らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

うう…

あんまりにも体調だとか心境以外のことで、不調なので、久しぶりに霊的なアプローチで考えてみる。

 

明らかな異常として、18時すぎから左耳がポワンポワンと鳴る。

 

この、時間帯が固定されるやつ、は、経験的に、なんらかの人間関係が関係している。

 

(はっきりとした心の方向性のある認識を私に抱いている方が仕事が終わって、モヤモヤしはじめたりする。さすがに私が認識してない人ほどの縁の遠さ、では起きないと思う、思いたい。)

 

昨日、6時間経った頃、楽曲を流したら体調に改善が見られたので、本日始まった先程、楽曲流したら改善した。

 

…本当なのだろうと思うけど、普通になりたいとも思う。受け入れ難い。

 

正しいのにいじめられた、とか、

 

慈悲魔的に与えたのに与えた先が餓鬼付き鬼付きで奪われ続けて迫害された、とか

 

前世だとかのスピリチュアルストーリーはよくあるのだが、それを読んでいた。

 

 

この、奪っているのに気づかない人とか

 

餓鬼付き鬼付きなのを自覚しない人とか

 

ほんとーにたくさんいて、そういう人ほど、普通の人に自己中だって言う。鏡の法則なのか知らないけど。

 

人に自己中だって、面と向かって言う人も普通じゃない気もするけど。普通だったら、「無知なことについて教える」が起き続けてて、自己中な状況、状態は回避されるような気はする。

 

どちらかと言うと、私は、悪意なく奪う人がいる、という事実に驚愕していて

 

でも、確かに、私が奪ってきたなと反省したことに関しても悪意なく無知であった、という共通点があるので

 

奪う人への悪意をも持てずに、かと言って、そんな状況の人とどう接したらいいかわからないで、もやあっとしている毎日である。

 

この、さらっと奪っていく人というのは特徴があって

 

生きていて、自分も誰かに与えていることがあること

 

 

社会基準への理解(適応のための、折り合いをつけるための)

 

に全く気づいていないばかりか、関心がない。もっぱらの関心は、

 

してもらうことと

与えてもらうこと

認めてもらうこと

どれだけ自分が不幸か不満を言い続けること

改善の見込みがないものへのストレス発散

 

 

である。生きていればよくあることだと思うのだが、人によって、どのパターンをとるかは、特徴が違う。また、相補性が作用するのか、伴侶だとかパートナーは、自分を補う形で真逆になることが多い。

 

私は、夫によく自己中だと言われたが、よくある自己中診断では自己中だとは判断されない。あまりにも夫はサイコパスではないかと思い、そういう診断もの(女子は好きだよね)をやらない夫に、やってもらったら、病的なサイコパスだとかになったと顔面蒼白になっていたのは、もう6年前。

 

(レプタリアン族だなと思う人は、気質的に、自己愛傾向が強い気がする。魂のルーツなんだから仕方ない)

 

 

改善体質が過ぎることとか

自虐になりやすいとか

 

私にもいろいろ魂の傾向について、改善しないといけないことはあるだろうと思う。

 

宗教魂は特に不遇な人生が多いものだとは思う。

 

どこか、生きること、に、執着しておらず、ふわふわして、軽視しているように見られる。

 

実際は、関心や考えていることがまったく違うところにあるだけで、やってること、生きていること自体にあまり変わり映えはないと思うのだが。

 

倹約のために家計簿をつけて管理を徹底するタイプか

 

倹約のためにする無駄な作業や時間を省いて、質素でありながら確実な自己投資に時間やお金を使うことに費やすタイプか

 

5年くらい前者で、今は後者でやっている。お金を使うときには、あの世に消えていくお金のことを考えるようになってからは、楽になった。使ったお金のエネルギーが、あの世で天国に行くかどうか、ってなんてわかりやすいんだろう。

 

宗教ってすごいと思う。栄養学を学ばないで、黄色、赤、緑の食べ物を意識するみたいだ。わかりやすい。

 

 

説明したらとても複雑怪奇で、理解が難しくなるような抽象概念の羅列の論理ではなく、目に見えるものでしか理解が難しい人でも、知りたければ理解できるようになっている。

 

 

さて、不遇な人生の蓄積物は、過去の人生の慈悲魔によるものだとわかってきたのだけど、

 

これは、ゆるす、と、生かすあたりのことかな。

 

ただ、身体の不調は痛いぜ。

 

あと、夫がそろそろ吹き飛ぶんじゃないかと危惧している。