憑かないひとはいない
私自身がお勉強をめちゃくちゃしてるのを知っている方が、
私自身の波長同通する魔のあぶりだしについて、報告を聞くとびっくりされることがわりと多い。
私のお勉強や、私の法友グループ、ぐだろう、では、私自身の勉強スタイルが影響を生んでいて当たり前になってることは、一般的な普通、ではないとは思う。
このあたりについては、今までちょこちょこと書いてきてはいるが、日常の自分、つまり24時間上にある自分に焦点をあてなければ、そもそもに自分の意識すら、発見できないので、だいたいにして、それが通常モード。
でも、その通常モードも、言葉のやり取りだけ見れば、ちょっと常軌を逸しているかに見えることもある。
でも、その出来事を通して、小さな自分が小さな世界なりに、正道であったかを、つぶさに見るならば、たしかに、必要だと思う。
例えば、言葉のやりとりのなかで勘違いだとか、共有感がなかった事実について、即座に出た心の反応と、自分のストレス強度、環境的素因など、心の反応を律して、他者へのかかわりが惰性にならないように点検しながら、律しつつ、一日を送るは、今の私の毎日である。
(新しい職場だからこそ、人間関係を正道にあるように、丁寧に成功させたいから。)
ここ一か月、環境が変わるにつれて、思うことは、本当にいろんな世界観が、場ごとにあるんだなということ。
今までいたことのない独特の雰囲気でもあるし、人間関係の構造もある。でも、私は、新しい課題だと思っていて、今までできなかったこと、をチャレンジしたいと思っている。
心だと勘違いした、感情を大事にする傾向があって、人情を軸として生きていた頃を経て
因果応報に自助努力に生きること
だけを見るようにしたら、人情部分がいかに、自助努力を否定するかが分かるようになった。
パソコンに向く時間が難しいので、携帯から書いているので、↓のプロセスを書くことは難しい。
右だけアイマスクしてるように、なにかのっかってる、または、何かくっついて、複合体みたいに、フランケンシュタインみたいなつぎはぎが、ガヒであったことがようやくわかった。
(常に、ではない。
原因は、高1にあった狐の社への参拝なんだが
(実は、ホラーな出来事だった)
それに準じた出来事がゴリ子にもあり、もちろん、過去世にある自分のそもそもの傾向だと認める。
映画のキャストの彼女の状況、設定そのもの、と同じではないのだが、共通してある。
◯二重生活
(公私の私の部分が、公と乖離したもの。非行や不健全な遊びに通じる。私は、公とはっきり分けられていて、二重生活みたいになる。
◯ひとに対する自分の姿
(ひとに期待しない。うまく付き合うか、だけ。win-winという構造に出やすい。
努力してないわけではないのだが、私の部分が、いつか公を喰うようにして、不幸にする。自分が耐えられなくなるのだ。
メンタルの問題。
そゆことを、その視点で振り返っていると、いかに自己中だったかの反省が始まり、情けなくてホロホロ泣いたりする。
家族に自分のことをあまり話してこなかったので、同時に、話をする、を務めているのだが、これがなぜか、家族の反省を誘発している。
私は、家族に対して、ネガティブな自分を出してこなかったので、よく、ひとりになった。疲れてしまうのだ。
話すようにしたら、ひとりになる時間もまた必要なのだが、罪悪感がないので、罪悪感を引き起こすような、不健全なことはしない。
たまに大酒飲まないといられないとか
たまにギャンブルで使い果たさないといられないとか
たまに…も、じゅうぶんな要素だった。
冒頭に戻るが、ひとにコメントした私のコメントを、そのまま、コピぺして書いておきます。
「狐は、どちらかというと、心よりも、行動や言葉、に、大きくでるので、その点から振り返ってから、
その行動や言葉を発した自分の考え方の正誤ではなく
その行動や言葉を発した、原因となる、自分の心の働き
(相手や環境への反応を一切問わず、修行者としてどうか、つまり、仏への道を歩む不安定な自分の不安定さだけを見る
に、必ず悪因があります。
つく、のは、生きて修行してるのならば、当たり前だと思います。
ついたことがない、とか
自分は信仰してるからつかない
って言うひとは、私は信用できません。
悟りがあれば、その悟り以下はつかない状況は生まれます。
けど、より高みのある悟りを目指すならば、そういう、憑依を超えていく過程が生まれなければ、新しい発見もないのではないかと思います。
本当の自分を探すことと
より高い悟りを目指すことは同じで
たぶん、本当の自分、というのは
人間やってるうちは、見つからないかと思います。
少しずつ発見していくようなもので
少しずつつくっていくようなものです。
ただ、人間がつけまくり、なのは事実です。
自分の悟り以上にかかる無知な状態には、そうなります。
だから、つかない=悟る、です。」