首を絞められる話
今日、ボラに行ったら、私に相談したいことがあると言われたので、どうにか時間を割いて聞いてみた。
首をぐっと絞められる感じが時折あるが、なんなのだろうか?
そういう手合いの相談はよく受ける。
で、そういうとき、私は、自分が体験してきて分かる範囲で伝える。
彼女は彼女なりに、生き霊じゃないかと考えたそうだ。魔とかそういうものは、人を使って攻撃してくるはずだから、魔ではないだろうと。
で、生き霊系の経典にあるようにやってみるが、どうもうまくいかない、と。
私の回答は以下。
首を絞める、は、祖霊ではない。血だとか肉体を通してなのか、はたまた、受け継いだ傾向性なのか、受け継いだ何かなのか、生まれる前に決めてきたところだからなのか、わからないが、祖霊ならば、普通に、憑依、という形をとる。つまり、同化してしまう。
なら、悪霊か、といえば、不成仏だとするなら、個人的に相当な恨みを持って死んだやつに違いない。そこまでする人間関係が、彼女にあったとは考えにくい。
なら、悪霊のうち、地獄霊かというならば、脅かすだとか、金縛りだとか、違った変調もあるのに、ないから、やはり考えにくい。
じゃあ、魔なのか、というと、魔は、そういうことをするもの、ではなくて、結局は不幸な思想の塊なだけなので、やはり、考えにくい。
私の経験としては、肩、首、は、生き霊がほとんど。狐は肩に乗るけどね。
じゃあ、生き霊をもらうは特別かというと、つまり、私が体験する霊的なすべては特別かというと、そうではない。
実は、幽霊を信じていない人から、神様を信じている人まで、知覚できるかできないかにかかわらず、みんな、実は、私が知覚している状況のなかにある。
知覚しないだけでみんな変わらないということだ。
で、首を絞めるような生き霊は相当な生き霊かというと、そうでもない。ちょっとした怒りから嫉妬で、すぐに飛ぶ。
怒りは、相手の後頭部をえぐるし、嫉妬がもとにある憎しみは首を絞める。
ただし、生き霊に関して、生き霊がそう発信するからといって、自分の悪しきをを考える、は、間違い。
実は、生き霊を発信している側の課題や問題に巻き込まれる形で、えらいめに合わされていること、がほとんどなこともある。弱き善人。
実は、私自身が、それに取り組んで同じように悩み、解決がしにくかったので、どうしたらいいかを数年かけて、ちょっとみえてきたところだった。
だから、私なりの回答が伝えられた。
私は最初生き霊だと思わずに、悪霊だと思い、指導霊にお願いをして、自分の何がわるいのかを教えて欲しいと祈った。
夜寝る前に、バターをやると、何かヴィジョンが見えてきた。職場の人が、私に、ばかにしてるのかと叫びまくっているのが、クリアに見えた。私はびっくりした。
それで、祈って、お帰りいただいたのだが、なんだろうと長く観察することにした。様子がおかしいのも現実ではっきりとわかった。
で、まずはじめにしたことは、職場の人を理解すること、だった。でも、状況が分かってくると、職場の人の不満や欲求を埋めることができるくらいの暇は、私にはなかった。忙しかったし、おべっかを使う必要もない、距離が本来ある方だった。つまり、私は、その職場の人から見て、立場が弱い、いじめることが可能な立ち位置だった。
ほどなくして、職場の人に部下ができたが、しばらくすると、その部下がこちらに来て愚痴をいうようになった。そのうち、こちらに来て、泣くこともあった。
つまり、そういう人だった。
私がしたことは、できることをしただけ。その部下を慰める、だった。そうするうちに、その部下が、私に私の仕事でない、部下自身の仕事をやらせるように仕組み始めた。
いろいろ考えたが、その部下も、その職場の人も、同じような課題があるように思えた。そのうち、私の課題はなんだろうと考えたが、よくわからなかった。
なので、悪撃をしてみたり、瞑想してみたりいろいろしたが、結局、うまくいかなかった。
でも、そうやって時間だけが過ぎていく中で、その職場の人以外に、おや?と思うことがあった。
人のミスがなくなるように、まわりをまきこんで、やり方を変えるように仕組んでいた人が、ミスをした。私を含めた数人に謝ったが、その数人は、そのミスをまったく気にしなかったばかりか、修正されてラッキーだくらいに喜んだ。それを見て、きょとんとしていた。
きっと、人〔私達)のミスを責めていたのだろうと思った。
私が何かを成し遂げて、みんなが手伝ってくれたおかげです。ありがとうと言っている場面でみんながニコニコしてる場面で、はっきりと2人が豆鉄砲をくらった顔をした。
きっと、自分の失敗を人のせいだと思っていたのだろうと思った。
そう、この時期、職場にはとんでもなく魔みたいなやつが総攻撃みたいに来ていて、殺伐としていた。
つまり、生き霊は、最初に指導霊に見せてもらった職場の人、だけではなかったのだと思う。
なぜかというと、この時期、生き霊撃退をかけて、病院にかけこんだ方がいらっしゃったからだ。原因不明のプチ入院。
だけど知覚したのはその職場の人だけなら、決定的な差はひとつ。
その人を好き、だと思うか、どうか。
そこに加えて、妥当な関係性のなかで
相手に感謝を伝えたか、どうか。
しかも、感謝は、相手が理解するもの、に限定。
自分の信仰が入るという前提で、上記のことが満ちていて、はじめて鏡になることがわかった。
しかも、人類普遍的な愛、ではなくて、もっと個人的に、好きでいられる距離感で、好きと言えるかどうか。
私に生き霊を送ってきた人は、近づき過ぎて、私が困っていて、ついに、苦手になってしまったのだった。
これは、新しい職場でも同じだった。近づこうとされる、と、私は弱い。なぜなら、私は、仕事は仕事、という冷たさがあるからだ。あまり、喋りたくないのが、私の性格だから。
でも、話したがる人は多いもので、うまくいかない。私自身が思うこと、は、仕事にあまり必要でないと思うタイプだし、判断も、感情をさも論理的に説明されると、わかりにくいとイライラするタイプでもある。
なかなか実は難しいタイプなので、思うことを言わない。
つまり、私の現在の、首の損傷は、実は、現在進行中で、生き霊かもしれなかった。
でも、実は、その生き霊を飛ばす人間に、私自身を害そうとする攻撃的な魔、も、また、ついているもの、である。
しかも、そこにいるだけで、祓う力がないならば、私自身に、その魔を祓うだけの反省や気づきがない。つまり、魔とは、自分の部分的な信仰の迷いが攻撃させているからに違いなくて、自分の理解の精進不足であって、ただいたづらに人を使って、攻撃してくるわけではないことも伝えた。
なので、お勧めするのは
生き霊撃退と悪魔祓いだと伝えた。
そして、人を愛することのところ、相手を理解するに、以下を留意する。
相手の課題なのに自分の悪を見るようにする弱き善人の部分もあるし
相手の課題だとわかったところで、迷惑なので、裁きの気持ちにどうしても、持ってしまうことから
相手とのやりとりのなかで反省を考えない。
ただ、相手のいいところ、を見つけて見習うこと。
だいたいにして、自分が相手を苦手だと思うところが自分に足りないものだから。
相手は、その部分を過剰に発揮してバランスを失っているので、ちょうど足りない私に、少しもらうってイメージで。
実際、そうすると、なぜか、あちらも、自分に足りない私の何かをもらうようで、慣れてきて、ちょうどよくなるころに、あまり苦手さを感じなくなる。
つまり、生き霊そのものがどうとではなくて、そういう意味で
信仰に基づいた、相手を愛する、自己変革に徹する
という精進が鏡になりうる、だと分かった、と伝えた。
また、生き霊をもらうことで霊体が損傷し、そこから悪霊が入ることや
肉体疲労など、私ならデスクワークの肩凝りから、霊体が損傷して、悪霊や生き霊が攻撃しやすくなることから
肉体と心の両面からのアプローチが必要だとも伝えた。
首を守る意味で、スカーフを巻くようになったことや、湿布を貼る、痛み止めを飲むもしながら
私自身、生き霊撃退と悪魔祓いをしている。
自分の状況から見て必要かどうかは判断するといい。私の状況には必要なのでかけた。
生き霊系は、実は戒体と八正道が肝。
朝晩の読誦が大事だし、それを積み重ねるとすごい戒体ができる。時間がある限り、エネルギーは消費される。だから、朝晩読む。戒体は、それを積み上げてきた証として、ものすごい強力なもの、になる。
ちょっとばかし、卵の瞑想したところで戒体には叶うはずもない。私は、祈願で得られる戒体を作れそうもないから祈願するし
悪魔祓いについては、私の精進のために必須だと思うのでかけた。
そのあたりは、ご自身で決めたらよい、と伝えた。
朝晩お読みになるようなので、うんぬんと話された。
お経を読むときに雑念がでてくるのは、生活していて、それだけ何かがはりついているだけである。だから、雑念がでてくるからダメなのではなくて
一日過ごして張りついたネガティヴを浮き上がらせているから雑念がでてくる
生活していたら当たり前なので、風呂に入ってると思って、雑念が出なくなるまで読み上げる、ということに過ぎないのだよ、とも伝えた。
寝て起きたら足が痛いともお話になられたが、肉体的なケアをしつつ。霊的な攻撃は、寝ている最中が一番無防備になるので受けやすいとも伝えた。
まあ、そんなもんなんですよ。実は、トレーニングしてるから、それが普通なんです。
私達在家は、精舎で生活してないんです。あらゆるところから投げられる泥団子をうけながら生活してるんです。
泥団子を花びらに変えるには、私達自身の、信仰の精進と与える愛の精進を八正道でやる、ってことだと思うんです。
みんなを無垢に純粋に好きでいられて
神様を信仰していたら
そのうち、少しのタイムラグで、跳ね返します。現実的に、何かが起きます。1か月くらいで。
何かを本人が気づくようにして。
でも、同時に、自分の精進も、問われます。
…その最中にいて、なかなか、私もかなり難しいです。でも、こんな状況で、すべてが味方であると思って生きることを、まるで自分の性格のように、フィールドを変えて、拡大するように、実践を、
こんなイベントのなかでやるなんて
マジさいあくだと思っています。
でも、回答としては、以上です、と伝えました。