へいわ
息子がワクチン接種で帰宅している。ひとりは、一回目ワクチン接種のおり、あまりにも腕が痛くて、怖すぎて嫌だということで冬休みにした。筋肉注射なので、腕が痛くなるのは当たり前である。
隣の部屋から聞こえてくる息子の、友達の会話で、旦那がイライラしている。
聞こえているとわかっているのに、あけすけのない息子に、私は、自分の頃と比べて、なんと豊かなんだろうと思った。
イライラしやすい息子ではあるが、副反応対策でポカリが要るか、要らないかでキレそうだったが、ふと私が息子の理解が足りないことに息子が気づいて
俺、ポカリ飲めないんだよ
と教えてくれた。アクエリアスはどうか、クエン酸はどうか、の話をして、熱が出たらで、対応することにした。ポカリはちょびちょび飲むらしい。
私は、二回目接種、休みたかったので熱が出るといいと思っていたからか、39度出た。休みたかったちょうど2日、休めた。妹は、休めないと言っていて、熱は出なかった。
次男は、一回目接種、やすみたくなかったからか、熱が出なかった。長男は、休みたかったからか、熱や吐き気などがあった。
…休みたい人と休みたくない差、のような気がしてならない。まあ、なんでもいいや。
買い物をたくさんして帰宅した。もこもこグッズが安かった。
祈願について、フロンティアさんが何か頑張っている。仕組みを理解したいんだろうか、とも思う。
データはいろいろある。なので、伝えてみたいとも思うが、パターンがいくつかあるので、いくつかのケース事例を通して伝えなければならないなあとは思う。
病気について、と、現実的な何か、について。
ちなみに、祈願(個人の祈り)で、現実的なやつは、祈願をしたら、心を中道ゾーンにキープすると、目の前に、霊的にゴールデンカーペットが見える。
それがなんなのかわからなかったが、ある資料で、中道は、金色のチューブのなかに入るような感じ、だと書いてあった。総裁先生は、そう見えるという話だった。
それと私が見た、ゴールデンカーペットが同じなら、そのゴールデンチューブ、ゴールデンカーペットを歩いていくと、時間的にはかなり短く実現する。
しかも、それは、私がどうにかするのではなく、私のもつ富の資源を有効活用する形である。
ゴールデンチューブ、ゴールデンカーペットから外れるぶんだけ、無駄な時間を過ごすので、実現までタイムロスが増える。中断して戻る、というような感じで、ゴールデンチューブに戻ったとき、はじまりから再スタートというようにタイムバックするわけではない。
ゴールデンチューブの中の自分は、世界に対して
幸福感と愛
で満たされていることは、観察して分かる。つまり、怒りやネガティヴな心が微塵もなく、あれば、それがブレーキとなる。
また、ゴールデンチューブは、最初は、狭かったり、綱渡りのような様相だが、そのうち、鍛錬すると広がりがみえてくる。
そのうち、大河のように、ゴールデンチューブではない場所の方が狭く見えたりはする。しかしながら、祈願内容や自分の精進の内容について、幅やゴールドの流れ方が、適宜変化する。
このあたり、心の修行は、24時間だと私が伝えるところの理由である。
が、やはり、判断してしまうのはこちら側なので、その判断が自他の幸福を妨げること、がたくさんあるので、祈願に際しては、できるだけ、流れるように生きて、幸福を維持し、与えられるものに感謝して生活する方が、実現は高いと感じられる。
祈願をして、自分の判断にこだわり、怒る、悲しむ、絶望することがあるのだが、それこそ、実は、精進だということがわかるだけ
できるだけ吐き出しながら、三宝帰依に忠実にあろうとして(この世的な判断を捨てて)淡々と過ごすことが重要だと思う。
吐き出して捨てなければ、すすまないからね。
つまり、息子は、芸能、に進みたいらしい。
…晴天の霹靂。