朝の反省
最近、寝つきが悪くて、眠りが浅すぎて、昨晩はマッサージに行った。
安かろう、悪かろう。
カッピングを久しぶりにやった。やっぱり血流が悪い。紫色がたくさん。そろそろ病院に行こうと思う。四十肩の。
変な夢を見た。なんか、私が混乱して暴れる夢。
ふと、通勤中に考えこんで。ふと、そのメンタル状況を想い。唐突に気づいたのが、自分の癖。必要以上に悲観的になって、荒ぶれた自分を思い出した。
それ自体と、この前の新種発見と、が、また同一のもの、だったので、びっくりして考えこんでしまった。
やっぱり、あの新種、は、私のもの、だったのかなと。それは、そうだな。
霊的に、つまり心の部分の反省が先。自分のあとは、祓える部分。
そのあとに、行動部分の反省、現実の振り返りがじゃんじゃか来る。これがはじまったのだろうと。
そうやって、うわあ、やっぱり、果てないなあとショックを受けながら、意識をさらうように、何か気づくこと、は、ないかと考えていた。まるで、紙漉きのように、自分の意識の水をひたひたとさらった。
はたと気づくと知らない道を走っていた。ギョッとして、慌てて、Googleを立ち上げてことなきを得た。運動に必要な視覚情報と判断能力だけを残して、肉体が自動化してしまい、前の車に追従してしまっていたのだった。ハッとしたとき、急激に降りてきたので、東西南北すら分からずに、混乱した。
運転中は、深く考えないようにしようと決めた。深く考えたつもりではなかったのに、な。
そのあと、わからないままでいたい人と、分かろうとするより理解してほしい人と会った。
わからないままでいたい人は、分かろうとする努力を拒否したい人だった。理解して欲しい人も、同じように思えた。
変わろうと思うよりも、まず、自分を受け入れて欲しいという希求を感じた。
それを理由として、いろいろ考えたが、過去の自分もそうだと思いながら、その結果の共通点を考えていた。
そして今、また、新種にかかわる内容だと気づいた。なるほど、な。
どちらも、人を理解しない不遇さを、見た。人の思いを理解するように生きたら、もっと、幸せを感じただろうに。