らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

へいへーい(*´ω`*)

あまりにも姿勢ベルトの調子が良くって、肩の痛みが軽減されたので、フロンティアさんに教えた。

それから鬼滅の刃の話になって、近況を話して、地獄のランニングマシンに乗って、ウォーキング40分した。…すごく辛かったです。

なんとなく、フロンティアさんのブログを見たら、肩が痛いと書いてあった。なんとなく、姿勢ベルトの話をしたけど、タイムリーだったみたいで良かった。

祈願について私のことが書いてあった。うん、このネタは来年かな。マジで長くなる。ちょこっとだけ言うと、タイムラグがあるから、精進をまきでハイスピードでやればいいんだよ、とは言うとく。

つまり、精進って大変なんだってことだ。

昔、フロンティアさんに肩が痛いことを話されたとき、霊的な肩の痛みについて話したことがある。おおよそ、霊的な痛みは、自分が作ったものか、人からきたものか、どちらかに分かれる。確か、そーゆー話をしたと思う。

しかしながら、フロンティアさんの職種とは違うが、環境的に似ている仕事をしているので、わかったことを述べると、その肩の痛みは、職業病だということだ。

この世的な肉体の影響というもの、は、霊的な私よりも人生の先輩方の方がよく知っている。

昔は私も若くて、何もしなくても身体がきつい、なんてことはなかった。痛いというときは、ほぼ、霊障だったのである。つまり、若い人は、そゆことが多い。

(もちろん、肉体的気質的なものを除く。たとえば、障害がある、病気の付随したもの等)

霊的な若い私に聞くということは、私が理解するところからしか答えはでなかったな、ということだ。

しかも、フロンティアさんは、見た目が若い。

前の仕事は、身体も頭も使う仕事だったので、身体作りはできていたが、とにかく動かないというものがこれほど、身体に悪影響になるとは思わなかった。

…大嫌いなことに向き合わねば…(`・ω・´)

ちょっとぷち鬱である。

それでも、やはり生き霊というものはある。

この肩や背中の痛み、重みのいくつかは、実は生き霊も含まれている。

愛されても、依存性が高い、よりかかるような心の在り方の場合、霊体を背負ってるときもある。

仕事で真っ当なことをしても、怒りをかうときは、ものすごい剣幕な顔でビシビシと何か痛いことをされる。

こういうとき、私達は自分で気づけることは稀。

痛みだとか何かおかしさを感じて、重い腰をあげて、ご本尊前で、指導霊にお願いする。

何か教えてください、と。

寝しなにヒーリング系の瞑想をしていると、その相手の方が見えることもある。仲間に見てもらうこともある。

処し方は、悪撃を相手にして、光を入れる。あちらに悪霊がついている場合、それはズボっと、相手の身体の背面から、強制的に出る。

やるたびに、すげえなあと思う。

そのあと、相手にヒーリングをする。以上である。

あとは、現実的に、相手を理解した上で、こちらができることを精査して、反省して、あちらの不満を冷静に考えて、譲歩できることはする。

だいたい悪撃が必要になることが起きる場合は、この世的には誤解が主たる原因なので、それを解くというものは必須になる。

こちらの思い込みや、事象を理不尽に思う主張は、冷静に反省する。必ず、反省事項はある。

そもそもに、主が願われる精進をしていたならば、誤解は即座に解いているだろうが、それが達成されておらず恨みをかうというなら、やはり、生き霊は己の精進不足に過ぎない。

慈悲魔も然り。

世話することが相手にいいことか、よく問うこと。

慈悲魔の裏には、自分のこうされたかったという甘さが過去にあり、厳しさを乗り越えていくことを肯定しない自分が見え隠れする。

…私は今、貧乏神抜き特化の時期に入っている。

私の研究によると、利他にまつわる悪しき傾向を抜くのに、貧乏神追い出し系は必須である。

悪撃は100回はしたと思う。むしろ、そればかりしてきた。だって視えるんだもの。

しかしながら、貧乏神は見えない。なかなか分からない。なぜならば、貧乏神の正体はご先祖が大半であり、同化しすぎて分からない。視えない。

なので、とにかくやることは、大黒天系と貧乏神追い出しの両方重ねていくこと。

祈願の効果は?…来年ね笑