らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

死ね死ねマン

悪魔というものは、本当に努力家であると、私は感慨にふけっている。

 

悪霊が憑依してるときは、悪霊と同じ気持ちがある部分を通じて、べたーと悪霊と一体になり、悪霊と同じ、になる。文字式の同類項ってやつと同じだね。

 

7abk+23cbm=b(7ak+23cm)

 

bが共通点だとして、こうやってまとめられちゃうかんじで、一体になってしまうもの。

 

だから、神様の方の同類項でいるためには、神様と共通のものを、自分が含んでいなければならない。

 

で、悪魔も、また、同じことで、ただ、彼らは、ネガティブな共通の気持ちを増幅させるのではなく

 

◯限りなく気づきにくくさせる。

◯限りなく迷いを一瞬にさせる。

 

心の振幅を小さくすることで、自分で気づきにくくさせる。もちろん、気づかなければ、長い目で見たら、課題は大きくなって、のしかかる。

 

まあ、彼らは不幸や貧乏の天才なのだった。

 

その上で、これは悪霊とはちょっとちがうのだが、彼らは、絶望というハーケンを持っている。で、彼らは、ハーケンをいつ打つのかわからないが、とにかく、

 

◯耳元で、シネシネを繰り返して言い続けている。

 

これは、本当に、間違った努力なのは惜しいのだが、努力という忍耐と考えたら、脱帽としか言いようがない。方向が間違っているだけで、この努力や忍耐の素晴らしさは、我々はぜひ、学ばなければならないと思う。

 

悪魔は、最初から悪魔ではない。いろんな修行や精進の上、解決できないことがあって、納得ができずに、やーめたと神様を攻撃しはじめた元大先輩なのである。

 

だから、キリスト教を端に発するものもいれば、イスラム日蓮や、曹洞宗、など、いろいろいらっしゃる。

 

悪魔は、去るとき、名前を言うか、自分が何を司るのか、どちらかを必ず言う。つまり、悪魔をくだすときには、隠された不幸を「みやぶる」力を与えられる。

 

私がエクソシストのメリットとして、これがなければ、もう、やりきれなかったと思う。

 

みやぶれば、判断ができるようになる。

 

 

さて、

 

死ね死ねと囁き続けるか

怒りを煽るように人の悪口を言い続けるか

お前はなんて悪いやつかと言い続けるか

まわりがいかに低脳と言い続けるか

 

どれか、は、わからないが、その人がまわりに感謝しない方向で、未来を信じない方向で、囁いているのは確かなことである。

 

たまに、交通事故に合った人の頭の後ろや、クレームで声をはりあげている人の後ろや、

 

まあ、衝動が止められなかった、一瞬記憶がない、などが起きている人に、見ることができる。まっくろい出口の人。

 

このまっくろい出口の人は、ただ、まっくろいだけなので、正直なところ、よくわからないのだった。でも、詳しく調べると分かるかもしれない。まあ、知らん。

 

たしかに、ホラー映画みたいなやつもいるが、光をあてると、どうなるかというと

 

おじゃる丸のキャラクターとか

マーベルのキャラクターとか

 

お笑い系になるか、美しくなる。でも、それは、実は偽りで、うまく隠してしまうので、さらに法の色合いを強めると、見事に、負けを認めるのだった。

 

だいたい、にして、捨て台詞を言い去る。

 

たいていこんなふう。

 

バーカ

 

笑っちゃう。目に見えない怖いやつには、私は耐性はあると思う。慣れた。自分が気づいてないときの方が怖い。

 

昨日、泣きながら電話してきた古い友人がいたのだが、なんで泣いているのか、まるで分からなかった。彼女の常識と自分の常識がまるで違っていた。

 

仕事に関してだけど。彼女の言い分は別として、私の言い分を書いてみる。

 

◯社会や人の役に立ったぶんが業績になり、その業績に基づいて給与が与えられる。業績を生まないのに昇給はない。

 

◯事務は、会社の実際の利益を生む部門ではなく、利益を生む部門と経営の間の事務作業。事務のやることは言われたことを正確にやること。だから、とりまとめる仕事や新しい知識をつけなければ、給与は高くならない。

 

◯言われたことを言われただけやるのがパートの仕事。それ以上は正社員の仕事。だから、給与がちがう。

 

◯平均と自分の給与の差を比較することでは、何もわからない。自分の給与が妥当かどうか、は、転職したときに、自分が納得できる給与で、他の企業が欲しいと言ってくれるかどうか。

 

◯責任ある仕事、は、人間関係の調整も含まれるし、クレーム対応もある。話を聞いて統率するもある。でも、社がおう利益を目標とする。

 

そもそも、仕事は、そういうものだから、自分のキャパを越えたなら休めばいいし、休んだら給与は低くなるのは当たり前。

 

給与が低くなっても、自分の人生なんだから、自分の人生の見込みとして、何が幸せかがたしかに明らかな場合、へっちゃら、なんだよね。

 

仕事に関しては、とても苦しんだ時期がわたしにはあったけど、そのあたりは修行させていただいたので、凹む気持ちも分かる。嫌な劣等感や名誉欲、マウントとりたい気持ち、の匂いを自分から感じて、すっと抜いてきた。やり過ぎなくらいに笑

 

 

でも、もしかしたら、彼女の幸せと私の幸せはまるで違うのではないかと思った。

 

 

それならそれでいいではないか。

 

長くなった電話の結論はそう思ったけど、やはり心配なのか、寝ている間に会話しに、無意識に行ってしまった。

 

寝る前に思考を止めなかったから、寝ぼけながら、考えてしまったんだね。

 

失敗した。繋がってしまった。

 

お経の結界は、旦那が何かの理由で、切っていたので、自由自在な状況だった。

 

何か彼女から聴こえるから、よおく耳を澄ましてみたら、中に入れたようだ。

 

死ね死ね死ね死ねと寝言で言っていたのを旦那が起こしてくれた。

 

右肩が重い。

 

古い友人にはお誘いして10年になる。

 

いろんな人を見てきたから、古い友人にもまた、私がしてきたことの不備も認める。

 

でも、何があかんかを考えては、やはり、地道にやっていくことしか分からないな。見方を変えなければ。

 

とにもかくにも、ただしい宗教の光を与えられることは、最優先だと思う。