らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

光が常態化するためにやること

○毎日、お経は7篇読むことはありませんが、その7篇を読み深めてください。字面だけでなく、経典を読むこととお経をつなげて、自分の日常への状態をあげていきます。ひとのことを見ないでください。自分の行動(心・言葉・行い)だけを律してください。決して、ひとを考えながら、お経を読まないようにしてください。それは、呪い、にしかなりません。あれは、自分を律するもの、です。

私は八正道が大好きです。

「私は天使よ」といったふわふわ感は、あまり必要ありません。「私は天使よ」は、あまりよくない気がします。ただの「なりきり」ではないですか。引き寄せの波動を意識するのに、「幸福感」は必要なので、せめて「天使」が指導してくださっている幸福にふわふわしてください。自分が「天使」だとかでふわふわしてるって、なんか変です。

ひとと一緒にいることが楽しくって嬉しい、なら、わかりますが。その状態が、その場に、天使が降りてきている状態でもあります。職場でおろしたことがありますが、すごい状態になりました。その場にいる全員が、その場にいることが「楽しい」と感じていたからです。

おろした私は疲れてしまって、そして、そのはちゃめちゃな笑い声しか聞こえない「職場」を見て、なんなんだ、と思いました。ああ、磁場が悪いとか、御本尊があるとか関係ないんだな、とも思ったけれど、あれは、おろすほうが疲れます。でも、ユートピア化って、こういうことなんだな、って、あのときいた方々の笑顔を見て、そう思います。


○祈りを自分の状態に合わせて、自分で選択して読めるようにしてください

エル・カンターレへの祈り」3篇は、基本的には、どれかを毎日お読みになられるといいと思います。自分の状態で、考え方か心の「ネガティブ」がでてきたら、その「ネガティブ」にあわせて、光をいれるのか、ネガティヴを抜くのか、実験しながら、「感覚」を磨いてください。

大事なことは、祈りを処方箋として見て、自分がどの処方箋がいいかを判断できることです。


○自分にとって大きな祈願をひとつはいれてください。

指導なしに、「何か与えられる」ことは難しいと思います。研修でもいいのですが、私は、常に数種類の祈願がかかっています。自分の祈りが信じられない、わけではないですが、大目標、中目標、小目標への精進に、自分の祈りは、小目標の位置にあります。今は、大目標の「旦那と月1精舎」がくだって、「中目標」になりました。この大目標の設定なしに、小目標はなりたちません。

毎日の祈り、が大きな光になるためには、こうしたワンステップ上のものを意識していること、が求められます。なので、私は毎日読むだけでいいわ、は違うと思います。それができているなら、できてないことを目標にすべきです。ひとつひとつの研修を大事にしていけばいいので、例えば、過去の研修に感謝して、もういちど、あじわってみるでもいいと思います。

でも、一歩、前へは、だいじだと思います。

だって、成長なしのところに、「未来」は必要ないじゃないですか。
だから、成長あるところに、「光」がおおきくふりそそぎます。

○朝晩、のいずれかに、天上界の光をおろしてくるイメージをしてください。

伝道師さんのコレは、電気のスイッチみたいに、パンパンって感じで、数秒で降りて、数秒で切ることができていました。これは本当に、努力の賜物以外でもないと思います。光の濃密さ、もあります。その光のコアは、太陽を見たときの太陽部分の輝きに近いものであります。

質問者さんのそれは、ここだと思うので、次の記事で詳しく書きますね。

最初っから、できるわけないので、心配しないでくださいね。


○人間関係調和の瞑想をする

人間関係の調和の瞑想って、あれ、本当に、相手側の心と話してるんですよ。霊体質のお話でもさんざんしてきますが、私達霊体質は、「念」だとか「思い」とか拾いますよね?あれって、潜在意識の蓋がオープンしてしまったからなんです。でも潜在意識の蓋が100パーしまっているひと、っていないんですよ。けど、感知はしにくい、状態にあると思います。

なので、心で話したことは、じわじわと「相手に」影響を与えています。

そう、自分が心で思ったことが、相手をつくっていることがわかります。


なので、自分の周囲へも感謝し、仏の光に照らされるようにして、にこにこと、愛しているというイメージをしてください。

相手がかたくって、相手がにこにこしないイメージにもなろうかと思います。そのときは、「ごめんね」と言ってあげてください。

本当は、みんな、仲良くしたいと思っていると思うんです。でもそれを邪魔するのは、「こだわり」だったりすると思うんです。私が、「こだわりを嫌うこだわり」をもっているのと同じで。

○与えてください、与えようとしてください

自分に運ばれたものには、すべて感謝して、与えてください。弱っていると、私は「めっちゃ怒る」んですが、そのときに、たいてい気づくのが、支部でお祈りしていないな、ってことです。ですから、そうあれるように「祈り」を続けて、来たもの全部に何かを与えてください。私は、現実的に与えるよりも、やはり、「体感する」「わかる」ことが多いので、祈りにて光を与えることが主体です。

なんでもいいので、祝福したり、感謝したり、一日が、ポジティヴなものだけになるように、どこに感謝するかを考えてみてください。それはひねくれた言葉ではだめです。それがもう一度起きてもいい「言葉」だけです。

「真実」に置き換える、そんな言葉が一番いいです。