自分の精進
人の精進をどうにかしようとしない、は、ある人には難しいし、ある人には簡単だと思う。
私の心のこと、を、主人は行動で表現してくると分かっていても、主人を直接的に裁いて見てしまう。
人の精進をどうにかしようと思わないようにすると、何が直面化されるかというと
自分の精進
である。それは、まるで、子離れのできない母の姿、に似ている。サンガは、どのような方にも養成場として優れるのに、私は、それを見ては、もっとわかりやすく、とか、もっと丁寧に、とか、考えてしまう。
この世的には、確かにそうかもしれない。
でも、霊的な磁場、霊的な指導ということ関しては、私がそれに勝ることは決してない。つまり、その最大にして、最高の精進を、この世的に愚弄しているのと変わりはない。
というわけで、適切に、導き手としての役割を果たすようにしようとすると、少しずつ、時間は余ってくる。
今まで、心をオープンにすると分単位で忙しかったものが、ゆっくり豊かに時間が流れてくる。
仕事能力が高くなった、と言われたら、そうかもね、と思うこともある。嫌だなと避けていたこと、は淡々とやるようにしたら、疲れなくなった。
ちょっと面倒だなと思うことも、あきらめてやろうとすると、人から連絡が入り、かわってもらうこともある。(今朝起きた)
気になっていた人が来訪したりもする。顔を見れてよかった。
もうちょっとだなあ。資産形成の段取りと、年スパンでのお金のながれの計画がばくっとできてきた。まだ流れに乗れていないが、動いてはある。一年くらいで安定するかな。
現状の精進は崩さない程度で。
現実的な自分のこと、は、山積みで。一年くらいかかるだろう。国家試験も受ける。
息子の進路が決まる一年後、かなり楽になると思われる。