らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

かなりあ

歌を忘れたカナリア
象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた歌を思い出す

昨日、フロンティアさんに「話を書くこと」について相談していた。

「話を書く」ということが貴方のライフワークですよ、と霊能な方には何度か言われたことがある。

不登校だったときに、霊能の奈良のお寺のお坊さんに相談しにいったときも、話を書くといいですよ、と母に告げたらしい。不登校解消の時期も、そのお坊さんの見立てどおりだったため、その後、母はそのお坊さんに傾倒するのだが、私の方は中学生ながらに、どうでもいい世界だったので無視した。

高校生のときに反省文を書かされて提出したが、その反省文を読んで感動したらしい生徒指導が、後日私をつかまえて、ため息をつきながら、「お前、哲学科にすすまんか」と熱っぽく、私の反省文のファンになったことを語った。突飛な状況に幼児のように嫌だと言い続けた私と、熱にうなされた生徒指導は、職員室で異様な空気を流した。

大学のレポートの書き方がわからず、駄文まみれの1年を過ごすと、2年目からは、レポート評価の授業はあまさずAプラスになった。

フロンティアさんが私の文章についてなんというか「読みにくいかたさ」と評してくれたことを考えていた。WEB小説で書いていたときにも指摘を受けて、迷走して、読み手に合わせた文章にしたところ、コメントがつくようになった。ランキングに載り、投稿サイトが本格的な小説投稿サイトに変更した頃、逆にその書き方だと読みにくいと指摘を受けた。

(携帯で読む時代だったので、携帯の仕様に合わせたページめくりだった。携帯機能が進化し、1ページあたりに見える文章量が変わると、読みにくさに変わったためでもある。)

でも、このブログは私の日記なので、私の一番、書きやすい文章スタイル、自然体の文章でいいと私は思っている。読みにくいにしろ、わかりにくいにしろ、それは、私のためにあるブログなので、それでよい、としている。もし、質問があれば、公式アカウントから聞けばいいことだな、とも思うからだ。

それでも、私が書くことについて疑問があった。
私は「本当に書かねばならないのか」

書く環境が整わない、状況が整わない、ことで書くこと自体をやめてしまった。書くということは、表現する塊になる。その自分の感ずるところの世界観を緻密に作り上げてから、文章にして、それこそ、言葉で編むようにして、話を作り上げる。

宮部みゆきがなぜ小説を書くことに至ったか。彼女は仕事でタイピングの練習をしていたところ、ふと気づいたときに、その文章が話であることに気づいた。自分がタイピング練習で文字化していた文章がひとつの創作作品になったとき、まるで自動書記のように作られたその作品を通して、「創作をすること」を知った。そこから作品を作り上げていくのだが、その文章をアウトプットするときには仏教で言うところの「無我」であった。(彼女の文章から私はそう推測する。)

私は、小学生・中学生の頃、文章を書くこと、作ることが苦手だった。秀才に聞くと、本はあとがき、まえがきを読んで、執筆者の文章から執筆者の思いを読み取れば、簡単に感想文が作れると言った。私はそれを聞いても、意味がわからなかった。

高校生になると、友人や彼氏に書きしたためた「手紙」と「反省文」が、私の作品になる。なんと、私の周囲は「漫画」だけでなく「小説」を読む生徒が多かった。その頃、学年ではやったのが、「村上龍」「山田詠美」。山田詠美の世界観は、だいたいにして、真面目なのにヤンキー文化が好き、な登場人物が出てくる。私が所属していた学校は、中堅どころの学力層が通う学校で、真面目になりきれないがヤンキーにもなりきれない、どっちつかずの学校だと友人が評していたところから、彼女たちは「それ」に無意識に惹きつけられたに違いないと私は思う。

私は、どっちかというと、友人を作りたかった。中学校のときに不登校になった理由が、「教師の劣情」にまつわるものであったので、学校組織そのものに絶望していた。導き手に信頼がおけなくなったので、もっとひろく世界を知ろうとした、とも言える。よくある反抗期、10代の命題のひとつだった。

中学生のとき、「あまり勉強していないのに得点をとるなんてずるい」とはっきりと言われたことがあった。定期テストで勉強時間マラソンが張り出されていたのにもかかわらず、私は印象で「へらへらしているのに得点をとるので気に入らない」と言われたのだった。

確かに、学校にいる「優秀な方々」が醸し出す真面目さ、は私にはない。医師を目指していた生徒会長の小学生からの愛読書は「辞書」。国家公務員になった秀才は。小学生から漫画を読んだことがない。

私はそんなふうになりたくなかったので、へらへらしているように見えたのだろう。だからと言って、勉強しなかったら上位層には入れない程度の頭だった。定期テストは点数がとれないけれど、実力テストは安定した学力を叩き出す感じ。

私の母は勉強ができるほうではないし、父は勉強ができるひとに嫉妬するタイプの人間だった。私はその中で育っているので、または、(悪霊による)貶めた言葉で可愛がる文化で育ったので、私が優れていると思ったことは一度もなく、努力で積み上げた結果だと思った。小学生の頃、ものさしで叩かれながら行った宿題は、真面目にやらされていたから、小学生の積み上げだと思っていた。

進学先を決める重要な時期に、いつも精神を患って、純粋に「進路に向かった努力」をしたことがない。治癒に向けてどうしたらいいかわからない家庭と私は、もがくようにして、未来を迎え、挫折し、またやり直すという人生を送った。大人になった今でも「賢い」と評されることがあるが、最近は、そうなんだ、と思うようになった。

それを受け入れると見ている世界が変わった。私を嫌うひとの理由も、なんとなくわかってきた。わかった上で頼ってみると、ものの見方が変わってきた。自分とここが同じで、そこが違う、は、自分に対して正しい評価ができていないと、まったく違う見解を持ってしまうことがある。

それは信者間にも必ず起きていて、その違いを受けいれることができないと自分ではきづかないうちに「嫉妬」していじわるをする現象が起きる。周囲からは「いじめている」と指摘されても、本人は「わからない」。自分に「嫉妬がある」とも思っていない。そういう人には、「違う」を認めさせることが大事だと思う。たいていのところ、その「違い」を見せつけると、「裁かれる」ことうけあい。そんな状況に陥っていることがわからないひとと話をするのは、時間の無駄。法を理解するとき、それを理解した上でどんな個性を発揮するのは、修行者自身の特性であって、絶対的一ではない。

今の職場では、ばくっと言えば、「違い」を認めることを学んだ。「違い」を尊重するを学んだ。私がそれはこうですよ、と言えば、それが絶対のような感じがするのか「反発」態度をとられることが多くてとても不思議だった。

若い頃、教育関係の仕事をするようになって、どれだけやっても単語を覚えられない、分数の計算ができない生徒を見て、反復練習に付き合うことがあった。私は、信じていた。能力が足りないのならば、時間をかけて反復すればいつかはできるようになる。能力に一定の限界がある、ならば、その倍をかければいいだけだ。

これは、誰かに言われたことではないが、中学生にはできあがっていた私の信条だった。りーまんと呼ばれていた秀才が、はじきの速さ・時間・距離の公式がわからないで泣いていたとき、私は知ったのだった。秀才でもわからないことがあって、わかるために努力しているだけなのだと思った。

私はりーまん等しく、その公式の意味を理解しようとして頭がクラッシュしていた。他の生徒で秀才でないと思われていた生徒が次々とおぼえていくのに、私やりーまん、一部の生徒は混乱した。

私はなぜ、分かる人とわからない人の差が生まれるのかを観察した。公式を覚えることよりも「なぜ、その現象が生まれるのか」に興味がわいた。できたひとにどうやって解くのかを聞いてみると、公式をそのままあてがうやり方をとっていた。りーまんは泣いていたので、聞かなかった。

私は「公式を覚えて使えるようにする場面」で、公式の意味を考えてしまう。公式の意味に疑問があるために、脳がクラッシュして一時停止してしまうことが起きていることがわかった。学校の授業は、公式を覚える前に、公式の意味をレクチャーされる。その意味が腑に落ちないまま、公式を使っての問題処理をやらされるので、困ってしまったのだった。

たぶん、りーまんも同じ現象だった。

問題の答えは出たとしても、公式にあてがうだけのやり方をしている友人は、意味を聞いても答えは返ってこない。時間の計算もそうだ。九九を覚えるときと同じようにして、その意味を説明することよりも、「使える」ことを目標にしている。

私の息子は「使える」ことだけを見ているので、問題を見て、どの公式を使うのかの選別することに時間がかかる。が、公式を覚えることは私よりも能力が高いのではないかと思う。

(このあたりは力の特徴の話で、どちらが優れているかの論ではない。場面で問われる力があるために、この場面ではAが力を発揮しやすいなどとなる。もっと言えば、自分の優れている力は、なにかを習得するときに手がかりにできるを知っておくと、ストレス下でも安定した力の蓄積ができると思われる。力の特徴と、基礎的力の蓄積は、バランスを鑑みなければならない。)

分数を教えてもらったときは、脳のクラッシュが起きなかった。だから、はじきをレクチャーした教員は、公式をそのまま覚える群、だったに違いないと今は思う。指導者の特性によって、子どもが違う、のはこうしたところからも伺える。では、その力の特徴に振り分けて指導したらいいかというとそうでもない。社会に出るといろんなひとと付き合っていくので、無意識下でその付き合いのお勉強をしている、とも言えるからだ。どんな力の特徴をもつ、にしても、謙虚さ、は仏が教えたいことのひとつだと私は思う。こうした要素もある。



が、力の特徴がいびつなために、社会不適応を起こしてしまうことはよくあることだ。私なぞは、霊能者である、が社会通念にないので、精神を患うことが多く、その問題解決は誰もできなかった。

霊能者であること、が本当に起こりうる、そして、自分はそうであろうとわかったとき、合点がいくことばかりだった。

長男はとても霊的で、学校の宿泊研修でとんでもないものを連れて帰った。すぐに支部に行き、祈願をしようとすると、「俺は神様よりえらいからそんなことをしなくてもいい」と言って、車の中で1時間暴れた。あるときは、「ぶっ殺してやる」といきりたった。疲れ果てていた私は床に寝そべって、なすがままにされようとした。馬乗りになって殴られることを想定した。何も起きないので、目をつぶっていた私が目を開けると、絞り出した汗がしたたり落ちる中、体を震わせて、なにかにあらがっている息子を見た。なので、これは、もしかしたらと思い、エクソシスト概論にある手立てをいくつか頭によぎった後、疲れ果てている私が霊力を使わずにできることを探した。

ショック療法。

なにかが入りかける前に牛乳をぶっかけたこともあった。だが、息子の吹き出す汗を見て、それでは敵わないと思い、息子の名前を叫んだ。「俺は○○じゃない」と叫んで、息子は白目を向いた。それまでのいろんなひとの付き合いのなかで、悪魔が入った人間が会話をするとき、一瞬、白目を向いて意識が変わることを確認していた私は、とっさに「頭突き」をした。びっくりさせる、ことを目的とする。ショック療法と言っても、体を痛めつけることがショック療法ではなく、突飛なことでびっくりさせて「本人を戻す」という手立てであることを、読者さんはしっかりと理解してほしいと思う。

ママが頭突きするなんて、私の世界観では、「ありえなさすぎる」。

体に衝撃が走ったことで「びっくりした体」に合わせて、息子の身体意識がふわっとなった隙に、息子の名前を連呼した。力が抜け崩れると、息子は泣き出した。「お母さん、ありがとう、こわかった、こわかった」と泣き出す息子を見て、これは本当のことだと思わざるを得なかった。夏の暑い日だった。

なぜ、息子がそれにいたったか。

あの頃、息子は「神様の言うとおり」の漫画を読み漁っていた。学年ではやっていた、ホラーギャグの少年漫画で、息子は隠れて書店に行き購入したこともあった。宿泊研修でも、夜中、怖いものをみたのだ、と私に告げた。

伝えきれないほどにこうした状況が毎日続いたアパートの日々に、私は気が狂いそうになりながらも、出来事を話しても信じられないで、私に悪魔が入っていると言う信者さんと、本当に起きていることを遠隔透視で知る霊能者の友人と、即効性のある手立てを伝えられない職員さんとの間で、私は自分の限界以上の力を出し切ることを余儀なくされた。現実的に改善しなければならない状況を、神様に導かれて、ひとつひとつ、改善してきた。

それを経て安定してきた息子が私にラインをした。

「お母さんさ、米津でだめって言った曲があるじゃん。この曲はどうかな?」

あきらめなさい。世の中にある売れている曲のほとんどがいいとは言えない。だけど、その曲が悪いと言っているわけじゃない。描いているもの、表現しているものが違うだけだ。

「聞くなってこと?」

そうじゃない。ただ、風呂に入れと言っている。

「風呂は毎日入っているわ」

…そういう曲を聞くのは悪いことじゃないけど、曲を通じて私達はなにかと通じてしまうことは理解しなさい。映画だって、そう。ママは「バイオハザード」が好きなんだよ、だけど、それを見た後は、お祈りだとか、天上界とつながる波長のいい音楽に心身の波長をあわせることが大事なんだ。

「わかった」

あらがうな。宗教が嫌いだったママが、どんな手立てをとっても、無理だったんだ。自分の体質を理解しなさい。

「抗うなwww」


小学生の頃、息子はただ、周囲と仲良くしたかったに違いない。私だって、退廃的な世界観の小説や漫画を友人と共有したかった。怪しい遊びだってしたかった。けど、村上龍の本を読めば、読了後、私はいつでも、失神寸前になった。自律神経が弱いからだと思っていたが、そうではなかった。蛇にピアスの作者が作った小説を読んで、本を大事にする私が、泣きながら、文字の書いてある雑誌を破り捨てたことがあった。こんなことを表現して言い訳がないと、泣いた。悔しかった。

現実の不幸や幸が、そんなものから影響を受ける。息子に言ったのは、

「あなたの心に悪があるから悪霊がつくわけじゃないこともある。読んでいるもの、触れているものの判別がつかずに、それを通じて、悪霊がつくからあなたが悪心をもってしまうことがある」

未来を見通した善悪の判別がつかない、とはそういうこだ。

私の文章は、インプットされた体裁を使って、「目に見えないなにか」をアウトプットしているに過ぎない。だから、口語体で書くこともできるし、文語体にすることもできる。表現の手立てを変えるだけだからだ。表現技術は、運動機能と同じことで、ごく自然に使えるようになるまで、訓練が必要になる。文章技術は、フライパンを使ってか、鍋を使ってか、圧力鍋を使ってかを問うだけである。

ブログは、どちらかというと、論文を好きな私が、論文口調になるだけだと思う。ただ、表現するとき、どの体裁、を使うかは、その表現したいものをどの切り口で、どの視点で見ているかで異なる。

かえって、過去に創作した作品は、霊視している状況に近い。ある霊能者さんは、エネルギーを捉えて「きりん」と映像を見るかもしれない。ある霊能者さんは、「ピエロ」かもしれない。だけど、「きりん」や「ピエロ」を通じてわかるそのエネルギーは、「遊び人」といった具合に、導き出される本質は同じでなければならない。

霊的感受性が強いひとが、自分の見えたものに翻弄されないように、一番はじめに、私が教えることのひとつである。主観と客観の話でもあり、この複雑な論理がわからない人は「霊能」向きではない。

自分の主観に疑いや、精査を行うことを常とする儀式的なイベントもある。このイベントは、霊性に目覚めるときに必ず通過する。霊視情報に翻弄された自分がいかに「愚か」で「迷惑」で「偽善」で「稚拙」で「滑稽」で、生きている価値などないと涙する。それを以って、霊的世界を知りながらも、現実に生きるときの難しさを知りつつ、神仏への畏敬へも深まり、情報を慎重に扱うことを学ぶ。

総裁だって、霊言を出しながらも、霊言から集めた情報から調査を積み重ねた上で、結論を論じていることを、信者は知らなければならない。霊能者というものは、そういうものだと私は思う。ゆえに、霊視情報ひとつで、なにかを判定することはしない。情報が積み上がって疑いようもないと判定されたものは、現実の現象を以って、よりよき選択を選ぶように「理解」を求められる。その「成功」を以って、はじめて、智慧だと思う。

霊視情報ひとつだけで結論が決まるなら、そんな簡単なことはないだろw

つづく