総裁先生のイメージ
よく、私は、総裁先生のイメージをする。
どんな表情をしてるかとか、
どんなことをしてるのかとか。
それは、リアルの先生を霊視するとかそういうものではなくて。
今の私にとって、どんな印象があって、どんなことを伝えたいのかと。
よく指導霊が悪魔にすり替わるという話を聞くが、それは本当だと思う。
すり替わったとき、判断ができるかどうかだけど、エルカンがどういう存在で、どういう主張をされてるのかを知っていれば、なんのこともなく判断できる。
が、その悪霊が当事者にアクセスできるということは、それを見破ることができないからなので、冷静になってみれば判断できるものも、判断が狂うことはよくある。
そういうときは、音を拾わないで、イメージに落としたり、体感の感覚を点検したりする。
深呼吸ができているときに聞いたのか、気づいたことなのか。
無の時間の後に来たかどうか。
思い悩み苦しみのときに受けたものかどうか。
だいたい、心に苦しみがある状況では、指導霊という指導は受けづらいので、心の苦しみからいったん離れて、仏の光を味わうことを基調とするなかで指導が受けられると考えた方がよい。
まあ、他にもたくさんあるだろう。ばくっとは、私はこうかな。
反省することはするけど、わかったら、あまり追求しないようにする。傷をえぐるような反省はしない。
で、通勤時間は、私の反省の時間と定めているのだが、なるほどなあと思いながら
ふと、総裁先生のイメージをした。
私はよく、総裁先生が何か机に向かう姿を見る。何をしてるのか、よくわからないけど。
で、文通するみたいに、イメージで私がいいたいことを書かれた紙を作り、先生にお出しする。
いいたいことを強く思いながら紙をイメージして渡すわけだ。
それに対して、先生が採点する。なにかのハンコをもらうとか、サインをいただくとか。
それが何を意味するのかわからないけど、もらうと安心できる。
降りてきて、タイムラグがあって、反省になるのかなとも思う。
今朝はね、はじめて、イメージした先生から、長い文が書かれたものをもらった。
なんなのかよくわからなくて。
夕方の時間、また、イメージしたら、やっぱり、それがイメージされたから、よくわからないなとしばらく眺めてたら
拝命します
という言葉が聞こえたので、何かミッションをもらったのかも、と思った。
ミッションといっても、そう、さして、特別なことではなくて、自分の状況に必要な何か、だと思うから、特に、ビビるものでもない。
現実的にも、そのような大役(ボラリーダーは話が流れた)は、起きていない。
それに状況的にも、小さく平和に過ごしている。
なんだろな、と思う。まあ、いいか。