らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

光の見え方

まず、光って何だろうと思ったら、経典にある光の定義を、ワード検索で調べきること。

これは、どんなことでも必要なことで、まず、言葉の定義、意味から調べる必要がある。

言葉とは、ひとが使用している限り、変転していくもので、たとえば、古語でいうなれば、あなおかし、が、現代語では意味が通じないのと同じで、自分が理解している言葉が正確であるかどうかを点検する必要が常にある。

辞書どおりに、自分は言葉を理解していないかもしれないなら、辞書を調べる。

仏教用語なら、特に、平易な言葉で書かれているからといって、自分が正しく使い分けられているか、は、厳しく見ていく必要がある。

愛とは何に言い換えられるか?

そんなことも経典には書いてあり、夢、希望、勇気、などのポジティブな表現を指標としながらも、

すべてが幸福にあれない未熟さにおいては、奪う愛などと併記された言葉で、物事を詳細にしていくことで、より、自分の持てる基準を精密かつ深めることができる。

まず、経典を正しく理解しているか、を言葉から調べなおす必要がある。

感覚的なものを問うのであれば、その感覚について、経典からさらうべきである。

人から聞くときは、必ず、その分野について成功している、つまり、失敗と成功について現実化までした智慧ある人からしか、正しくは聞くことができやい。

これは、私が教学するのに一番大切にしていること。