偉大なる先輩信者さんが言うことには
「家族が終わったらね、次は、外側から来るのよー」
と、5.6年以上前にお話を聞いたことがある。
まざまざと、今、それを思う。
人生の王道を語る、だなあと思ったりする。
私からは少し遠くだけど、私の周辺からは近しいところで、ガチャガチャある感じ。
夏休みは、息子たち2人とも、成長の一時的なアレで、簡単に言えば
ひとりは携帯依存症
もうひとりは進路に向けて鬱
な状況だった。私は、特に、お勉強の不出来を気にしていないが、彼らの目標がお勉強の出来を必要とするなら、話は変わってくる。
でも、様子を見ていると、彼らの目標は、「ママに褒めてもらいたくて」のような気がしてきた。私にはない感性だと思ったが、ふりかえると、たしかに、自分にもあるなあと思ったりもした。
人生の先輩の言うことが、未熟な自分にとっては、絶対な真理のように思えることは、たしかにあっただろうなと思うし
よく考えたら、私の歩いてきた道、歩こうとする道は、母の理想であったことをよく認めた。
でも、私はあまり後悔していない。生きていくのに必要な道、のような気がする。ふわふわしがちな私にとっては。
母自身の理想を実現するのに、能力として私が一番長けていたのだろう。母がかつてなりたかった何か、を、ちょいちょい実現してある。母がそれを自慢しても、それはそれで、娘として、本来、誇りにしてもよかったが、母は母の人生を生きているのか、私には疑問だった。
長らく疑問だった。
でも、最近思うのは、母自身は、そんなこと、まったく気にしていない、ということだった。そんなことよりも、母は、娘と仲良く話ができていればそれで良かった。
母は、娘と話がしたいために、母が好きだと表現しない娘に対して、自分が娘から好きだと思われるわけがないという劣等感をまきちらすように、天邪鬼に、
つまり、娘の好意を確認するために
娘を揶揄したり、いじったり、嫌なことをした。(貧乏神だね)
私は、息子に対してそういうことはしなかった。どちらかというと、目の前にあるものに対して、子どもというより、ひととして対応したように思う。まっすぐに表現したと思う。いいも悪いも。
でも、ふと思ったら、私も、母のようになっていたのかもしれないなと思う。自分がどうなりたいか、を考えて、方法論に頼っても、実際は、立場が与えられたら、同じようになってしまうのかな、と思うのだった。
私は彼らに何も考えておらず、彼らが求めるものを実現するためのルートだけを伝えてきただけのように思っていたが、それ自体が、もしや、彼ら自身が考えることを奪ってきたのではないかと。それは、母と同じ姿ではないかと。
そうだとしたら、いや、そうに違いないと思いながら、
彼らが何を体験してきて、何を思ってるのかを受けとめる時間、話させる時間、共有しながら見守られる安心感だけでよかったのではないか
いや、むしろ、私なりに母を反面教師として、正しく与えることで、奪ってきたのではないかと。
問題は、母の個性ではなく、方法論ではなく、世代というギャップではないかと。
なぜかと言うと、彼らが生きる時代と、私が生きる時代が違うからで、彼らが生きる時代とは、彼らが社会から受ける教育のなかにあって、私が受けてきた教育はもはやスタンダードではないのにもかかわらず
私の話を聞いていた彼らは、社会から受けた教育と私が伝えてきたそれのはざまで、身動きが取れなくなっていたのではないかと。
その境遇は、起きていることは違えど、本質は、私が母に抗って、ただしさを求めた結果、母にはただしさはなかったと結論づいた、哀しみに似ていた。
だがしかし、しかし。
そもそもに、親にただしさが重要かというと、自我が芽生える前には、生物学的な、ごはんを食べさせるとか、風呂に入るとか、そうしたことを間違いなく、私は与えられ
自我が芽生えた後には、むしろ、そのただしさを親という人間に、求め、与えられること自体が意味ない。
親と子は、違う人生を歩むのだから、同じような結論や信念を持つ必要はなく、それぞれに生きた人生のなかで、それぞれの役目を果たすように、違ったやり方で生きてよくて
必要なのは、私の母が無垢に私に与えてきた、娘への大好きでかなわん、といった、迷惑にも似た、愛情ではないのかと
母のただしさを思った。
主体的に自分を生きようとしなかったのは、従順さを見せて、褒められたかったに違いないと。私は、私の気持ちを、母に、表現してきたのかと。
そうすると、周りへの感じ方が少し変わった。
こうすればよくなるのに
こうすれば実現するのに
こうすれば楽になるのに
そういう、まるで、全てに自分の責任を感じるような、支配感にも似た、操作性を誘発するような自我力が少しやわらいだ。
強烈なさいあくな状況のなかで、私は、両親への甘ったれた自分の人生の責任の放棄の意味を知り、自分の人生で自分を伸ばす方向で
自分のチカラそのもので与えることが与えるだと知り、ひとの未熟さはひと自身が宝物を発見する旅なのだとわかったとき
(サンガ内でも、日常でも)
そのさいあくな状況で、自分に欠けている傾向を考えた。
不幸体験は必ずある。でも、失敗を成功に変えることもできる。
上司に対して、私が親にしてこれなかったことをしようと思った。
私は、不幸な体験が起きたとき、どう解決しようか、どう解決するためにどう改善したらいいかをよく考えた。そして、提示してきた。だが、父と母は、それを拒絶した。認めなかった。自分が悪かったなどと思ってはいなかった。それくらい、父も母も、傷ついていた。
私は、傷ついていたとしても、どうにか、はちゃめちゃになりながら突き進む若さがあったが、父母には、私の祖父母にもかこまれて、どうしようもなかったに違いないと、考えることすらフリーズしていたのだと、今では思う。
本当の意味で、強者、つまり、ただしくチカラがあるのなら、自らが成功に場を導き、わからない者が自ら、目の前に起きることのなかで気づいただろうに
20年前の私は弱者で成し遂げることができなかった。
でも、私は、その失敗を、父母の弱さに見出した。私も哀しみのなかで受け入れた事実を、なぜ、父母は、受け入れられないのだろうと、父母の「自分は悪くない」という鬼を見た。
だが、しかし、ただ、ただ、父母は、時代のなかで、そうあるのが自然だった。
私は、新しく、よりよい時代の、私の知識と実践のなかで、ただ、ただ、父母を労いながら、成功させればよかったのに、父母の悪を見た。
ひとを信じていなかった。
自分の影響力を信じていなかった。
自分の成功を信じていなかった。
ある部分において、優れたものになったことも気づかなかった。
なぜ、私がやらねばならないのかも、わからなかった。どうしたらいいかも、わからなかった。
だから、私は、わかったので、父母にしなかったことで、私がするべきことをした。
教えをこうでもなく
指示をこうでもなく
ただ、感謝と労いと、子どものように、母を心配した。
王国を作るように。
ただしい、まちがい、を語らずに、ただ。
ただ、貴方が大事だと伝えた。
私は私の失敗に身をつまされて、感情を表現することをやめてしまいがちだ。
でも、親というものは、間違っていてもただしくても、子を守るものだから
そうしてくれた上司に、親を見て、親のように愛する姿として
私が子として、息子たちにされたら嬉しいことをした。
きっと、その連続なのだろう。広がっていくといいなと思った。ひとから怒りが消えるのは、そうした、大事に思われている実感なのだと、そう思った。
偉大なる先輩信者さんが、私と同じように、考えたかどうかは分からない。
でも、父母への恩だとか、恩に対する礼儀だとかに、行動はつきものかもしれないが、でも、まずは、思わねば、難しい。
余裕を生むように生活する、世界との付き合い方を知るって大事だと思った。