らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

妹の起死回生

私の妹達も起死回生を受けている。

 

先日、精舎で私の友人らに会った妹が、起死回生ってどんなかんじかと問われて

 

「分からない。姉に聞いたら準備中らしい」

 

とのたまった。友人らが羨ましいって同じ反応だったのがおもしろかったと妹が教えてくれた。

 

私はこれでも霊能者で霊的なことから分かることもある。でも、私としては、霊能者から分かることと現実がどう対応しているかのことに興味があり、深く長く研究してきた。

 

霊的なことが主体になると、霊能者として見るもの自体が主観にあふれているので、とても偏った生き方になると私は考えている。

 

見えているものが自分の見え方でしかないので、間違ったものが正しく見えることも、また逆にもあるように感じられるので

 

客観的に分かる証として、見えるものと現実化することについて理解しないと、あまりにも脆弱な根拠に基づいた判断にしかなりえないと思ったからだ。

 

探偵の推理のように、見立てが得意になった。

 

ただ解決策となると、私としては悪い種を抜くように根本解決を目指すので、他者にそれを話すとあまり理解されない。拒否的になる方が多い。

 

だから、理解できるときを待って話さないようにして、ゴールに向かうように導くようにしている。

 

さて、起死回生とは何か、という問いには、その人にあった心の傾向をふまえた精進に向き合わせるもの、だと回答する。(いくつかのデータを見て共通点を考えるとこう)

 

真言のため強制力が発動している。ただ、魂の兄弟もいるため、一回でいいとも言いにくい。でも、その強制力はとても強い。

 

私の夫は、法についてはさんざん私から聞いているため、教学を積極的にしなくても、研修時には知っていることが多いと言う。そんな夫は、自分で法を解釈して自己都合で判断したため大失敗が現実化しまくり。なので今、本気スイッチが入ったところ。(二年目)

 

私は自分の傾向からくる失敗をこの半年にさんざんつきつけられ、人生の送り方についてさんざん思考させられた後、自分の人生をどう与えきるかで覚悟を決めたことがあった。自分の傾向の修正を加味し、自分ができることを探した。

 

私の母やもう一人の妹に思うことはあり、実際、この窪みだな、とか、このあたりだな、とか分かる。でも、それに対して言葉で伝えたとしても、理解しづらいと思う。

 

夫にさんざん話してきても、夫がわからなかったように。夫が言うことには、自分がやりたいと自分がやるんだと思わないうちは、わからないんだそうだ。

 

その通りだけど、他者からは話すことくらいしかできないことについても、よく反省し智慧を得た。ただ、ありのままで実践できるようになるかはまた別。

 

たぶん、私の友人らだってわかってても、変わりきれないからもがいているのだと私はいつも思う。

 

潜在的に、分かりたくないから、もあるだろう。

 

だいたい自分の汚いところ(神様と同通しない箇所)が、どんなふうに汚い様子となっているかを知るよりは

 

美しくあるように高める精進をしたいと願うものだと思う。

 

でも、美しくあるように高める精進をすれば、自ずと汚い様子について知ることもでてくるし

 

逆もまた、最終的には美しくならざるを得ないと分かるはずだ。

 

どちらも通過するだろうけど、捨て去る思いの質量は半端ないはずだ。

 

 

私もひとつ覚悟したが

 

何かしらの善き覚悟が芽生えるものだと思う。

 

 

生まれる前の使命と一致するように芽生える。

 

 

 

私は霊的な人だったので、大きな使命なんだね、とコメントされ、何か大きなことをしなければいけないかもと思っていたのか、何かお役に立たねばという気持ちが強い。

 

でも、使命を果たすという前提で取り組んだ希望実現の瞑想で見たのは、家庭ユートピアだった。

 

 

だから、潔く、それだけでいいと、やりたかったことを全部捨てることにした。

 

準備中の妹は、もう回転しており、教学量を私を通して増やしている。経による戒体も伝えた。今まではあまり養成者として導いてこなかったが、起死回生後、もう一人の妹と同様の養成コースに乗った感じがある。

 

本当は。

そろそろ、家族に思うことや結論を突きつけたいところだったが、そのプロセスに、私の人生という時間を布施することを覚悟した。阿羅漢としての自覚が芽生えるまで。

 

結論を突きつけて取り組めと言いたいところだが、各人が自分で気づき自分で乗り越えていかねば、悟りもない。

 

だからそれに寄り添うことを、我をなくしてやってきた今まで以上に、彼らの結論を見るまで寄り添うことを決めた。家庭ユートピアが使命だから。

 

私の使命とする家庭ユートピアは、ただ神に帰依するだけのところではなく、家族全員が阿羅漢として精進を重ねる、愛し合い、睦み合い、信じ合う、与えきりのなかに協働し合う発展性のある関係性であった。

 

鳴門の渦潮のように、回転がうまく回っているのが見える。

 

家族だからかリンクすることが多い。貧乏神や祖霊もあるのは当然だ。

 

 

自分の傾向って、宇宙世で経験した他惑星の学んだ個性。

 

 

他の宇宙魂との共生のなかで学ぶことなしに。他惑星で学んだ個性をそのまま繰り返して生きたために、新しいステージ、地球人として他の宇宙魂とも統制されて磨き上げることなしに。

 

惰性に生きたすべてと向き合い変幻すりのが、起死回生だと私は思う。