだった。そして、傾向で言えば、その方は裏である。

 

教示して指導することなしに、自分が勝手に決めたルールをしき、責任を人道的に要求する。人情に訴えかける。そして、権威主義で、自分の気分次第で、立場を用いて弱いものいじめをすることもある。ひとがいい弱そうなタイプの人間にも、いじめる。自分のミスをひとのせいにする。

 

なので、強くものが言えるタイプの人間には、手を出したりはしない。(言葉かw)

 

だけど、いいところもある。でも、褒められたいだとか感謝されたい、いいふうに見られたい、のも、とても見ていてわかる。不幸なひとには優しい。霊視すると、とても気が弱い方、というのも見て取れる。

 

嫌いかと言われれば、どちらかというと好きだ。髪型も好きだし、ひと好きなのも私は好き。でも、仕事がキャパ超えているとき、だいたい八つ当たりをする。本人が自覚しているかはわからない。ひとのことをやりすぎて、自分のことができなくなっている様相にも見える。かわいいひとだけど、誰かにいじめられてきたんだなって思う。だからって、彼女が不幸だとは思わない。彼女には、生きる強さがある。

 

つまり、悪い人ではない。でも、適切な付き合い方が必要。

 

ほいでもって、こういう現実的に超生きてきた方で、頑張っているひとが生霊を飛ばしてきても、本人の被害妄想なことが多いので、ちょっとびっくりする。とりあえず、守護霊はその生霊と混ざり合って来てはいない。私は、そのときは、彼女のためにお祈りをした。

 

でも、生霊と守護霊がねじこまれたもの、が来ることは今まで、あんまりなくって。

 

実は、FOBに私の守護霊をイタコしてもらう、という取り組みの前に、ある生霊が来ていた。

 

その生霊は、裏らしい表現形態でいらっしゃってて、ものすごい怒りと、ものすごい罵詈雑言と、ものすごいあれそれ、を訴えてきたので、無視した。

 

そう、馴染みのないあの方、の記事の方である。生霊云々は魔が見せるものもあるので、あんまり、私自身が被害妄想的になってはいけないと考え、私の思いを伝えて終わりにした。

(そんなのイチイチ相手してられない。)

 

その後、たぶん、馴染みのないあの方の守護霊がいらしていて、それをFOBが私の守護霊ととりちがえた、のだと判断した。

 

どこでどう判断したかというと、やはり、メソメソ泣いたところだった。どんなに自分が頑張ってきたか、とか、どんな怖い思いをしたかとか、自分を褒めてもらいたいとも取れるようなことを私が訴えることはない。

 

どちらかというと、自分を自分で確認するかのように、評価をするので、人様に「それは普通は自分では言わない」とか、K君には「ルーツが外人だからか?外人って自分の成果を言いたがるよね」などと言われる始末である。決して褒めてもらいたくて言っているのではなくて、確認をしているのだ、と言う。職場では、ほほえましい5歳児として皆がにこにこ見守る雰囲気を獲得しているくらいだ。

 

いいものはいい。悪いものは悪い。だと思うしね。

 

それに、私がFOBがイタコした守護霊ツッコミをいれたいろいろをとっても、やはりおかしいと思う。ツッコミをいれられる時点でちがうと思う。先にも伝えたように、守護霊とは自分とほとんど同じ、なんだよ。うちの守護霊がひととの調和のために動かないなんてことはないところもおかしい。今までも、だいたい、先回って、動いてくれている。

 

実際、ひととひととの調整ばっかりしている私は、らいら家のドラえもんとなっていて、家族内の人間関係をおさめるのに長けているぶん、私の発言は重い。父と母の離婚騒動にもなった喧嘩の折り合いから、愛をささやかせるところまでやる、私にとって、あの守護霊の発言は、私とは性質を異とするものである。

 

でもね、似ているところもあるんだよね。

だから、取り違えてもおかしくはない。

 

 

まず、霊体。プレアデスの霊体って、みんな美しいんだよ。お姫様だよね。出てる波動は同じものだと思う。ここ、間違えてもおかしくない。

 

あと、その守護霊の苦しみね。それ、私もないわけじゃないものだったから。でもね、私、それでも冷静に理解することができる脳みそはあるんだよ。ただ、心がついていかないことがあって。そのところの心を表現しているなら、私は黙るしかない。でも、意思として、まったく別のベクトルにあったのはたしかだ。

 

私は、ただ、そのままを愛することがどういうことなのかを、積極的に知ろうとしているし、自分の愛、に問題を感じているのは確かだったからだ。ここの問題改善へは、かなり熱心に取り組んでいるよ。

 

でも、私の職場の隣のお姉さんや、家族の養成をするなかで、こういうことかとちょっとわかったこともある。それはね、伝道師さんのところで、胸のチャクラをヒーリングしたのも功を奏したのも確かなんだ。ただ、関係を楽しむ、くらいでちょうどいいみたいだなって思うようになった。

 

私、法雨を流すとき、昔は、心も振動して嗚咽することが多かったのだけれど、最近は、無機質に流れることが多い。流れたあとは、だいたいものの見方が変わるんだけどね。正見に近づくたびに、涙が流れるんだろうなって思う。左と右で意味があるんだけどね。日常でもほとんど心が揺れないかな。将来への不安だとか使命への希求はあるけど、だからって、不幸だとは思わない。わりと毎日、にこにこしてる。

 

だからこそ、あのメソメソした守護霊には違和感しかなかったんだよ。

 

だから、タイマン勝負だって、超アドレナリンがたかぶって、久々テンションがあがったのに、特にやることはない。つまんない。

 

あ、そうそう。守護霊の存在を信じているひとなら、守護霊を動かして、こちらに来ることはよくあるよ。でもね、いいことも悪いこともあるかな。

 

嫉妬で苦しんでいるからって、私にどうのこうの言うのをやめてくれ、って個人的なことを頼まれたこともあったよ。めちゃくちゃキレイなお姉さん(守護霊なのでねw)が、大きな目にたくさん涙をためて、ボロボロ泣いて、頼まれても、ちょっとね、と思った。そこじゃないだろ、って思った。でも、守護霊的にはどうにもできないレベルまで行っていたのはわかった。

 

だって、ものすごい、いじわるされたもんwwww

 

(そういうひとはだいたいひとを使うが、私が気づかないわけがない)

 

お勉強していても、そういう心を振り返ることはしないひともいる。つまり、守護霊が来たってことは、守護霊の存在を知っているひとなんだよ。

 

あ、嫉妬の生霊は首を締めてくるんだけどね。もう、手の感触とかあるから気持ち悪いよ。冷たくってね、もう、呪ってるんだなって思う。気にいらない、って感情がでてきたら、気をつけたほうがいいと思う。それは、嫉妬、だよ。本人は嫉妬とも思っていないと思う。

 

彼女は、私にそういう態度だった。私が彼女を褒めると近寄ってきたけど、こちらはそういう気持ちにはならないよね。同じではないのだから、私が困っていることを私は解決するのであって、彼女が困っていることが私の困っていることと同じだとは限らないのに。

 

一緒に学ぶ、を履き違えているように思う。

 

でも、そういうのは最近こないな。こう、なんていうか、積極的な生霊はないかなw